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シスター三木の創作童話

パトモス島の百合

「パトモス島の百合」の絵

きょうもあの小柄な老人は、いつものように岩にもたれて腰をおろし、考えごとにふけっていました。銀色の髪が、朝日をあびてピンクにそまり、肩の上で波打っています。ふさふさとしたひげは胸までとどき、その中に高くわし鼻がそびえています。そして、落ちくぼんだ目は鋭く光り、何かを見つめて動きません。それは、岩に刻まれた彫像のように見えました。

「おじいちゃん!」
突然、かわいい声が老人の後にひびき、あたりの静けさが破られました。声のする方をふり返ったその老人の目は、やさしく、ひげの中の口がほほえんでいました。さきほどの鋭さはもうどこにも見当たりません。老人は、小さな男の子が、百合の花を手にして立っているのに気づきました。男の子は、にこっと笑うと、老人のひざの中に割り込みました。

「あまり見かけぬ子じゃな、お家はどこだ」
「あっち」
子どもは、東の空を指さしました。
「ねえ、おじいちゃん。お話して!」
「おう、何のお話がいいのかのう」

ここは、エーゲ海のパトモス島、海の見える小さな村。この老人は、ここで子どもたちから、「お話のヨハネじいさん」と呼ばれていました。それは、この島に流されの身となっているキリストのお弟子の一人、ヨハネの老いの姿だったのです。お話をせがむ子どもたちにこのヨハネじいさんは、キリストさまのたとえ話を語り聞かせていました。

「おじいちゃん、はい!」
子どもは、手にもっていた百合の花を老人に差し出しました。百合の花を手にした老人の目から涙があふれ、ひげを伝わってひざの中の子どものほほに落ちかかりました。

「あれ! おじいちゃん泣いてるの」
「そうじゃよ。おまえさんがもってきなすったこの百合の花が、わしに遠いあの日のことを思い出させてくれたんじゃ」
「どんなこと?」
「うん、それはな、わしのお母さんのこと、そう、わしたちのお母さんになってくだすったマリアさまのこと。キリストさまの御母君のことじゃ」
「ああ、マリアさまのことね」
「おまえさん、知っていなさるのか。ああ、そうじゃったな、わしが話して聞かせてやったんじゃな」

大勢の子どもに話をしてきた老人は、この子どももその中の一人だったと思いこんでしまったのです。
「そうじゃ、あの日の空は青かった、これまでに見たことのないほどの青さじゃった。あの日、マリアさまが天にあげられなすったとき、マリアさまのいなすったところに、こんな百合の花が、いっぱい咲いていたんじゃよ」

「マリアさまは、死んだの?」
「いいや、マリアさまはのう、御子イエスさまを思いなされて、もう胸がいっぱいになって、この世の空気を吸うことがおできなならなかったんじゃよ」
「愛が、マリアさまの息を止めたんだよ」
「ええっ!」

老人は自分の耳をうたがいました。こんな小さな子どもの口から出ることばではなかったからです。老人は、急にひざが軽くなったと思いました。いままでひざに抱いていた子どもがいなくなったのです。どこに行ってしまったのだろう!

老人は、ふしぎな気持ちになって立ちあがりました。そして、子どもを抱いて座っていたところの草が、十文字に刈りとられ、その真ん中に、あの百合の花が、大きく開いて咲いているのを見たのです。
「あー」
老人は、声をのんで立ちすくみました。


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