home>キリスト教入門>カテキズムを読もう第3編 キリストと一致して生きる>第201回 わたしのほかに神があってはならない –(4)

カテキズムを読もう

バックナンバー

第201回 わたしのほかに神があってはならない –(4)


◆ 神への不敬

神の第一のおきてに反するおもな罪は、神への不敬に関するものです。これにはどういうことが入るのでしょうか。以下の3つのことが挙げられます。
1. 言葉や行為によって神を試みること
2. 涜聖
3. 聖物売買

神を試みること――言葉や行いによって、神が慈しみ深く、全能なかたであるかどうかを試すことです。これは、イエス・キリストが公生活の最初に、悪魔から誘惑を受けられたことが聖書に書かれていますが、あの悪魔が荒れ野でイエスを誘惑した3つの事柄を考えてみると、よくお分かりいただけると思います。

このような試みには、神への挑戦が込められていますが、同時に、わたしたちを造り、すべてのものをお造りになった創造主である主に対して、わたしたちが払うべき崇敬と信頼に背くものなのです。そこには、常に、神の愛とその摂理、および神の権能に対する疑惑が込められているからです。

涜聖――秘跡やその他の典礼、神に奉献された人・物・場所などを汚したり、不当に取り扱ったりすることです。この中でも、聖体に対する涜聖は、特別な題材になります。ミサにおいて、パンはキリストの御からだに聖別されます。ですから、もはやパンではなく、聖体はキリストの御からだとしてわたしたちのために存在してくださっているのです。

神に奉献された人とは、わたしたちの身近におられる人として、すぐ思い浮かぶのは、教皇、司教、司祭、などです。
神に奉献された物とは、聖堂、祭壇、聖具などです。

聖物売買――使徒言行録の8章18節~20節には、魔術師シモンの話が出てきます。これでお分かりのように、金銭で霊的な物を売買することです。霊的善の源は神にあります。ですから、わたしたちは霊的善を占有し、所有者のようにふるまうことはできないのです。

前へ 

▲ページのトップへ