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第46回 世界広報の日 教皇メッセージ「沈黙とことば:福音化の歩み」 解説

新緑

 毎年、「世界広報の日」に、教皇メッセージが出されますが、今年のメッセージ「沈黙とことば」というタイトルをお聞きになった方は、まず、どういう印象をお受けになったでしょうか。

 これまで、歴代の教皇様は、「広報の日」そのものについてとか、映画、テレビやインターネット など、コミュニケーションの手段、ツールなどについて、また、その及ぼす影響についてなど、私たちに多くの示唆を与えてくださいました。

 しかし、今回のテーマは、これまでとまったく違ったテーマです。とまどった方もおられるでしょうが、「沈黙とことば」は、言うまでもなく人間のコミュニケーションのいちばんの基となるものです。教皇様のこのメッセージを読み、なぜ、今まで、この大切なことが言われなかったのかと不思議に思ったくらいです。

 現代ほど喧噪な社会はない、とよくいわれます。また、ちょっと分からないことがあれば、すぐにインターネットで検索して調べるようになったのも今日の現象です。このような時代だからこそ、教皇様が「沈黙とことば」について、もっと深く考えてほしいとおっしゃっているように思います。

 今日、人々が真実に何かを求め続けている姿が、検索エンジンを使って疑問に回答を求めるということに現れています。今日の人々は、インターネット上で問いと答えを見つけています。
 ですから、今日の人々が真に求めているものに答えを見いだす助けとなるサイトが必要とされています-神のことばの分かち合い、黙想、祈りなど-。

 「沈黙とことば」は、人間同士のコミュニケーションのための2つの大切な時です。沈黙とことばが相互に補い合ってコミュニケーションを完成させている時、コミュニケーションは価値を持つのです。

 沈黙がコミュニケーションを完成させるための欠くべからざる条件、要素であることに気づいている人だけが、真に意味のあることばを伝えることができるのです。

 その面でも、イエス・キリストは、私たちの道、模範です。教皇様は、十字架上でのイエスがその沈黙によって、どれほど深いコミュニケーションをしてくださったかということを思い起こさせてくださっています。しかし、よく考えてみると、キリストは語られたことば、行いだけでなく、その沈黙によって多くのことを私たちに伝えてくださいました。

 ご生涯の最初から、誕生の出来事が描写されていても、イエスは一言もおっしゃってはいません。ナザレでの30年間の生活でも、12歳の時のイエスのことばがわずかにあるばかりです。他のほとんどの30年間は、沈黙の中です。公生活の3年間の間の出来事が、私たちに残されているのは、4福音書のみです。

 神は沈黙をとおして語られているのです。ですから、私たちも沈黙のうちに神と語り、神について語る可能性を見いだすことができるのです。
 祈りの極致であると言われる観想も、沈黙なしにはありえません。

 すべての教育の基礎には、コミュニケーション能力を育てるという面が含まれています。
 まず、聞くこと、語ること、考えることです。この能力は、今日の福音宣教者に必要とされているものです。神のみことばであるイエスに聞くこと、観想することを学び、今日の世界にキリストを新たに告げ知らせるのです。

 教会のコミュニケーションの働きにとって、沈黙とことばは、どちらも本質的で重要で、補い合っているものです。
 このモデルはマリアです。じっと思いめぐらしておられたマリアの姿は、私たちに大きな希望を与えてくれるものです。

第46回 世界広報の日 教皇メッセージ「沈黙とことば:福音化の歩み」


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