homeはじめての『旧約聖書』>第4回 創世記1~11章(1)

はじめての『旧約聖書』

目次

第4回 創世記1~11章 (1)

創世記をモーセ五書のまえおきとすると、さらにその創世記の導入となるのが1章から11章です。創世記全体は、神がイスラエルの民にどのようにかかわってくださったか、というイスラエルの選びの歴史ですが、それに先だって世界と人間の、そもそもの起源を物語ります。おそらく五書のうちでいちばん最後に書き記された部分です。背景には、アブラハムの故郷であったメソポタミア文明の色が濃く出ています。ただ、メソポタミアの神話にある多神教的なものはすっかり拭われて、成立した時代(たぶん、バビロン捕囚からの帰国後)のイスラエルの信仰がはっきり表れています。

創造物語のあとには、太祖アブラハムが出現するまでの太古の歴史が続きます。

構成

1章1~2章4a節 P(祭司)伝承による 創造物語
2章4b~4章26節J(ヤーウェ)伝承による創造物語
    ・アダムとエバの罪(原罪)
    ・カインとアベル
5章 アダム~ノアまでの系図
6~9章ノアと洪水物語
10章 諸民族の民族ごとの系図
11章1~9章 バベルの塔の物語
11章10~32節ノアからアブラハムまでの系図

まず、 二つの「創造物語」を見ていきましょう。

1章1~2.4a節 P伝承による創造物語

神は、原初の混沌から秩序を引き出されました。全能のことばによって、整然と。そして創造されたものはすべて「よかった」と。非常に雄大な物語です。

§1.3~31には、神の7日間の業が書かれています。  はじめの3日間は「分ける業」で、光と闇の分離。水と大空の分離。海と陸との分離。 次の3日間は分けられたものを「飾る業」です。昼と夜とを司る二つの光体。水に魚、空に鳥。地上に青草と、動物と、人と。 そして、これらのものは、「すべてよかった」「きわめてよかった」と、神の恵みの業の「良さ」を強調しています。

1.16:「二つの大きな光る物」  「大きな方」は太陽、「小さな方」は月です。当時、太陽や月を神として礼拝する民族があり、イスラエルの民は、その表現をわざと避けたようです。「太陽」「月」という名前を知らなかったわけではありません。

ここで、当時の世界観を、見てみましょう。

この時代の人は、天にも地にも、水があると思っていました。

かたい境:天の水が落ちないためにかたい境があると考えた
水門:天井にはいくつもの水門があり、神が開くと雨が降ると考えた
星:天の水との境についた飾り
太陽・月:旅をすると考えた

1.27:「神は、ご自分にかたどって人間を創造された」
 創造の頂点として人間の創造があります。神は、人間にご自分の創造された世界をゆだねられました。同時に、男と女を、対等な存在として創造されました。

2.3:「安息」 7日目は、みわざが完成した安息の日です。
 人間にとって、この日は、「休む日」ではなく、神にささげられた日、つまり神に奉仕し、礼拝と賛美をささげる日なのです。

2章4b節~4章26節 J伝承による創造物語

2章4aで「これが天地創造の由来である」と創造物語が終わったのに、2章4bには、再び「主なる神が地と天を造られたとき」と、まるで今までの話がなかったかのように、天地創造の話がはじまります。P伝承による第一の創造史とは、文体も見方もちがっているので、第二の創造史と呼ばれ、J伝承によるものです。

2.4b:「地と天を造られたとき」
 今までの物語との違いを語るために、「地と天」と書いています。

2.4b:「主なる神」(神ヤーウェ)
 先のP伝承では「神」であったのに、J伝承では「神ヤーウェ」となっています。これは、J伝承の特徴です。しかし、ユダヤ人は主の御名を軽々しく口にしないように、これを「アドナイ=主」と読みました。日本の『聖書 新共同訳』もそれにならって「主なる神」と訳しています。

2.8:「エデン」
 シュメール人は、平野を「エデン」と呼びました。

2.15:「善悪の知識の木から食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」
 神から人へはじめて発せられた言葉は、「禁止」の言葉でした。人ははじめから自由を与えられていました。しかし、善悪の判断基準を自分におけば、人は必ず自己矛盾に陥り、死に至ります。

2.18:「人が独りでいるのは良くない」
 神は、人を孤独なものとしてではなく、社会に生きるものとされました。

2.19:「人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった」
 「名」は本質を意味します。人はその本質がわかったということ、つまり「名をつける」ということは、支配を意味します。

2.23:「女(イシャー)と呼ぼう」
 ここでは、女という名前をつけたのではなく、性を分けています。この時点では、男と女は対等で支配関係はありません。

3.9:「どこにいるのか」
 これは、神と人との対話です。先に神から呼びかけがあります。神は、背いた人間を、ご自分の方から呼びかけ、探してくださいます。神の呼びかけが先行しているというのは、いつも変わらない神の姿です。

3.16:「お前は男を求め、彼はお前を支配する」
 罪の結果として、男が女を支配するようになりました。聖書が生まれた当時の、男性支配の世界観が反映しています。

3.20:「エバ(命)と名付けた」
 ここではじめて女に名前がつけられ、支配関係がはじまります。

§4章1節~16節は、カインとアベルの物語です。

4.4:「主はアベルとその献げ物に目を留められた」
 主はアベルの献げ物に目を留められたのであって、けっして、カインの献げ物を悪いとされたわけではありません。当然、人は、それぞれ違いがあります。しかし、自分と人との違いを、受け入れることは難しいものです。すべての人を神は子として見ておられるので、一人ひとりに対する神の態度は違います。違いは、一人ひとり違う存在として創造された人間の条件です。

4.15c:「主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことができないように、カインに知るしを付けられた」
 カインにしるしを付けられたのは、神のいつくしみの現れです。

4.24:「カインのための復讐が7倍なら、レメクのための復讐は77倍」
 人の悪が、だんだん増していくことを表しています。

前へ次へ

▲ページのトップへ