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教会カレンダー

C年 年間第30主日

第1朗読 シラ書 35章15b~17節、20~22a

第2朗読 テモテへの手紙二 4章6~8、16~18節

福音朗読 ルカによる福音書 18章9~14節

神様、罪人のわたしを憐れんでください。
                  (ルカ 18.13)

今日のテーマは、貧しい者、へりくだる者の祈りを神は聞かれるということです。

第1朗読のシラ書では、神にささげる真のささげ物は、へりくだる人の祈りであることを説いています。

神がいつも貧しい人々をあわれまれるということは、イスラエルの信仰の根底(出エジプト 22.22-25、申命記 10.7、ヨエル 5.16など)をなしていましたが、今日の朗読もそれを示しています。

主はことに貧しい人、虐げられている人、みなしご、やもめなどを守り、愛され、顧みられ、その祈りを聞き入れられます。

あなたはどのような告白、祈りを主にささげるのでしょうか。

* * * * * *

第1朗読ではシラ書が読まれます。シラ書は、旧約聖書の中では新しい時代のものです。それは格言を集めたもので、1~23章、24~50章と2部に大別されます。この書のはじめには知恵の賛辞が述べられています。

「主は裁く方であり、人を偏り見られることはない」と今日の朗読ははじまります。シラ書が書かれた紀元前2世紀ごろのパレスチナは、シリアの支配下にあり、ギリシャ化政策がしかれていました。そのためにイスラエルの民の信仰生活は混迷したのです。そこで著者は、イスラエルの宗教的、文化的遺産を守ること、父祖からの信仰に立ち返るようにと呼びかけます。

神が貧しい人のそばにおられるということは、イスラエルにとって伝統的な教えです。
 聖書が伝える神は、神の偉大さ、力強さ、美しさ……だけを述べるのではなく、この神が歴史の深みと底に下られるということです。神のへりくだりです。

この神のいつくしみは、歴史のただ中へ介入され、神は小さい者、弱い者、虐げられ、捨てられた人に向かわれるのです。

謙遜と温順はイスラエルにとって大切な要素であり、人は神の前に無であると自覚していました。このような視点から今日の朗読を読み直すと、福音書とのつながりも見えてきます。

* * * * * *

4回にわたってテモテ書II を読んできましたが、今日読む箇所は、パウロがそれを結ぶに当たって、あたかも遺言書のように書いた言葉です。

「いけにえとして捧げられる」、「世を去る時」などの言葉から、私たちは、パウロの殉教の覚悟をうかがい知ることができます。

パウロは、生涯を戦いにたとえ、神の審判に信頼して身をゆだねています。主のしもべとして生涯を全うしようとしている彼は、ともにいてくださる神への信頼を力強く伝えます。このパウロの確信は、初代教会の信仰心をよくあらわしているといえます。

パウロが、主がそばにおられて、力づけ、悪のわざから助け出し、神の言葉を受け取った喜びを明言して伝えれくれている今日の朗読を何回も何回も読み、かみしめ、彼がもっていた確信をしみとおらせるようにする1日としてはいかがでしょうか。

* * * * * *

今日の福音書に登場するファリサイ人は、「わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています」、つまり、律法の規定以上に断食し、税も納めていると神に感謝の祈りをします。

イエス時代の徴税人とは、地方税の徴収を請け負っているとして、民の税の収入をかすめ取ることが多く、人々からは遠ざけられていた人でした。

今日の福音に登場する徴税人は、「遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』」と祈っていました。

神はこの告白を聞き入れ、その人を正しいとされます。つまり、ゆるしが与えられたのです。

「義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない」、このイエスの言葉をあなたはどのように聞きますか。

反論しますか。それとも……?

自分が信じている正しさの規準で裁くのか、神の正しさで裁くのか。今日は、自分が正しいと思いこんでいる規準について、振り返ってみるように招かれているのではないでしょうか。

神のところに届く祈りについて、今日は祈っていきましょう。

祈り

恵み豊かな神よ、
  わたしたちが自分のありのままを差し出すとき、
  あなたは大きな愛をもって受けとめてくださいます。
  ともに祈るわたしたちが、
  あなたにすべてをゆだねることができますように。
   集会祈願より

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第1朗読 シラ書 35章15b~17節、20~22a

主は裁く方であり、人を偏り見られることはないからだ。

貧しいからといって主はえこひいきされないが、
虐げられている者の祈りを聞き入れられる。

主はみなしごの願いを無視されず、
やもめの訴える苦情を顧みられる。

御旨に従って主に仕える人は受け入れられ、
その祈りは雲にまで届く。

謙虚な人の祈りは、雲を突き抜けて行き、
それが主に届くまで、彼は慰めを得ない。

彼は祈り続ける。いと高き方が彼を訪れ、

正しい人々のために裁きをなし、
正義を行われるときまで。

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第2朗読 テモテへの手紙二 4章6~8、16~18節

わたし自身は、既にいけにえとして献げられています。
世を去る時が近づきました。

わたしは、戦いを立派に戦い抜き、
決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。

今や、義の栄冠を受けるばかりです。
正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。
しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、
だれにでも授けてくださいます。

わたしの最初の弁明のときには、だれも助けてくれず、
皆わたしを見捨てました。
彼らにその責めが負わされませんように。

しかし、わたしを通して福音があまねく宣べ伝えられ、
すべての民族がそれを聞くようになるために、
主はわたしのそばにいて、力づけてくださいました。
そして、わたしは獅子の口から救われました。

主はわたしをすべての悪い業から助け出し、
天にある御自分の国へ救い入れてくださいます。
主に栄光が世々限りなくありますように、アーメン。

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福音朗読 ルカによる福音書 18章9~14節

自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、
イエスは次のたとえを話された。

「二人の人が祈るために神殿に上った。
一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。

ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。
『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、
姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者
でもないことを感謝します。

わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』

ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、
胸を打ちながら言った。
『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』

言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、
あのファリサイ派の人ではない。
だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。

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