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教会カレンダー

C年 年間第15主日

第1朗読 申命記 30章10~14節

第2朗読 コロサイの信徒への手紙 1章15~20節

福音朗読 ルカによる福音書 10章25~37節

神の愛に立ち返る、これが今日のテーマです。

「御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にある」。
 神の御言葉は、遠いところにあるのではなく、ごく身近にあると、今日の第1朗読と福音は伝えています。

福音書では、律法の専門家が、何をしたら永遠のいのちを得られるかと質問し、これに対してイエスは、「律法には何と書いてあるか、あなたはそれをどう読んでいるか」と問い返されました。
 律法の専門家は、どうしたら、なにをしたら永遠のいのちを得られるかということは、知り過ぎるほど知っていたのです。

真の律法とは、神の言葉であり、神に立ち返ることであると、モーセは申命記の中でイスラエルの民にさとしています。神に立ち返る、神の愛に立ち返るとき、人は神の言葉を行う者となります。

* * * * * *

今日の第1朗読は、申命記からです。申命記は、「モーセ五書」の第5番目の書です。
 モーセに率いられた民が荒野の旅を終え、カナンの入り口、モアブの地の北端にたどりついた時に、モーセは、荒野の旅を振り返り、シナイの契約の精神をもう一度民に説き聞かせ、約束の地でどのように生きたらよいかについて教える、いわば、モーセの遺言書です。同時に申命記は、契約文書の形をとっています。

「あなたが、あなたの神、主の御声に従って、……この律法の書に記されている戒めと掟を守り、心を尽くし、魂を尽くして、あなたの神、主に立ち帰るから」とはじまる今日の朗読です。

この命令は、難しいものではなく、遠く及ばぬものでもないと、モーセは言います。
 「御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる」と。

神は、一人ひとりの心に語りかけておられるのです。

パウロはローマの信徒への手紙の中で、「御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある」を引用し、「これは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉なのです」と述べています。

神の言葉が一人ひとりを生かす内的な原理となる、神は人の心の中にみ言葉を刻んでくださっているのです。この現実を味わい、み言葉が私たち一人ひとりの心に染み渡るように祈りましょう。

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第2朗読は、コロサイの信徒への手紙からです。当時、コロサイの教会では、福音の真理を根本的にゆがめるような「むなしいだまし事」の哲学が広まっており、それを聞いたパウロは、手紙を書き、キリストがどのような方であるかを語っています。今日読まれる箇所は、初代教会に伝えられていたキリスト論の本質について述べるキリスト讃歌から、パウロが引用して語ったものです。

この讃歌は、15~18aと8b~20の2部に分かれていて、どちらも「彼はある」ではじまっています。どちらも「御子」がテーマとなっていて、彼の姿が描写されています。

パウロはこの讃歌を引用しながら、キリストの死の出来事がもたらした和解について思い起こさせながら、その信仰にとどまるように勧めています。

神は、「十字架の血によって平和を打ち立て、……万物をただ御子によって、御自分と和解させられました」。この事実をおしいただく日といたしましょう。

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今日の福音は、「永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」との律法の専門家の質問ではじまり、その回答は、25~28節にあります。その後半は29~37節で、前半の回答を受けての質問、「では、わたしの隣人とはだれですか」ではじまります。

後半部で、イエスは「よきサマリア人」のたとえを話されます。このたとえ話はルカ福音書だけが伝えています。

イエスは、他者とは、私にとっての隣人とは誰なのかを、たとえ話をとおして具体的に示されます。

そして、「あなたも行って同じようにしなさい」とイエスは言われます。
 イエスのたとえ話の最後の言葉は、なんと心に響くことでしょうか。
 隣人とは誰かという定義を求める心から、自分が隣人となるとの姿勢の転換。これは自分自身の力のみによってできることではありません。弱さ、不足……を見て、「そばに来ると、その人を見て憐れに思う」愛を体験してはじめて可能になるのです。

 ・ある祭司がたまたまその道を下って来たが、
    その人を見ると、道の向こう側を通って行った。

 ・レビ人もその場所にやって来たが、
    その人を見ると、道の向こう側を通って行った。

祭司、レビ人は、神殿で神に仕えることを使命としている人々です。

 ・旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、
    その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。

