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第2バチカン公会議から50年

今教会は?

弘田 しずえ(ひろた しずえ)

ベリス・メルセス宣教修道女会会員

2012年4月号から始まった「第2バチカン公会議から50年」の連載が、12月号で終わることになりました。1回目の執筆をお頼まれした関係で、連載の終わる12月号の記事を書くことになりましたが、第2バチカン公会議の意味は、これまで多くの方々が、様々な視点から十分に説明されましたので、過去を振り返るよりも、第2バチカン公会議から二十一世紀の教会をどう見るかについてご一緒に考えることができたらと願っています。

今年3月から今まで、カトリック教会は教皇ベネディクト退任(交代という見方もあります)と教皇フランシスコの就任という歴史的な出来事を生きてきました。教皇フランシスコは、出身地も、所属の修道会も、選ばれた名前も、すべて歴史上始めてという「出来事」で、さらに就任以来、マスコミは密着取材を続け、「フランシスコ・フィーバー」は、まだまだ続くような雰囲気が感じられます。

バチカンを訪れる観光客で経済的に成り立っているローマ市は、教皇フランシスコ就任以来、観光客あるいは巡礼グループが激増し、水曜日に行われる一般謁見と日曜日の「お告げの祈り」に押し掛ける大群衆が、通常の四万から八万~十万に膨れ上がり、観光客相手のホテル、タクシー、レストラン、土産物のお店は、経済不況に苦しむイタリアで、教皇フランシスコさまに大感謝という現実があります。

巷の声は、「教皇フランシスコの話は分かり易い」「何よりも、人間らしい普通の人」という評価ですが、「普通の人間だから……」という評価には、ちょっと待ってよ、カトリック教会の聖職者は、普通の人間でなくなってしまったのか……と考えてしまいます。もっとも人間らしい人間であり、人間であることの意味を示してくださったイエスに従う私たちであるはずなのに、普通の人間であることが、有意義で喜ばしく、しかも珍しい現実として注目されるようになったことは、一体何なのだろうか。

普通の人間のすることが、教皇の場合には大ニュースになるのは、気軽に電話を直接かける、旅行のときに、自分で自分のカバンを持つ、宿泊したホテルの費用を払うなどの当たり前の行動が、大騒ぎされる事実に表れています。ただこれがずっと続けば、当たり前になり、皆一緒に普通の人間らしい人間になりましょうという教会になれることを願います。

第2バチカン公会議から50年たった今の教会が、「後戻り」しているという指摘も数人の方々が指摘され、公会議は教会の歴史において「断絶」か「継続」かという議論も続いていますが、教皇ベネディクトがおっしゃるように「深い継続」という理解が、より適当であると感じています。教皇フランシスコは、第2バチカン公会議について、「ファローアップが、十分になされてきませんでした。私は、ぜひこれを実現したいという謙遜と野心を持っています。」と述べておられます。ヨハネ23世が新しい聖霊降臨と言われた第2バチカン公会議の精神と実践を改めて生きる機会が、教皇フランシスコによって「深い継続」として与えられているのではないでしょうか。

世界に開いた教会

教皇フランシスコは、就任以来、教会は、外に出て、とくに周辺部に行き、そこにいる人々に出会わなければならないと訴え続けておられます。聖職者は、「羊の匂いのする牧者であるべき」という表現もそのアッピールを説明するものです。それは、教会が生身の人間と出会い、分かる言葉で語りかけ、ともに生き、寄り添い、神の優しさを人々が感じられるかかわりを生きるという招きです。

とくに第2バチカン公会議の「現代世界憲章」の言葉「現代人の喜びと希望、悲しみと苦しみ、とりわけ、貧しい人々とすべて苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、悲しみと苦しみでもある。真に人間的な事がらで、キリストの弟子たちの心のなかに反響を呼び起こさないようなものは一つもない。それは、かれらの共同体(教会)が人間によって構成されているからである」(現代世界憲章1)という呼びかけは、今教皇フランシスコとともに改めてしっかりと受け、生きる招きだと信じます。

神の民である教会

教会は、司教や司祭だけでなく、属するすべての人びとであるという「定義」は、第2バチカン公会議によってもたらされた、非常に喜ばしく歓迎された理解でした。

教皇フランシスコは、教会が「狭い考え方に固執する選ばれた少数の人の集まりではなく、喜びや苦しみを味わいながらともに旅する神の民」であると言われます。就任以来いろいろな場で話された言葉で、もっともたびたび繰り返されたのは「優しさとあわれみ」であるように、どのような人も排除することなく、受け入れる教会、「裁かない」温かさが、イエスの教会であるというメッセージも、小教区教会共同体、修道会、事業体などが、日常的なかかわりにおいて実現するきわめて有意義な使命だと思います。

