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教会カレンダー

C年 復活節第4主日

第1朗読 使徒言行録 13章14、43~52節

第2朗読 ヨハネの黙示録 7章9、14b~17節

福音朗読 ヨハネによる福音書 10章27~30節

復活節第4主日は、毎年「よい牧者」をテーマとしています。ですから、「よい牧者の主日」と言われています。

救いの神秘が、「よい羊飼い」キリストの姿によって示されています。この「よい牧者」は、復活節の代表的なキリスト像です。これは、また、ローマにおけるキリスト教迫害時代、カタコンブと呼ばれるキリスト教地下墓地に描かれ、その後も今日にいたるまで広く愛されたキリスト像です。

第1朗読では、主の模範に従って迷った羊を探し求める使徒の姿が、第2朗読では、牧者と羊の栄光のときが描かれています。

今日は同時に、「召命祈願日」です。教皇は、この「召命祈願日」のためにメッセージを送られます。
 今年のテーマは、「召命の母である教会」です。このためにも祈りましょう。

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今日第1朗読で読まれる使徒言行録は、使徒パウロの第1回宣教旅行での出来事です。

パウロは最初にユダヤの人々に宣教し、そこで受け入れられなかった時に異邦人に向かいます。ユダヤ人が彼の宣教を拒否した時、彼らに警告し、その後救いが異邦人に及ぶことを述べます。この方法は旧約の預言者たちの中にみられ、なによりもイエスご自身の方法でもありました。

パウロの語る言葉を聞こうと多くの人が集まることをねたむユダヤ人は、差し出された救いを拒みます。

その反応にパウロはイザヤ預言書の言葉を引用して答えます。
わたしは、あなたを異邦人の光と定めた、
あなたが、地の果てにまでも
救いをもたらすために。

こうしてユダヤ人の拒否も神のご計画であることを述べながら、ルカは神の言葉が地の果てまで行き渡ることを意図しているのです。

パウロたちは迫害され、その地から追い出され、彼らはイエスの教えどおりに他の地に向かっていきます。

パウロは宣教の旅のなかで、異邦人の使徒としての自らの使命を自覚します。
 どんなことの中にも、勇敢に神の言葉を語るパウロたちの宣教旅行を地図をおいながら共にし、洗礼を受けたキリスト者はみなだれでも宣教をする使命を受けていることを、振り返ってみたいものです。

「弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた」と終わる今日の第1朗読ですが、とても心に響いてきます。あなたはどうですか。

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第2朗読では、先週に続いて黙示録が読まれます。
 黙示録は、
  (1) 7つの教会への手紙(1.9~3.22)
  (2) バビロンへの災いと裁き(4.1~18.24)
  (3) 新しい天と地、新しいエルサレムの出現(19.1~22.5)
と大きく分けられます。
 今日の朗読は、(2) に属しています。

ヨハネは幻に垣間見た天上の礼拝において神の右の手に巻物があるのを見ますが、この巻物は7つの封印によって封じられています。この封印を解くことができるのは、「屠られたような小羊」、つまり、イエス・キリストです。

小羊は、神から渡された巻物のこの7つの封印を次々に解いていきます。第7の封印が解かれる前に、ヨハネは天上の信徒たちの大群衆をみます。

刻印を押されたイスラエルの子ら(1~8節)と白い衣を着た大群衆(9~17節)です。この白い衣を着た大群衆は、殉教者です。「小羊の血」によって洗われた白い衣は、神への信仰を貫いた者の勝利のしるし(5.7参照)です。彼らは喜びを表すなつめやしの枝を手に持ち、玉座の前と小羊の前に立って賛美をささげています。

「昼も夜もその神殿で神に仕える」人たちの上に「幕屋を張る」。この「幕屋を張る」というのは、民への神の現存を意味します。

この黙示録が書かれた時代、教会は迫害に苦しんでいますが、この人々への神の支配と保護が約束されます。
 「彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく……小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導き、神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれるからである」との結びの言葉は、牧者の導きを語っていますが、なんと力強く、信頼の心をわかす慰め深い言葉として響いてきませんか。
 ゆっくりとかみしめ味わいたいみ言葉です。

