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どうしてシスターに?

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シスター マリア・ガブリエラ 本村スミ子

主イエスが私を呼んでくださった

シスター本村


これまでの歩みを振り返ってみるとき、主イエスが「来て、見なさい。そうすればわかる」と、呼んでくださったから今ここにいるんだと、確信することができます。

小学6年生の時に堅信の秘跡を受け、新しい歩みとして、修道会の女学校に、志願者として入学しないかと、入会を勧められたことがあります。どうしようかとしばらく考えましたが、修道生活は大人なってから考えることにして入会しませんでした。

わたしの青春時代は戦中、戦後で、お国のために喜んで奉仕作業に励みました。家庭では朝晩、世界平和のため、戦争が早く終わるようにと祈っていました。

昭和20年8月9日、原爆によって多くの人が亡くなりました。すべてを無くし傷ついた人たちが、親戚、知人のもとに集まり終戦の日を迎えました。どうしてこうなる前にと嘆くとき、祖母や母は、「神の思し召し」「天に宝を積むため」と言って、傷を負った人たちにも、自分自身にも納得させ、ともに慰め合っていました。母も祖母も、実の妹を原爆で亡くしたのです。

戦後の生活は、物資不足の中でも「天の父の慈しみ」によって、生活の知恵が与えられ、物を作る喜びも味わいました。生活にゆとりが出てきたとき、新しいミシンを買い、友だちと洋裁を習い始めました。

この頃、修道会の召命募集がはじまり、わたしの住んでいた長崎の伊王島にも聖パウロ修道会の修道士が来られました。聖パウロ女子修道会のことも話されました。

その1年後に福岡に聖パウロ女子修道会の修道院が建ち、そこで行われた黙想会に呼ばれ、8人が参加しました。小さな部屋で、8人が頭を付き合わせながら、イタリア人の神父さんの話を聞いたとき、幼いころ、祖父や祖母から聞いた宣教師のことを思い出しました。この宣教師は、明治から大正にかけて、20年近く、島民に信仰と知識を教えてくださった恩人です。

宣教師によって先祖が受けた信仰を、他の人々にも知らせるために、主イエスは「わたしが、あなたを選んだ」と聖パウロ女子修道会に、わたしを呼んでくださったのです。神に感謝。


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