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第2バチカン公会議から50年

第2バチカン公会議50周年を迎えて

1962年10月11日~1965年12月8日

弘田 鎮枝(ひろた しずえ)

ベリス・メルセス宣教 修道女会会員

 第2バチカン公会議は、福者ヨハネ23世によってその開催が決定され、1962年10月11日、聖ペトロ大聖堂に全世界から当時の司教2千4百余名が参集して始められました。カトリック教会の近代史においてもっとも意味深い、重要な出来事であったこの公会議は、「教会の窓を現代世界にむかって開く」という表現が示すとおり、組織としての教会も、一人ひとりの生き方も大きく変化しうるきっかけとなりました。本文は、新たな聖霊降臨とも言われた第2バチカン公会議がもたらした「新しさ」について、それぞれの面を深めるのではなく、全体を理解するためのささやかな助けとして読んでいただければ幸いです。

 教会の二千年の歴史において第2バチカン公会議以前に20回の公会議を開催していますが、教会そのものの存在を脅かす危険な状況がある場合、これに対応して、教義、典礼、教会法について審議決定する最高会議として公会議が開催されてきた背景があります。そのために、公会議の決定には拘束力があり、決定に従わない者は「破門」によって厳しい処分を受けたという歴史もおさえておくべきでしょう。ちなみに第2バチカン公会議の約百年前に開催された第1バチカン公会議は、近代思想における誤謬を排斥し、教皇首位権と教皇不可謬権を教義として決定しています。それにたいして第2バチカン公会議は、現代世界における「時のしるし」を読みとり、教会そのものがどのように「今日化―アジョルナメント」を促されているかの識別を目的として開かれたもので、「破門」の脅しで決定に従わせるのではなく、爽やかで希望に満ちた招きであったと言えるでしょう。

 第2バチカン公会議は、教会の自己認識を新たにし、カトリック教会以外のキリスト教教会、さらに他宗教、現代世界への観方と関わり方を、トレント公会議以来保ってきた護教的な至誠から、柔軟性にとんだ開いた態度へと導きました。

現代世界に開いた教会

公会議文書は16ありますが、その中でもいわゆる「憲章」と呼ばれる文書は、50年たった今も、21世紀に生きる私たちが、教会を理解するために非常に大切なメッセージを伝えています。私たちの信仰が、「あの世」のためではなく、今ここで現実を生きるための道であることを力強く訴える「現代世界憲章」の序文は、何回読んでも心に響く招きです。

 「現代人の喜びと希望、悲しみと苦しみ、特に、貧しい人びととすべて苦しんでいる人びとのものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、悲しみと苦しみでもある。真に人間的な事がらで、キリストの弟子たちの心に反響を呼び起こさないものは一つもない」

 「真に人間的な事がら」という表現によって、私たちはそれまで霊の世界と物質の世界を対立させ、神様が創造された現実のすべてを丸ごと受け入れる健全な生き方ではなく、不自然な二元論でものごとを理解し、歪んだ現実を真実として受けとめてきた「まちがい」に気づかされたのです。この気づきから、より深い観想の祈りを自分の存在の根として生きるように促されます。

 歪んだ現実理解は、今でも「政治的なことは信仰と無関係」「シスターはお祈りだけしてくだされば良いのです」という言葉に反映され続けています。

「神の民」である教会

「教会憲章」は、「神は一人の人間を単独で聖とし、救うことなく、他の物とのつながりの中で救いを実現した」と述べ、教会が共同体であり、すべての信徒がキリストの祭司職にあずかることを宣言しています。さらにすべての人が教会における普遍的聖性に招かれていることについて、「すべてのキリストを信じる者がその地位や身分に関係なく、地上の生活において自らが実現しうる範囲においてキリスト者としての完全なる聖性と愛徳へ招かれていることは疑いようがない」と述べています。イエス・キリストにおいて招かれた人びとが、兄弟姉妹として対等にかかわる共同体が、教会であるという真実は、まさに公会議のもたらした福音であり、この福音のどう応え続け、どのようにこの真実を具現するかという課題が、今日も私たちに示されます。

 それまでは「ヒラ信徒」という呼び方さえあったように、信徒の役目は、ただ 「従い、祈り、献金する」(Obey, Pray, Pay)と思いこまされてきた人たちが、自分たちが教会なのだという悟りを得て、受け身の生き方から「主体」としてイエスに従う者の共同体つくりに参加するようになりました。

 また「ミサを捧げる主役の司祭」と「ミサに預かる受け身の信徒」から、教会共同体が積極的に参加し、ともにいのちを生き、養う感謝の祭儀が実現されるようになったことも、公会議のもたらした有意義な新しさなのです。

 神の子として等しく対等な立場にある兄弟姉妹としての教会共同体において、女性の働きは、無視されてはならないでしょう。どの小教区を見ても、女性の存在がなければ日常的にその潤滑な営みが、はなはだしく損なわれることは明らかです。今一度、イエスがどのように女性と関わられたかを、祈りのうちに観想し、深め、祈り、識別することが求められています。

諸宗教対話

第2バチカン公会議までのカトリック教会は、「教会の外に救いなし」という「真理」を固く守り続けてきましたが、公会議は仏教、ヒンズー教、イスラム、ユダヤ教など他宗教について、教会がそれぞれの宗教の中にもある真理を受け入れ、相互理解を深めることを勧めました。また、ヨーロッパの歴史と文化の中に根をおろしてきた反ユダヤ思想を否定し、さらにすべての人は等しく神の似姿であること、人種、宗教、肌の色、生活の条件などによって差別されてはならないことを強調しています。

 アジアの教会が、諸宗教との日常的な共生をとおして多くを学んできた真理は、全世界の教会が受けとめ、深め、人間であることの意味を悟るために役立つのではないでしょうか。

アジア司教協議会(FABC)など

アジアの司教たちは、公会議においてアジアの教会としての自覚を促され、その後アジア司教協議会を設立し、貧しい人たち、諸宗教、諸文化と生きた対話をする教会のあり方を提唱しました。また中南米においては、第2バチカン公会議直後の1968年にコロンビアのメデリンにおいて南米司教協議会(CELAM)が会議を開き、基本的人権を奪われている民衆の側に立って、構造的・制度的不正を糾弾し、抑圧からの解放を目指す社会変革を教会の使命として明確にとらえています。

 21世紀の世界は、いのちを脅かす新たな現実に直面しています。第2バチカン公会議50周年を記念する意味ある行動とは、まず公会議を思い起こし、公会議の招きを現実に照らし、祈りのうちに深め、読み取る営みを多くの人びとと実現することにあるように思います。公会議を風化させないように、まずこの思いを言葉にして伝えたい……そこから霊の風の吹くままに……。


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