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教会カレンダー

A年 年間第26主日

第1朗読 エゼキエル書 18章25~28節

第2朗読 フィリピの信徒への手紙 2章1~11節

福音朗読 マタイによる福音書 21章28~32節

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今日のテーマは、悔い改めです。

自分の根本的な心の態度、神のみ心に従っているかどうかが問われています。
 神の道に立ち返るなら、神は喜んで受け入れてくださり、「必ず生きる。死ぬことはない」と、力強い言葉をかけてくださいます。回心を呼びかけてくださる神です。

この神に心の奥底から心を開き、ゆだねて生きることを願い、祈る一日にしたいものです。

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第1朗読は、エゼキエル書18章からです。紀元前 587年、エルサレムの滅亡に伴う第2回めの決定的捕囚(ほしゅう)に至るまでのエゼキエルの預言の内容は、滅亡の切迫感、神の裁きの予告……でした。エルサレム滅亡を、捕囚の民と間接的には祖国に残った民にも告げています。

エゼキエルは、エルサレムの滅亡と捕囚というイスラエル史上最大の危機に際して、神の審判の正しさ、神の救いのご意志の確かさを人びとに告げ知らせます。

今日読む18章は、個人の責任というテーマが、旧約聖書にはじめて登場する思想であると言われています。その意味で、とても大切な箇所です。

これは、今降りかかっている災難が祖先の罪の結果だからと言って、責任をとらない指導者に対してエゼキエルが述べたものです。

「聞け、イスラエルの家よ。…… 彼は悔い改めて、自分の行ったすべての背きから離れたのだから、必ず生きる。死ぬことはない」。

このみ言葉は、バビロン捕囚の中、過去の罪のために、神から見捨てられたと思っていた人びとに、生きる希望をもたらしました。

今日は、「わたしの道」と言われる神の道と、「お前たちの道」と言われる私たちが生きている道について、振り返ってみてはいかがですか。

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第2朗読は、あの有名なキリスト賛歌、フィリピの信徒への手紙 2.1~11です。

この賛歌は、初期のキリスト賛歌を聖パウロが引用したもので、これは歌にもなっています。このメロディーを奏でていると、この賛歌の魂のようなものに触れる思いです。何度も口ずさみながら祈ってみるのもいいかもしれません。

苦しみにあい、分裂の危険もあったフィリピの教会の信徒たちに、パウロは主の生涯は謙遜の限りを尽くしたものであった、当然ご自分のものとされるすべてのもの、いのちさえ捨てられたので、神は「あらゆる名にまさる名」をお与えになったと紹介します。

キリスト者のとるべき態度は、このキリストのとられた態度であると、キリスト者の心構えをパウロはのべるのです。

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宣教活動の中で、イエスとユダヤの指導者たちとの対立は激しくなっていきます。そのような中で語られた「二人の息子のたとえ」です。今日のこの話はマタイ福音書だけが伝えています。

「ぶどう園へ行って働きなさい」との父の要望に、返事はよかったのですが言いつけを守らなかった「弟」と、返事はよくなかったものの、父のいいつけを守った「兄」。「どちらが父親の望みどおりにしたか」との問いをイエスはなげかけます。

「兄」が徴税人や娼婦、「弟」が祭司長や長老たちを象徴していることは、文章の流れから明らかです。

イエスは、「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう」と祭司長や長老たちに言います。

この話から、ますますイエスは彼らとの対立、反感を大きくしていきます。十字架への道がはじまっていきます。

今日のイエスの問いは、私たち一人ひとり、あなたにも投げかけられているものです。あなたは何とこたえますか。

祈り

すべての人を正しい道に導かれる神よ、
  あなたは人々の思いをすべて知っておられます。
  信仰の道を歩むわたしたちを支え、
  いつも神に心を向けて生きるものとしてください。
集会祈願より

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第1朗読 エゼキエル書 18章25~28節

それなのにお前たちは、『主の道は正しくない』と言う。
聞け、イスラエルの家よ。
わたしの道が正しくないのか。
正しくないのは、お前たちの道ではないのか。

正しい人がその正しさから離れて不正を行い、
そのゆえに死ぬなら、それは彼が行った不正のゆえに死ぬのである。

しかし、悪人が自分の行った悪から離れて正義と恵みの業を行うなら、
彼は自分の命を救うことができる。

彼は悔い改めて、自分の行ったすべての背きから離れたのだから、
必ず生きる。死ぬことはない。

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第2朗読 フィリピの信徒への手紙 2章1~11節

そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、
"霊"による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、
同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、
わたしの喜びを満たしてください。

何事も利己心や虚栄心からするのではなく、
へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、
めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。
互いにこのことを心がけなさい。
それはキリスト・イエスにもみられるものです。

キリストは、神の身分でありながら、
神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。
人間の姿で現れ、

へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。
こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、
イエスの御名にひざまずき、
すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、
父である神をたたえるのです。

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福音朗読 マタイによる福音書 21章28~32節

「ところで、あなたたちはどう思うか。
ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、
『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。
兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。

弟のところへも行って、同じことを言うと、
弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。

この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」
彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。
「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、
あなたたちより先に神の国に入るだろう。

なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、
徴税人や娼婦たちは信じたからだ。
あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」

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