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教会カレンダー

B年 四旬節 受難の主日(枝の主日)

第1朗読 イザヤ書 50章4~7節

第2朗読 フィリピの信徒への手紙 2章6~11節

福音朗読 マルコによる福音書 14章1~15章47節

西暦400年ごろ一人のシスター(修道女)が書いた「エテリアの聖地巡礼記」という記録が、近年になって知られるようになりました。それは、そのころのエルサレムにおける教会の典礼、ことに四旬節、聖週間、復活節の典礼について詳しく伝えています。

現在「受難の主日」とよばれている主日は、「枝の主日」とも呼ばれていました。エルサレムにおける枝の行列は、受難の主日のミサの後に行われていたと巡礼記はつづっていますが、現在の典礼では、開祭の部で行われます。

イエスのエルサレム入城は決定的な受難の道に入ったことを意味し、この時からイエスの歩みは一直線に十字架に向かいます。

ですから、今日という日は、エルサレムにはじまるキリストの受難が、復活の栄光に至る道であることを思い起こす日です。

キリスト者は、オリーブ山の教会に集まり、司教を中心に大人も子どもも手に棕櫚(しゅろ)やオリーブの枝をもって「神の名によって来られた方に賛美」と、詩編や賛美歌を歌いながら行列をし、エルサレムの町に入り、聖墳墓教会(イエスが十字架につけられ、埋葬され、復活されたといわれるゴルゴダの丘にある教会)まで行きました。

このエルサレムの枝の行列にならい、教会は毎年、主イエスのエルサレム入城を記念します。そして、この日から教会の典礼の頂点である「聖週間」と呼ばれる週に入ります。

かつて、この日に使用するオリーブの小枝や棕櫚の葉(手に入らない場合には、その他の常緑樹の枝)は、信徒が自分で準備して来て、祝福をいただき、それを家にもって帰り、この日を記憶するようにしていましたが、住宅事情などから自分で準備するのが大変なので、現在では教会で準備するようになりました。

* * * * * *

主のエルサレム入城では、「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ」と、イエスがエルサレムに入った時に、感極まる叫びが人びとから上がりました。

しかし、このエルサレム入城は、イエスの受難の序曲でもあったのです。

司祭は枝をもった会衆を祝福し、入城の福音(今年はマルコによる福音書)が朗読され、行列(あるいは、入堂)がはじまります。

いよいよ一年の教会カレンダーの頂点「主の過ぎ越しの3日間」が、近づいてきます。

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今日の第1朗読は、有名な「主のしもべ」の第3の歌です。

第2イザヤと呼ばれるイザヤ書の40~55章は、捕囚(ほしゅう)時代(紀元前6世紀)の預言で、そこには4つの「主のしもべの歌」と呼ばれるものが収められています。今日の朗読は、その中の第3のものです。

「主のしもべの歌」は、聖週間の間に、月曜日に第1の歌、火曜日に第2の歌、水曜日に第3の歌、聖金曜日に第4の歌と朗読されていきます。

神の言葉を受け、それを伝えたために迫害を受けた主のしもべ。この主のしもべはだれのことかについては、イスラエルの民全体の運命を指すとか、または将来現れるメシアの姿としてとらえられてきました。

主の召命を受け、人類の罪を背負って苦難を受けたしもべの姿は、キリストの姿に他ならないと、初代教会から大切に思われてきました。

ですから、福音書記者は、人びとは「イエスの顔に唾(つば)を吐きかけ、こぶしで殴り、ある者は平手で打ちながら……」(67節)と、イエスの受けた侮辱を記しているのです。

* * * * * *

第2朗読では、「キリストの賛歌」であるフィリピの信徒への手紙 2章6~11節が読まれます。

このキリストの賛歌は、聖週間の間度々登場します。キリストの卑下と死にいたるまでの従順、それに続く高挙(こうきょ)を歌う点で、受難と復活神秘の神髄を示しているからです。

キリストの地上での生活は、しもべの姿、つまり仕える者、神と人びとに奉仕する姿で要約されます。

人びとが救い主(メシア)に抱くイメージと、イエスの生涯にはあまりにもギャップがありました。そこにこそ、神の神秘が秘められているという感動が、このキリストの賛歌の根底に流れています。これは、教会の信仰の基調を奏でている賛歌であり、それを使徒聖パウロが記したのです。

* * * * * *

毎年、今日のミサにおいて、主の受難の朗読が行われます。主の受難は、初代教会において重要な意義をもっていました。受難の朗読は、古くから聖金曜日に行われていました。

福音書の中で受難に関する叙述は、キリスト伝の中心的なものです。四福音書のすべてに受難の叙述がありますが、今年は第2周期(B年)にあたるので、マルコによる主イエス・キリストの受難が読まれます。

