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第2バチカン公会議から50年

これからの教会に望むこと

池長 潤(いけなが じゅん)

カトリック大阪大司教区大司教

このたびフランシスコ教皇が生まれたことは、世界に11億人を超える信者を持つカトリック教会にとっても、教会外の世界にとっても画期的な出来事であったと思われる。私は、日本の教会を代表して着座式に出席したが、ローマに入るなり、新教皇のエピソードが次々に飛び込んできた。

新教皇が、新調されることになっている赤い靴を断った、教皇が着る白いスータンも今まで自分が着ていたものでいいと古いもので通した、教皇用のとてもきれいなミトラを新しく作ろうとしていると、すでにかぶっているものでよいからと拒否した、などなど。自分たちの枢機卿が教皇に選ばれた! と歓喜したアルゼンチンの司教たちが、就任式に参加しようと意気込んでいるところに教皇から電話があり、来なくていい、と言われた。弟が教皇になってだれよりも喜んでローマに行こうと思っていたお姉様も、あなたは来なくていい、と言われた。

これらのすべての理由は、無駄にお金を使うよりも、困っている貧しい人のために使いなさい、というところにあった。バチカンも、これまでの慣例が片っ端から破られることに大きな戸惑いを感じているが、バチカン内部の刷新だけでなく、全世界の教会も新教皇のもとで、さまざまな面ですばらしい変貌を遂げていけばよいのだが。

教会がこれからの世界に対応できるように集められた第2バチカン公会議から50年を迎え、公会議の方針に沿って日本の教会もどのように変化し、さらにこれからどういうところを刷新すればよいかを点検してみる必要がある。そこでもっとも気になるところを取り上げようと思う。

これは先進国に共通する特徴と言われているが、わが国でも信徒の高齢化が目立つ。若者の教会離れが著しく、司祭・修道者になりたいと望む青年が非常に少ない。洗礼人口がひと昔前に比べるとずい分減っている。宗教に対する興味そのものがうすくなっている。日本人は、目に見える世界や物質的な世界のみに関心を示す。いい大学に行き、経済的に安定した社会生活を送れるようになるために、学校のほかに塾や予備校に通い、入学試験に成功するように必死で勉強する。宇宙を超えた存在や霊界などには興味を示さない。死はタブーであり、死後の世界を考えようとしない。医学は肉体的な病を治すためのものであり、対象は科学が扱うことができるものだけであるから、病院でも人間の魂や精神は放置されている。だから、もはや医学で癒すことができず死を待つ人は「これからの自分」の問題に悩むが、だれも相手にしてくれない。3月11日大震災が起きた同じ時刻に、全国で黙祷するとき、ほとんどの人たちは、犠牲になった方々が、亡くなられてからも死後の世界で安らかであるように祈っているに違いない。にもかかわらず普通の生活に戻れば、死後の世界のことを考えようとはしない。一般に、いわゆる先進国の人々は、化学の対象となる世界だけにしか関心がない。だから宣教は非常にむつかしく、宗教を深めることは至難のわざである。

キリスト教がザビエルによって日本に伝えられてから、450年以上経つが、現在まで信徒の数は伸び悩んでいる。それには先進国であるだけではない、わが国固有の理由もある。日本人は、葬式はお寺で、結婚式は教会で、と特定の宗教にこだわらない。汎神論が人の心に深く入っている。初詣に見られるように、ご利益を求めることが宗教的行動に多い。仏教徒を装いながら250年以上も信仰を守り抜いた潜伏キリシタンに、自分たちとかけ離れた違和感を持つ人もいる。このほかに、罪を罰する「父なる神」を強調するヨーロッパのキリスト教と合わない感性の違いもある。遠藤周作が指摘するように、日本人は罪を許す「母なる神」のほうにひかれる。

しかし、宣教が難しいとは言え、困難を乗り越えて日本人にキリスト教を伝えることはきわめて大切である。今、安倍首相と自民党や維新の会は、憲法改正に踏み切ろうとしている。首相は、「国防軍の創設」や「集団的自衛権の行使」を公然と繰り返している。しかし、日本人が人間性をしっかり回復しないで再び武器をとることに大きな危険を感じる。「従軍慰安婦を連行した強制性はない」という発言が跋扈している。自殺する人が年3万人ほどいる。派遣労働などの使い捨て労働がはびこり、無差別殺傷事件が後を絶たない。いじめが深刻になっており、教育現場で体罰が問題になっている。お年寄りや社会的弱者が孤立死を遂げている。外国からの農村花嫁の人格が無視されている。日本人はまだまだ人間を大切にすることを知らない。このような状態で公然と人を殺す武器を携える「軍」を持とうと言うのか。

第2バチカン公会議は、公会議としてはじめて、教会外の世界に向かって語りかける「現代世界憲章」を出した。日本の社会に人を大切にする愛を宣教することは教会の急務である。同時に、日本固有の宣教の難しさがあればこそ、それを克服して神と神の世界の広がりを伝えることが問われている。


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