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教会カレンダー

諸聖人

第1朗読 ヨハネの黙示録 7章2~4、9~14節

第2朗読 ヨハネの手紙一 3章1~3節

福音朗読 マタイによる福音書 5章1~12a節

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山上の垂訓教会

教会は、最初の時から殉教者の殉教記念日を祝ってきました。しかし、ディオクレティアヌス皇帝の時代(4世紀)の迫害のころからは、ある特定の日(復活節中のある日、または聖霊降臨最初の主日)に祝っていました。

9世紀に、教皇グレゴリウス4世は、この祝日を11月1日に移し、すべての殉教者から諸聖人にまで広げました。この決定を機に諸聖人の祝いは広まっていきました。

典礼暦年の最後の月に祝う“諸聖人”の祭日は、主の再臨とキリストの輝かしい完成を思い起こさせる日です。それは、キリスト者が死のかなたの命への希望に生きるように励ましてくれるためであり、また、目にみえない世界に入ったすべての人との連帯を意識する日でもあるのです。

私たちは諸聖人が、今は神のもとにあって、私たちのために取りなしてくださっていることを信じ、諸聖人とともに喜んでこの日を祝います。

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第1朗読では、ヨハネの黙示録が読まれます。

ヨハネの黙示録は、90年代後半に書かれたといわれています。その当時、小アジアはローマ帝国の属州であり、ドミティアヌス皇帝の支配のもとにあった95年ごろには、教会の迫害も激しかった時でした。

黙示録の著者ヨハネはパトモス島に島流しにされ、そこで、ヨハネは、幻のうちに、十字架のしるしによって刻印された大勢の人々を見たのでした。イスラエルの子らとすべての国民から選ばれた人々です。みな、小羊の血によって清められた人々で、神への永遠の礼拝を捧げています。

黙示録が、天の世界を描き、終わりの日を描写するのは、この世を生きる私たちが苦難に負けることなく、信仰のうちに留まることができるように、励ますためです。

黙示録は聖書の中でも難しい書物といわれています。しかし、黙示録の著者の言葉の象徴とその意味するところを知ると、そこに書かれていることがわかるようになります。

その手引きとなる本をご紹介したいと思います。『ヨハネの黙示録を読む』です。終末期に入っているこの季節に、読んでみるのは意義深いことです。

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第2朗読ではヨハネの手紙Iが読まれます。

今、私たちは神の子と呼ばれます。「事実、そのとおりです」と、ヨハネが語るように、私たちは、本当に神の子なのです。

すでに神の子であっても、神の御子が現れる時には、私たちはキリストに似た者となると約束されているのです。それは、私たちに示される神の究極の姿です。

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今日の福音は、「8つの幸い」、「真福八端」と呼ばれる箇所が読まれます。諸聖人は、イエスのおすすめになったように生き、イエスの与える幸い、その祝福にあずかる者となった人々です。

幸いと訳された語は、元来、最高の幸福と幸福感を示したものだそうです。幸いのヘブル語は、神から与えられた祝福、救いの喜びをあらわすものです。また、これは、神との人格的な交わりの喜びを軸とした、祝福、幸福です。

心の貧しい人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、
その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、
その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、
その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、
その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、迫害され、
身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、
あなたがたは幸いである。
             (マタイ 5.3-11)

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私はこのような人をこそ祝福してあげるのだ、との神の祝福は、神の恵みの無償性が示されています。

今日祝う聖人は、みなこの愛の道を経て、キリストの与えてくださる祝福にあずかりました。

私たちは、ゆっくりとキリストが告げられる8つの幸いを、特別に今日は味わってみたいと思います。諸聖人とともに。
  ここに、キリストに従う者の生き方が説明されているのですから。

祈り

聖なる父よ、
  あなたはきょう、すべての聖人のいさおしをたたえる喜びを与えてくださいます。
  聖人たちの取り次ぎを願うわたしたちが、
  あがないの恵みを豊かに受けることができますように。
   集会祈願より

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第1朗読 ヨハネの黙示録 7章2~4、9~14節

わたしはまた、もう一人の天使が生ける神の刻印を持って、
太陽の出る方角から上って来るのを見た。
この天使は、大地と海とを損なうことを許されている四人の天使に、大声で呼びかけて、

こう言った。
「我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、
大地も海も木も損なってはならない。」

わたしは、刻印を押された人々の数を聞いた。
それは十四万四千人で、
イスラエルの子らの全部族の中から、刻印を押されていた。

この後、わたしが見ていると、
見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、
だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、
手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、

大声でこう叫んだ。
「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、
小羊とのものである。」

また、天使たちは皆、玉座、長老たち、そして四つの生き物を囲んで立っていたが、
玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、

こう言った。
「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、
誉れ、力、威力が、
世々限りなくわたしたちの神にありますように、
アーメン。」

すると、長老の一人がわたしに問いかけた。
「この白い衣を着た者たちは、だれか。また、どこから来たのか。」

そこで、わたしが、「わたしの主よ、それはあなたの方がご存じです」と答えると、
長老はまた、わたしに言った。
「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。

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第2朗読 ヨハネの手紙一 3章1~3節

御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。
それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、
事実また、そのとおりです。
世がわたしたちを知らないのは、御父を知らなかったからです。

愛する者たち、
わたしたちは、今既に神の子ですが、
自分がどのようになるかは、まだ示されていません。
しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。
なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。

御子にこの望みをかけている人は皆、御子が清いように、自分を清めます。

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福音朗読 マタイによる福音書 5章1~12a節

イエスはこの群衆を見て、山に登られた。
腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。

そこで、イエスは口を開き、教えられた。

心の貧しい人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。

悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。

柔和な人々は、幸いである、
その人たちは地を受け継ぐ。

義に飢え渇く人々は、幸いである、
その人たちは満たされる。

憐れみ深い人々は、幸いである、
その人たちは憐れみを受ける。

心の清い人々は、幸いである、
その人たちは神を見る。

平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。

義のために迫害される人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。

わたしのためにののしられ、迫害され、
身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、
あなたがたは幸いである。

喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。

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