マルコ福音書は、受難の出来事を何も飾らずに、起こったとおりに記述しています。A年に読まれたマタイによる主イエス・キリストの受難では、イエスと弟子たちの結びつきが強調されています。C年に読まれるルカ福音書では、出来事を正確に描写すると同時にイエスの人となりに重点をおいて描いています。

この機会に主イエス・キリストの受難について四福音書を比べながら読んでみることをお勧めします。マルコと他の福音書との違いが一目瞭然(りょうぜん)になります。

聖書を切り貼りしながら、あるいはノートに書きながら、味わってみてはいかがですか。日ごろ気づかないいろいろの発見があるに違いありません。

祈り

全能永遠の神よ、
  あなたは人類にへりくだりを教えるために、救い主が人となり、
  十字架をになうようにお定めになりました。
  わたしたちが、主とともに苦しみを耐えることによって、
  復活の喜びをともにすることができますように。
   集会祈願より

第1朗読 イザヤ書 50章4~7節

主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え
疲れた人を励ますように言葉を呼び覚ましてくださる。

朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし
弟子として聞き従うようにしてくださる。
主なる神はわたしの耳を開かれた。
わたしは逆らわず、退かなかった。

打とうとする者には背中をまかせ
ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。
顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。

主なる神が助けてくださるからわたしはそれを嘲りとは思わない。
わたしは顔を硬い石のようにする。
わたしは知っているわたしが辱められることはない、と。

第2朗読 フィリピの信徒への手紙 2章6~11節

キリストは、神の身分でありながら、
神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
かえって自分を無にして、僕の身分になり、
人間と同じ者になられました。

人間の姿で現れ、
へりくだって、死に至るまで、
それも十字架の死に至るまで従順でした。

このため、神はキリストを高く上げ、
あらゆる名にまさる名をお与えになりました。

こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、
イエスの御名にひざまずき、
すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、
父である神をたたえるのです。

福音朗読 マルコによる福音書 14章1~15章47節

さて、過越の祭りと種なしパンの祝いが二日後に迫っていたので、祭司長、律法学者たちは、どうしたらイエスをだまして捕え、殺すことができるだろうか、とけんめいであった。
彼らは、「祭りの間はいけない。民衆の騒ぎが起こるといけないから。」と話していた。

イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家におられたとき、食卓についておられると、ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油のはいった石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。
すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。
「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。
この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧乏な人たちに施しができたのに。」
そうして、その女をきびしく責めた。
すると、イエスは言われた。
「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。
貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。それで、あなたがたがしたいときは、いつでも彼らに良いことをしてやれます。
しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。
この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。
まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」

ところで、イスカリオテ・ユダは、十二弟子のひとりであるが、イエスを売ろうとして祭司長たちのところへ出向いて行った。
彼らはこれを聞いて喜んで、金をやろうと約束した。
そこでユダは、どうしたら、うまいぐあいにイエスを引き渡せるかと、ねらっていた。

種なしパンの祝いの第一日、すなわち、過越の小羊をほふる日に、弟子たちはイエスに言った。
「過越の食事をなさるのに、私たちは、どこへ行って用意をしましょうか。」
そこで、イエスは、弟子のうちふたりを送って、こう言われた。
「都にはいりなさい。そうすれば、水がめを運んでいる男に会うから、その人について行きなさい。
そして、その人がはいって行く家の主人に、『弟子たちといっしょに過越の食事をする、わたしの客間はどこか、と先生が言っておられる。』と言いなさい。
するとその主人が自分で、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれます。そこでわたしたちのために用意をしなさい。」

弟子たちが出かけて行って、都にはいると、まさしくイエスの言われたとおりであった。
それで、彼らはそこで過越の食事の用意をした。

夕方になって、イエスは十二弟子といっしょにそこに来られた。
そして、みなが席に着いて、食事をしているとき、イエスは言われた。
「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりで、わたしといっしょに食事をしている者が、わたしを裏切ります。」
弟子たちは悲しくなって、「まさか私ではないでしょう。」とかわるがわるイエスに言いだした。
イエスは言われた。
「この十二人の中のひとりで、わたしといっしょに、同じ鉢にパンを浸している者です。
確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。
しかし、人の子を裏切るような人間はのろわれます。
そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」

それから、みなが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、彼らに与えて言われた。
「取りなさい。これはわたしのからだです。」
また、杯を取り、感謝をささげて後、彼らに与えられた。
彼らはみなその杯から飲んだ。
イエスは彼らに言われた。
「これはわたしの契約の血です。多くの人のために流されるものです。」
まことに、あなたがたに告げます。
神の国で新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」
そして、賛美の歌を歌ってから、みなでオリーブ山へ出かけて行った。

