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教会カレンダー

A年 復活節第4主日

第1朗読 使徒言行録 2章14a、36~41節

第2朗読 ペトロの手紙1 2章20b~25節

福音朗読 ヨハネによる福音書 10章1~10節

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カタコンベ・「よい牧者」の壁画

復活節第4主日は、毎年「よい牧者」をテーマとしています。ABC年ともヨハネ福音書10章から、「よい牧者」のたとえがとられています。ですから、この日は「よい牧者の主日」とも言われます。A年は、10章の冒頭が読まれます。

「よい牧者」であるイエスの姿は初代教会から親しまれたイメージで、カタコンベにもみられます。羊のためにいのちさえおしまない羊飼いの姿が伝わってきます。

今日は、「召命祈願日」でもあります。この日は、1964年、教皇パウロ6世によって定められました。「召命祈願日」には、ことに司祭、修道者への招きのために祈っていきます。

教皇は、この「召命祈願日」のために毎年メッセージを送られます。

近年非常に少なくなっている司祭、修道者の召命のために祈りましょう。
   永遠の牧者イエスよ、
   あなたの刈り入れによい働き手を送ってください。

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第1朗読では、先週のペトロの説教を聞いた人々の反応です。先週同様「ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた」とはじまります。「立って、声を張り上げ」とは、印象深いはじまりです。

「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」とのペトロの説教の言葉に心打たれた人々の、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」問いに、ペトロは入信を勧めます。
 あなただったらなんと答えますか。

イエスが主であることを受け入れた人は、洗礼を受け、キリストに結ばれた人として生まれ変わります。こうして、3000人もの人々が洗礼を受け、最初のキリスト者になりました。それは、使徒の宣教の実りでした。

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第2朗読は、先週に続き、ペトロの手紙からです。彼は困難に直面している信徒に向かって励ましの言葉を送ります。

ペトロはイエスの姿を指し示しています。その姿は、
  (1)「この方は、罪を犯したことがなく……」
  (2)受難の時にどのように振る舞われたか、
  (3)キリストの死は罪を取り除く力があること。
 このキリストの姿は、イザヤ書に描かれている「主のしもべ」と呼応しています。

キリストに倣うというのは、いろいろ勧められますが、イエスの姿こそ、なによりも、どんな言葉よりも私たちの心に強く迫ってきます。

苦難の道を歩まれたキリストは、信じる人の痛みをいやし、生きる力を与えてくださっています。彼が「お受けになった傷によって、あなたがたはいやされました」とあるとおりです。この方は「魂の牧者であり、監督者である方」です。

このペトロの言葉を自分の中に招き入れ、味わいましょう。

* * * * * *

牧者のたとえは福音書にたびたび登場しますが、今日の福音はヨハネからです。共観福音書のよい牧者は、今日読むヨハネ福音書とは視点が異なっています。

今日の福音書は、9章から読むともっとはっきりしてきます。

イエスはたとえの中で、「羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出し……先頭に立って行く」と述べています。  この言葉は、エジプト脱出の出来事を思い起こさせるために、聖書が好んで使う表現です。

牧者と羊のつながりは、長い間牧畜生活をしていたイスラエルの民にとって、とても強いもの、心に語りかけるものがありました。1匹1匹に名をつけて自分の子どものようにかわいがり、主人は羊の数がどんなに多くても1匹1匹を把握していたそうです。羊も主人から名を呼ばれると、羊飼いのそばに寄っていくということです。「羊はその声を知っているので、ついて行く」のです。

羊飼いは、野獣や略奪者から羊をいのちがけで守っていました。中でも弱い羊には特別に心をかけ、群れから離れないようにと導いていました。羊飼いは羊の群れを導くと同時に、共に歩むものでした。

このような背景の中でイエスは、ご自分と民との関係を羊飼いにたとえてお示しになります。

救いの神秘が「よい羊飼い」、キリストの姿によって示されています。この「よい羊飼い」は、復活節の代表的なキリスト像です。これは、また、キリスト教迫害時代、カタコンベと呼ばれるキリスト教地下墓地に描かれ、その後も今日にいたるまで広く愛されたキリスト像です。

よい羊飼キリストと私たちの結びつきは、まず「声を聴く」ことからはじまります。

今日の答唱詩編は「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」とはじまる詩編23です。

教会の伝統の中で非常に親しまれ、いろいろの歌が作られてきました。よい羊飼キリストをイメージしながら、ゆっくりと祈ることをお勧めします。神への信頼を歌った賛歌です。

祈り

 全能の神よ、
  あなたは死に打ち勝ったイエスを、
  わたしたちの魂の牧者としてお立てになりました。
  わたしたちが道に迷うとき、
  一人ひとりに呼びかけてくださるイエスの声に
  耳を澄ますことができますように。
   集会祈願より

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第1朗読 使徒言行録 2章14a、36~41節

 すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。

 だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。
 あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、
 またメシアとなさったのです。」

 人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、
 「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と言った。

 すると、ペトロは彼らに言った。
 「悔い改めなさい。
 めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、
 罪を赦していただきなさい。
 そうすれば、賜物として聖霊を受けます。

 この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、
 つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、
 与えられているものなのです。」

 ペトロは、このほかにもいろいろ話をして、力強く証しをし、
 「邪悪なこの時代から救われなさい」と勧めていた。

 ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、
 その日に三千人ほどが仲間に加わった。

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第2朗読 ペトロの手紙1 2章20b~25節

 善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、
 これこそ神の御心に適うことです。

 あなたがたが召されたのはこのためです。
 というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、
 その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。

 「この方は、罪を犯したことがなく、
 その口には偽りがなかった。」

 ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、
 正しくお裁きになる方にお任せになりました。

 そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。
 わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。
 そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。

 あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、
 今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです。

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福音朗読 ヨハネによる福音書 10章1~10節

 「はっきり言っておく。
 羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、
 盗人であり、強盗である。

  門から入る者が羊飼いである。

 門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。
 羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。

 自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。
 羊はその声を知っているので、ついて行く。

 しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。
 ほかの者たちの声を知らないからである。」

 イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、
 彼らはその話が何のことか分からなかった。

 イエスはまた言われた。
 「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。

 わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。
 しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。

 わたしは門である。
 わたしを通って入る者は救われる。
 その人は、門を出入りして牧草を見つける。

 盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。
 わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。

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