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どうしてシスターに?

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シスター マリア・アンチッラ 栗田昌枝

一度に多くの人びとに向けられることばの道具になりたい

花


『お医者さんは素晴らしいけれど、一人ずつ救いますね。でも、私たちは一度にたくさんの人びとを救います』。女子パウロ会の、イタリア人宣教女のこのことばが私の召命の鍵になりました。洗礼を数週間後にひかえていた私に、まだ上手とも言えない日本語で話されたことばでした。

 8ヶ月の公教要理の勉強を終わったばかりで、無知な私は「修道者は世からの逃避者である」と思い込み、そんな修道生活に入るなんてまっぴらだ。それよりも、人びとに役に立つ生活をしたいと考え、「医者になって無医村に行こう」と、自分の将来を夢見ていたのです。しかし、この時「本、新聞、雑誌、ラジオ(当時はテレビはありませんでした)をもって宣教する」修道生活に出会ったのです。はじめて知った新しい修道生活は私を全く捕らえてしまいました。たどたどしい日本語で、彼女も考えていることの半分も言い表せなかったでしょうが、イエスはこの一言で私を捕らえられたのです。そして私は、洗礼から一週間目に聖パウロ女子修道会に入会しました。

 たくさんのお恵みを頂いて、聖パウロの娘として47年間生きて来た今、あの宣教女のことばを、文字どおりにそのまま受け容れることはできないように感じています。「宣教は量ではない、数でもない」と思うからです。しかし、「聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう」(ローマの信徒への手紙 10.14)という聖パウロのことばは、今も私にとって真実です。

 また神は、今生きる人びとにご自分を表されるのに、現代社会のコミュニケーションのメディアをお使いにならないはずはないと思っています。これは今、私が確信していることです。

 あの時、私を呼ぶためにイエスが使われたのは、確かにあのことばでした。まだ若く、洗礼も受けていなかった未熟な私を、あのことばで強力に呼んでくださったイエスに、心から感謝しています。イエスは、こんな私を、丁度よい時に一番適した方法で呼んでくださったと今も確信しています。そのイエスに従って、今も姉妹たちと一緒に、宣教の日々を精いっぱい生きています。


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