イエスは、弟子たちに言われた。
「あなたがたはみな、つまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊は散り散りになる。』と書いてありますから。
しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」

すると、ペテロがイエスに言った。
「たとい全部の者がつまずいても、私はつまずきません。」
イエスは彼に言われた。
「まことに、あなたに告げます。あなたは、きょう、今夜、鶏が二度鳴く前に、わたしを知らないと三度言います。」
ペテロは力を込めて言い張った。
「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」
みなの者もそう言った。

ゲツセマネという所に来て、イエスは弟子たちに言われた。
「わたしが祈る間、ここにすわっていなさい。」
そして、ペテロ、ヤコブ、ヨハネをいっしょに連れて行かれた。
イエスは深く恐れもだえ始められた。
そして彼らに言われた。
「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、目をさましていなさい。」

それから、イエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、もしできることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈り、
またこう言われた。
「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。
どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。
しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」
それから、イエスは戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ、ペテロに言われた。
「シモン。眠っているのか。一時間でも目をさましていることができなかったのか。
誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けなさい。
心は燃えていても、肉体は弱いのです。」

イエスは再び離れて行き、前と同じことばで祈られた。
そして、また戻って来て、ご覧になると、彼らは眠っていた。
ひどく眠けがさしていたのである。
彼らは、イエスにどう言ってよいか、わからなかった。

イエスは三度目に来て、彼らに言われた。
「まだ眠って休んでいるのですか。もう十分です。時が来ました。
見なさい。人の子は罪人たちの手に渡されます。
立ちなさい。さあ、行くのです。見なさい。わたしを裏切る者が近づきました。」
そしてすぐ、イエスがまだ話しておられるうちに、十二弟子のひとりのユダが現われた。
剣や棒を手にした群衆もいっしょであった。
群衆はみな、祭司長、律法学者、長老たちから差し向けられたものであった。

イエスを裏切る者は、彼らと前もって次のような合図を決めておいた。
「私が口づけをするのが、その人だ。その人をつかまえて、しっかりと引いて行くのだ。」
それで、彼はやって来るとすぐに、イエスに近寄って、「先生。」と言って、口づけした。
すると人々は、イエスに手をかけて捕えた。

そのとき、イエスのそばに立っていたひとりが、剣を抜いて大祭司のしもべに撃ちかかり、その耳を切り落とした。
イエスは彼らに向かって言われた。
「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってわたしを捕えに来たのですか。
わたしは毎日、宮であなたがたといっしょにいて、教えていたのに、あなたがたは、わたしを捕えなかったのです。
しかし、こうなったのは聖書のことばが実現するためです。」
すると、みながイエスを見捨てて、逃げてしまった。
ある青年が、素はだに亜麻布を一枚まとったままで、イエスについて行ったところ、人々は彼を捕えようとした。
すると、彼は亜麻布を脱ぎ捨てて、はだかで逃げた。

彼らがイエスを大祭司のところに連れて行くと、祭司長、長老、律法学者たちがみな、集まって来た。
ペテロは、遠くからイエスのあとをつけながら、大祭司の庭の中まではいって行った。
そして、役人たちといっしょにすわって、火にあたっていた。
さて、祭司長たちと全議会は、イエスを死刑にするために、イエスを訴える証拠をつかもうと努めたが、何も見つからなかった。
イエスに対する偽証をした者は多かったが、一致しなかったのである。

すると、数人が立ち上がって、イエスに対する偽証をして、次のように言った。
「私たちは、この人が『わたしは手で造られたこの神殿をこわして、三日のうちに、手で造られない別の神殿を造って見せる。』と言うのを聞きました。」
しかし、この点でも証言は一致しなかった。
そこで大祭司が立ち上がり、真中に進み出てイエスに尋ねて言った。
「何も答えないのですか。この人たちが、あなたに不利な証言をしていますが、これはどうなのですか。」
しかし、イエスは黙ったままで、何もお答えにならなかった。
大祭司は、さらにイエスに尋ねて言った。「あなたは、ほむべき方の子、キリストですか。」
そこでイエスは言われた。
「わたしは、それです。人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見るはずです。」

すると、大祭司は、自分の衣を引き裂いて言った。
「これでもまだ、証人が必要でしょうか。
あなたがたは、神をけがすこのことばを聞いたのです。どう考えますか。」
すると、彼らは全員で、イエスには死刑に当たる罪があると決めた。
そうして、ある人々は、イエスにつばきをかけ、御顔をおおい、こぶしでなぐりつけ、「言い当てて見ろ。」などと言ったりし始めた。
また、役人たちは、イエスを受け取って、平手で打った。

