マルコで祈る
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イエスは彼を見つめ
マルコ10.21
ギリシア語原典では「中を見て」。
以前に呼びかけた人々もイエスに「見られて」いる(1・16、19、2・14)。
だがここでは、
イエスの目は違った方向に向かっている。
つまり心の深いところにまで入りこんでいるのだ。
イエスがどう見ているかを、
この人に見てほしいと、イエスは望んでいる。
こうしてイエスがこの人を知るとおりに、
この人も知るようになる(1コリント13・12参照)。
だがこの人は、
まだイエスのまなざしが見えていない。
エリコの物乞いがするように(51節)、
見えるようにしてくださいとイエスに願うべきなのだ。
そのときにこそ—この点でもパウロと同じだ—
イエスを自分にとっての主と認めるという高みに達することになる。
イエスに捕らえられ、
イエスを捕らえようとしてひたすら走るようになる(フィリピ3・12)。