サマリア人とは、イスラエル人とアッシリアから移住してきた異邦人との混血の種族で、異邦人の世界に触れているため、当時のユダヤ人社会では、異端者と見なされ、軽べつされ、社会の枠組みからはずされ、差別されていた人々でした。

最も軽べつされているサマリア人をたとえに使って語られたイエス、この中に当時のユダヤ社会へのイエスの批判があります。

また、頭では神を理解しながら、実践に欠く信仰者に対する警告も含まれています。

イエスはサマリア人、ユダヤ人という区別を越えています。手をさしのべないと、死んでしまう人の現実を前にして、心動かされたこのサマリア人は傷ついた人に駆け寄っていきます。

「憐れに思う」というギリシャ語の動詞は、「はらわた(スプランクノン)」から派生した動詞で、はらわたのふるえるような思い、コンパッションをあらわし、共観福音書に12回使用されています。そのうち9回はイエスに使われていて、神が人間に抱く思いを述べています。
 ここに登場するサマリア人によって、神、そしてイエスを表しています。

いろいろの理由があっても、「私たちの心を動かしているものは何か」との課題、隣人は誰で「ある」かではなく、自分が自ら隣人と「なる」ように招かれていることを、イエスは一人ひとりに投げかけているのではないでしょうか。

自分の中のサマリア人、祭司、レビ人、律法学者を絵に描いてみながら、「あなたも行って同じようにしなさい」と、今日、典礼が投げかける課題を祈ってみませんか。

祈り

いつくしみ深い父よ、、
  人とのかかわりを見失い、
  愛に飢え渇く世界に、
  主イエスは、
  ことばと行いをとおして愛をもたらしてくださいました。
  わたしたちが、きょう語られるキリストのことばを、
  誠実に受け止めることができますように。
   集会祈願より

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第1朗読 申命記 30章10~14節

あなたが、あなたの神、主の御声に従って、
この律法の書に記されている戒めと掟を守り、
心を尽くし、魂を尽くして、あなたの神、主に立ち帰るからである。

わたしが今日あなたに命じるこの戒めは難しすぎるものでもなく、
遠く及ばぬものでもない。

それは天にあるものではないから、
「だれかが天に昇り、わたしたちのためにそれを取って来て聞かせてくれれば、
それを行うことができるのだが」と言うには及ばない。

海のかなたにあるものでもないから、
「だれかが海のかなたに渡り、
わたしたちのためにそれを取って来て聞かせてくれれば、
それを行うことができるのだが」と言うには及ばない。

御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、
それを行うことができる。

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第2朗読 コロサイの信徒への手紙 1章15~20節

御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。

天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、
王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。
つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。

御子はすべてのものよりも先におられ、
すべてのものは御子によって支えられています。

また、御子はその体である教会の頭です。
御子は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。
こうして、すべてのことにおいて第一の者となられたのです。

神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、

その十字架の血によって平和を打ち立て、
地にあるものであれ、天にあるものであれ、
万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。

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福音朗読 ルカによる福音書 10章25~37節

すると、ある律法の専門家が立ち上がり、
イエスを試そうとして言った。
「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」

イエスが、「律法には何と書いてあるか。
あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、

彼は答えた。
「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、
あなたの神である主を愛しなさい、
また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」

イエスは言われた。
「正しい答えだ。それを実行しなさい。
そうすれば命が得られる。」

しかし、彼は自分を正当化しようとして、
「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。

イエスはお答えになった。
「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、
追いはぎに襲われた。
追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、
半殺しにしたまま立ち去った。

ある祭司がたまたまその道を下って来たが、
その人を見ると、道の向こう側を通って行った。

同じように、レビ人もその場所にやって来たが、
その人を見ると、道の向こう側を通って行った。

ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、
その人を見て憐れに思い、

近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、
宿屋に連れて行って介抱した。

そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、
宿屋の主人に渡して言った。
『この人を介抱してください。
費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』

さて、あなたはこの三人の中で、
だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」

律法の専門家は言った。
「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。
「行って、あなたも同じようにしなさい。」

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