ペテロが下の庭にいると、大祭司の女中のひとりが来て、
ペテロが火にあたっているのを見かけ、彼をじっと見つめて、言った。
「あなたも、あのナザレ人、あのイエスといっしょにいましたね。」
しかし、ペテロはそれを打ち消して、「何を言っているのか、わからない。見当もつかない。」と言って、出口のほうへと出て行った。
すると女中は、ペテロを見て、そばに立っていた人たちに、また、「この人はあの仲間です。」と言いだした。
しかし、ペテロは再び打ち消した。
しばらくすると、そばに立っていたその人たちが、またペテロに言った。
「確かに、あなたはあの仲間だ。ガリラヤ人なのだから。」
しかし、彼はのろいをかけて誓い始め、「私は、あなたがたの話しているその人を知りません。」と言った。
するとすぐに、鶏が、二度目に鳴いた。
そこでペテロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは、わたしを知らないと三度言います。」というイエスのおことばを思い出した。
それに思い当たったとき、彼は泣き出した。

夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老や律法学者たちと共に、
つまり最高法院全体で相談した後、イエスを縛って引いて行き、ピラトに渡した。
ピラトがイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、
イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と答えられた。
そこで祭司長たちが、いろいろとイエスを訴えた。
ピラトが再び尋問した。
「何も答えないのか。彼らがあのようにお前を訴えているのに。」
しかし、イエスがもはや何もお答えにならなかったので、ピラトは不思議に思った。

ところで、祭りの度ごとに、ピラトは人々が願い出る囚人を一人釈放していた。
さて、暴動のとき人殺しをして投獄されていた暴徒たちの中に、バラバという男がいた。
群衆が押しかけて来て、いつものようにしてほしいと要求し始めた。
そこで、ピラトは、「あのユダヤ人の王を釈放してほしいのか」と言った。
祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。
祭司長たちは、バラバの方を釈放してもらうように群衆を扇動した。
そこで、ピラトは改めて、
「それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者は、どうしてほしいのか」
と言った。
群衆はまた叫んだ。「十字架につけろ。」
ピラトは言った。「いったいどんな悪事を働いたというのか。」
群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び立てた。
ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。
そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。
兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、
部隊の全員を呼び集めた。
そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、
「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼し始めた。
また何度も、葦(あし)の棒で頭をたたき、唾(つば)を吐きかけ、
ひざまずいて拝んだりした。
このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。
そして、十字架につけるために外へ引き出した。

そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、
田舎から出て来て通りかかったので、
兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。
そして、イエスをゴルゴタという所――その意味は「されこうべの場所」――に
連れて行った。
没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。
それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、
その服を分け合った、
だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。
イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。
罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。
また、イエスと一緒に二人の強盗を、
一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。
<こうして、「その人は犯罪人の一人に数えられた」という聖書の言葉が実現した。> そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。
「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、
十字架から降りて自分を救ってみろ。」
同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、
代わる代わるイエスを侮辱して言った。
「他人は救ったのに、自分は救えない。
メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。
それを見たら、信じてやろう。」
一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。

昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。
三時にイエスは大声で叫ばれた。
「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」
これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」
という意味である。
そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、
「そら、エリヤを呼んでいる」と言う者がいた。
ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、
「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、
イエスに飲ませようとした。
しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。
すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。
百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。
そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、
「本当に、この人は神の子だった」と言った。

また、遠くのほうから見ていた女たちもいた。
その中にマグダラのマリヤと、小ヤコブとヨセの母マリヤと、またサロメもいた。
イエスがガリラヤにおられたとき、いつもつき従って仕えていた女たちである。
このほかにも、イエスといっしょにエルサレムに上って来た女たちがたくさんいた。

すっかり夕方になった。その日は備えの日、すなわち安息日の前日であったので、
アリマタヤのヨセフは、思い切ってピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願った。
ヨセフは有力な議員であり、みずからも神の国を待ち望んでいた人であった。

ピラトは、イエスがもう死んだのかと驚いて、百人隊長を呼び出し、イエスがすでに死んでしまったかどうかを問いただした。
そして、百人隊長からそうと確かめてから、イエスのからだをヨセフに与えた。
そこで、ヨセフは亜麻布を買い、イエスを取り降ろしてその亜麻布に包み、岩を掘って造った墓に納めた。墓の入口には石をころがしかけておいた。
マグダラのマリヤとヨセの母マリヤとは、イエスの納められる所をよく見ていた。

注:< >内の訳文は、底本に節が欠けている個所の異本によるものです。

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