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教会カレンダー

C年 年間第12主日

第1朗読 ゼカリヤ書 12章10~11、13章1節

第2朗読 ガラテヤの信徒への手紙 3章26~29節

福音朗読 ルカによる福音書 9章18~24節

今日の福音で、イエスはご自分の歩まれる道を弟子にはっきりと宣言されます。
 この宣言に先立ちイエスは、「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と問われます。

預言者をはじめ、御父のご意志に従う人が歩む道をイエスは歩まれ、その道をご自分に従う人も歩むように招かれます。
 この招きに、あなたはどう答えますか。

* * * * * *

第1朗読では、12の小預言書の11番目の書であるゼカリヤ書から読まれます。
 ゼカリヤ書は1部(1~8章)、2部(9~14章)に分かれ、2部は「第2ゼカリヤ書」とも呼ばれ、小預言書の中でも最も理解に困難な書とも言われています。

今日読まれる12章は、苦難の後に訪れるエルサレムの救いについて歌っています。
 「自らが刺し貫いた者であるわたし」についても、預言者イザヤが告げたような「主のしもべ」を指していると言われています。

ゼカリヤは、刺し殺されたある歴史的な人をいたむ民の嘆きと、その殉教のような死を見つめ、仰ぎ見ることにより与えられる恵みを神秘的に語っていますが、彼が預言していたことが実際に何を意味していたかは、イエスの受難と死をもってはじめて理解されることです。

「初子の死を悲しむ」と言えば、出エジプトの時のこと、幼子殉教者のことを思い出されませんか。このことは地上における最大の嘆きと考えられています(出エジプト 12.29~、ルカ 2.16~ 参照)。
 地上の人々は、大きな嘆きの中、救いがよき牧者イエスによって成し遂げられるのです。

「憐れみと祈りの霊を注ぐ」とはじまる今日の第1朗読を、新約の光で味わってはいかがですか。この視点で、今日の答唱詩編を心からのうめきをもって祈りましょう。

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第2朗読は、「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれた神の子なのです」とはじまるパウロのガラテヤの信徒への手紙からです。

ガラテヤの教会の中にキリストの福音を曲げて教えたり、信じたりしている人がいることを知り、キリストがどのような福音をもたらしてくださったかを説きます。当時はキリストへの信仰がユダヤ教の一派なのか、世界に広げられたものなのかの瀬戸際にありました。

パウロは、民族、地位、性……を超えたキリストの福音の普遍性を、人一倍感じとっていました。ガラテヤの信徒への手紙が打ち出した線は、あらゆる区別を超えて、キリストとその信徒たちが一つになることを説いたすばらしいテキストです。

パウロの言葉は、当時革命的とも言えるほどに衝撃的でした。キリストへの信仰がもつ意味は何か、パウロは問いかけています。

それにしても「洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ている」とは、なんという表現でしょうか。パウロのガラテヤの信徒への手紙は、他の言い方でも言われていますが、キリストとの内在的な、しかも親密な関わり、深い交わりの関係を言っています。

「聖パウロ、普遍性の聖者」とパウロ家族の創立者アルベリオーネ神父は言っています。この使徒パウロの心にならい、すべての人を心に抱き、あらゆる問題において、キリスト、そして教会の存在を感じさせたいものです。パウロの述べる今日の手紙は、今も私たちにキリスト同様広い心、普遍的な心を抱くようになげかけてきます。

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今日の福音は、イエスをキリストと宣言したペトロの信仰告白と、イエスが第1回目の受難予告をするルカの福音書からです。

「イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちは共にいた」と今日の福音の冒頭にあります。ルカはいつも重大な決断をする場面では、イエスが祈られることを伝えています。祈りこそ、神のいのちを心に充電します。私たちもイエスと一緒に祈る弟子でありたいです。
 この弟子にイエスは「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」とお尋ねになります。

弟子たちが応えると、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と問われます。どきっとさせられる一言です。あなたは、なんとこたえるのでしょうか。

ルカは、イエスに出会う人の「この人はいったい何者なのだろうか」との問いに、ペトロをして今日の福音を通して答えています。

ペトロの出す答えは、「神からのメシアです」ということです。「神からの」という語はルカの視点のようです。これをつけることにより、ルカはイエスと神との緊密な関係、しかも苦しみを共に担うという関係、交わりを言っています。ペトロの信仰告白は共観福音史家全員が書いているものです。比較してみるといいでしょう。

ペトロの答えを聞いたイエスは、「このことをだれにも話さないように命じて」から、受難を予告します。

人の子は必ず多くの苦しみを受け、
長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、
三日目に復活することになっている。

 と。

このメシアの受難の神秘を理解できない弟子もいます。イエスは、このような弟子をも伴いこの道を歩まれます。「神からのメシア」は受難の道を歩むべきものなのです。
 そして、イエスの後に従いたい人に、イエスはこう招かれます。

わたしについて来たい者は、自分を捨て、
日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、
わたしのために命を失う者は、それを救うのである。

イエスが先にこの道を歩まれました。「日々、自分の十字架を背負う」、日々十字架を背負うということは、イエスの心であり、ルカのメッセージです。
 このイエスの招き、このイエスの心をあらたに聞き直す一日としてはいかがでしょうか。

祈り

聖なる父よ、
  あなたをいつも敬い、愛する心をお与えください。
  あなたを愛して、生きる者は見捨てられることがないからです。
   集会祈願より

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第1朗読 ゼカリヤ書 12章10~11、13章1節

わたしはダビデの家とエルサレムの住民に、憐れみと祈りの霊を注ぐ。
彼らは、彼ら自らが刺し貫いた者であるわたしを見つめ、
独り子を失ったように嘆き、初子の死を悲しむように悲しむ。

その日、エルサレムには
メギド平野におけるハダド・リモンの嘆きのように
大きな嘆きが起こる。

その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、
罪と汚れを洗い清める一つの泉が開かれる。

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第2朗読 ガラテヤの信徒への手紙 3章26~29節

あなたがたは皆、信仰により、
キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。

洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、
キリストを着ているからです。

そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、
奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。
あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。

あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、
とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、
約束による相続人です。

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福音朗読 ルカによる福音書 9章18~24節

イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちは共にいた。
そこでイエスは、
「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。

弟子たちは答えた。
「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。
ほかに、『エリヤだ』と言う人も、
『だれか昔の預言者が生き返ったのだ』と言う人もいます。」

イエスが言われた。
「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」
ペトロが答えた。「神からのメシアです。」

イエスは弟子たちを戒め、
このことをだれにも話さないように命じて、
次のように言われた。
「人の子は必ず多くの苦しみを受け、
長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、
三日目に復活することになっている。」

それから、イエスは皆に言われた。
「わたしについて来たい者は、自分を捨て、
日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。

自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、
わたしのために命を失う者は、それを救うのである。

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