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今日福音で読まれる箇所の前の部分ヨハネ10章は、羊飼いと羊のたとえ(1~6節)、よい羊飼い(7~18節)、ユダヤ人たちの疑いとイエスに対する質問(22~24節)となっています。

今日読まれる福音書は、神殿奉献記念祭の日に、神殿のソロモンの廊を歩いていたイエスをイスラエルの人々が取り囲み、キリストならはっきり言って欲しいと迫ったときのイエスの答えが、今日の福音、27~30節です。

「わたしと父とは一つである」との回答を与える前に、イエスはご自分と民との関係を羊飼いのたとえで話されているのは、非常に興味深いものがあります。この短い節の中にイエスと私たち、御父との愛深い関係が見事に描かれています。

27~28節を読むと、「私」と「私の羊」との関わりがどれほど強いものであるかがわかります。

牧者と羊のつながりは、長い間牧畜生活をしていたイスラエルの民にとって、とても強いものでした。ですから、これを聞く人々には、イエスのお言葉は心に語りかけるものがありました。

牧者は、野獣や略奪者から、羊を命がけで守っていました。中でも弱い羊には特別に心をかけ、群れから離れないようにと導いていました。牧者は羊の群れを導くと同時に、共に歩むものでした。ですから、イエスは、ご自分と民との関係を牧者にたとえてお示しになります。

このよい牧者キリストと私たちの結びつきは、まず「声を聞く」ことからはじまります。聞くことからイエスとの関係の第一歩が、はじまるのです。

ヨハネにとって、「聞く」、「知る」……という動詞は、キーとなる言葉です。このようなキーになる言葉で福音書全体を読み直してみると、発見があり、そのコンテキストの中で今日の福音を読んでいくのも、興味深いことです。

祈り

救いの源である神よ、
  まことの過越(すぎこし)の小羊であるイエスは、
  すべての羊にいのちを与えるために自ら苦しみをお受けになりました。
  主の過越をともに祝うわたしたちを、
  キリストの愛といのちで満たしてください。
   集会祈願より

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第1朗読 使徒言行録 13章14、43~52節

パウロとバルナバはペルゲから進んで、
ピシディア州のアンティオキアに到着した。
そして、安息日に会堂に入って席に着いた。

集会が終わってからも、
多くのユダヤ人と神をあがめる改宗者とがついて来たので、
二人は彼らと語り合い、神の恵みの下に生き続けるように勧めた。

次の安息日になると、
ほとんど町中の人が主の言葉を聞こうとして集まって来た。

しかし、ユダヤ人はこの群衆を見てひどくねたみ、
口汚くののしって、パウロの話すことに反対した。

そこで、パウロとバルナバは勇敢に語った。
「神の言葉は、まずあなたがたに語られるはずでした。
だがあなたがたはそれを拒み、
自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている。
見なさい、わたしたちは異邦人の方に行く。

主はわたしたちにこう命じておられるからです。
『わたしは、あなたを異邦人の光と定めた、
あなたが、地の果てにまでも
救いをもたらすために。』」

異邦人たちはこれを聞いて喜び、主の言葉を賛美した。
そして、永遠の命を得るように定められている人は皆、信仰に入った。

こうして、主の言葉はその地方全体に広まった。

ところが、ユダヤ人は、
神をあがめる貴婦人たちや町のおもだった人々を扇動して、
パウロとバルナバを迫害させ、その地方から二人を追い出した。

それで、二人は彼らに対して足の塵を払い落とし、イコニオンに行った。
他方、弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。

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第2朗読 ヨハネの黙示録 7章9、14b~17節

この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って[いた。]

長老はまた、わたしに言った。
「彼らは大きな苦難を通って来た者で、
その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。

それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、
昼も夜もその神殿で神に仕える。
玉座に座っておられる方が、
この者たちの上に幕屋を張る。

彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、
太陽も、どのような暑さも、
彼らを襲うことはない。

玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、
命の水の泉へ導き、
神が彼らの目から涙をことごとく
ぬぐわれるからである。」

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福音朗読 ヨハネによる福音書 10章27~30節

わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。
わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。

わたしは彼らに永遠の命を与える。
彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。

わたしの父がわたしにくださったものは、
すべてのものより偉大であり、
だれも父の手から奪うことはできない。

わたしと父とは一つである。」

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