ブラジルからの帰途、機内で同乗の記者たちの質問に1時間20分立ったまま答えられた中で、同性愛の人たちについて、「私は、裁くことはできない」と言われた言葉は、この優しさの具体的な表現と言えるでしょう。聖職者による権力主義への厳しい批判を続けられる教皇ですが、信徒、女性、離婚あるいは別居している方がたなど、「先の者があとになり、あとの者が先になる」イエスの福音に照らして教会が真に応えるために、これらの課題に取り組むことが求められています。

2014年のシノドスのテーマは、「家庭」と発表されていますが、これらの課題が前向きに、「ひと」に焦点をあてた教会共同体の取り組みとなりますように。

「シノドス」―ともに歩む教会

第2バチカン公会議は、「神の民」としての教会理解を具体的な教会のあり方とする「シノドス」を実現しましたが、全世界の教会の司教たちが教皇とともに教会の使命について考察する場としての「シノドス」は、1971年以来その「協働性」が十分に生かされてきませんでした。1971年のシノドスは、「世界の正義」について集まった司教たちが協議し、最終文書が発表されましたが、それ以後のシノドスは、教皇に提出された案件を教皇が参考とし、使徒的書簡として発表するというプロセスとなっています。

教皇フランシスコは、位階制教会の「協働性」を活かして、全世界から8名の枢機卿を招き、この諮問機関が、とくに教皇庁の改革を検討するために10月の初めに最初の集まりを持たれました。多くの期待が寄せられている集まりですが、教皇の「G8」とメディアが名づけた組織が、改革に取り組んでいることが、会合直後の発表の内容にうかがわれます。教皇庁を「権力の中心」ではなく、地方教会への奉仕の機関とすること、いわゆるバチカン銀行が125年の歴史上初めて外部の監査を受けいれる会計報告書を発表、シノドスのあり方の再検討、教会における信徒の位置づけの見直しなど、など。

教皇の諮問機関は、今年12月、また来年春にも、多くの課題について検討を続けると発表されています。

対話の教会

対話とは、対等の立場にある者同士が、自分とは異なった相手の「違い」を尊重し、まず自分の意見を主張するよりも、丁寧に相手の言葉に耳を傾け、互いに「変わる」ことのできるかかわりを意味しています。

ブラジル訪問の際、政界、経済界、宗教家、知識文化人など社会の指導者たちとの出会いで「利己的無関心、暴力的抵抗ではなく、あくまでも建設的対話」を強調され、個人、家族、社会が健全な成長をとげるためには、対話以外の道のないことを、繰り返し訴えられました。

就任後数か国語で出版された枢機卿時代の著書の序文は、友人のユダヤのラビが描き、教皇就任後も世界平和のために宗教者が対話協力をする必要性を強調されています。さらに、無神論者として知られている著名なジャーナリストが、イタリアの日刊紙「ラ・レップブリカ」に掲載した教皇へのオープンレターにたいして、丁寧な返事を発表されたことも話題となりました。

教皇は、この中で信仰者が違う考えをもつ他者と対話することは、「第二義的なアクセサリーではなく、必要不可欠であり、また親しい」かかわりであると言われます。

解放の神学の父として知られているドミニコ会のグスタボ・グティエレス師と直接に会われたことも、80年代からのバチカンと解放の神学の関係を考えるときわめて意味があったと思います。前任の二人の教皇さまの時代には、多くの神学者がカトリック神学者としての活動を禁止された歴史があり、とくに一方的な「裁き」で箝口令を敷かれた神学者たちは、説明する場も与えられなかった事例の多かったことを思うと、今対話を強調される教皇が、これらの神学者たちの言葉に耳を傾ける可能性が開かれることを願います。

2014年に向けて

教皇フランシスコは、イエズス会の雑誌のインタビューの中で「私は決して右翼だったことはない」と発言されていますが、大人気とともに批判もさまざまな角度からなされています。そのひとつは、実際には組織としての教会の抜本的改革はなされていない、つまり機構改革、教義の検討、女性の位置、多くのスキャンダルの扱いなど。このような批判にたいして、教皇は、「まず態度と姿勢を改める」と応えられています。態度と姿勢は確実にメッセージを伝えるものです。

今年3月以来、目に見える、肌で感じられる新しさは、イエスの教えの真髄を方向性として示していると言えるのではないでしょうか。その新しさを第2バチカン公会議の招きと重ね、今ともに「神の民」として教会を生きるという課題に取り組めますように。


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