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シスター三木の創作童話

ミス・フローラ・グリングラス その1

 ミス・フローラ・グリングラス。これがこの家のおばあさんの名前です。でもこれは、ほんとうの名前ではありません。じゃ、ほんとうの名前は−っていわれても、だれも知らないのです。ずっと前からおばあさんの呼び名は、ミス・フローラ・グリングラスだったからです。

 おばあさんの家の前庭には、それは見事な芝ふが敷きつめられていました。おばあさんご自慢の芝ふです。おばあさんは、毎日毎日くる日もくる日も、芝ふの手入れをしました。そう! だから“ミス・フローラ・グリングラス”って呼び名がつけられたのです。

 手入れがゆきとどいた芝ふには、どこにでも咲くたんぽぽでさえ、一本も見当たりませんでした。
 「あたしはね、かわいいたんぽぽがきらいじゃありませんよ。だけどね、ここは芝ふだけにしたいの、花には、花の場所があるんですもの。とにかくここは芝ふだけ、きちんと別々にしていたいの」
 と、おばあさんはいうのですが、小さな雑草たちはそんなおばあさんの気持ちをわかるはずがありません。ちょっとでも手入れを怠っているとすぐあたりかまわず芽を出して、ぐんぐん大きくなっていきます。だから、おばあさんは、草とりにいそがしいのでした。

草原をかける2人

 おばあさん、ミス・フローラ・グリングラスは、こうして朝の芝ふの手入れが終わると、玄関先の大きな木の下の白いベンチに腰かけて、こんどは編み物をします。おばあさんは、まっすぐなものしか編みませんでした。まっすぐなものだと手もとを見ないでも、あんまり編み目を数えたりしないでも、ぼんやりしていても編めるからでした。それでいつもマフラーを編んでいました。もう今までに何本ものマフラーを編みました。この小さな町の人たちのマフラーは、ほとんどといっていいくらい、ミス・フローラ・グリングラスの手編みだったのです。これは、おばあさんの収入源でした。

 町の親切な人たちは、おばあさんのためにいろんなマフラーを注文してあげました。
 おばあさんは編み物をしながら、ご自慢の芝ふを眺めています。芝ふはおばあさんの目の中で、だんだんと広がっていって、おしまいには広い広い草原にかわっていきました。

 そよ風が吹きわたるみどりの草原を、つばの広い帽子にピンクのリボンをなびかせた金髪の少女がかけていきます。白い絹麻のドレスが風をはらんでパラソルのようにふくらんでいます。少女はひとりではありません。栗色の髪の少年といっしょでした。ふたりは手をつないで笑い、ざわめきながら、草原をかけて遠くへいってしまいました。
 うっとりして楽しそうだったミス・フローラ・グリングラスの笑顔が、ここでふっと消えました。
 −これは、おばあさんの少女時代の思い出だったのです。栗色の髪の少年は、ずっとあとで、おばあさんの恋人になった人でした。けれど、その時の戦争で戦死したのです。ミス・フローラ・グリングラスは、ずっとひとりで生きてきました。
 「昔のことって、きのうのことのようにはっきりと思い出されるのよね。ついさっきのことは、すぐに忘れちゃうのにね・・・みんなみんなすぎ去ったことよ・・・」
 そういうとおばさんは、思いなおしたかのようににっこりとほほえんで立ちあがりました。そして編み物かごをかかえて、家の中に入っていきました。

 おばあさん、ミス・フローラ・グリングラスは、クッキーづくりの名人でした。簡単な材料でとてもおいしいクッキーをつくるのでした。この日も、おばあさんは、クッキーを焼きました。
 「あら、あら、どうしましょう。きょうは、つくりすぎだわ。今晩は、お客様を大勢、お招きするわ。せっかくつくったんですもの」

 町の人たちは、町で一番お年寄りで、何でも知っているおばあさん、ミス・フローラ・グリングラスのお茶会に招かれるのを楽しみにしていました。おばあさんは町の若者に負けないくらい勉強家でした。おばあさんの家の一番良い部屋には、本がぎっしりつまっていました。そしてそこに並べてある本は、どれもおばあさんが読んだり、勉強した本だったのです。今では、目が悪くなってきているので、昔のようには読めないのですが、それでも1日に1回は必ずこの部屋に入って、大きな机の上で何冊かの本を開くのです。読まなくても本を開いただけで、ここにはこんなことが書いてあった−ということが思い出されてくるのでした。おばあさんにとっては古い本のかびくさい匂いでさえも、心地よいものに感じられるのです。そしてときどき、古い本にはさまれた昔の手紙や、写真を見つけることもありました。この日も、おばあさんは、茶色くなった一枚の写真を見つけました。おばあさんは、それを見るなり、
 「あっ・・・」
 と、のどがつまるような声を出したのです。  (つづく)


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