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津和野 乙女峠37人の「証し人」

『津和野 乙女峠37人の「証し人」』表紙

  • 著者:筒井 砂
  • 監修:片岡 瑠美子
  • 定価:本体900円+税
  • B6判 並製  128ページ
  • ISBN978-4-7896-0836-7  Cコード:C0016

毎年5月に、津和野では乙女峠に日本中の各地から人々が集まり、「乙女峠まつり」が行われます。この「まつり」の由来は、本書の37人の「証し人」の存在があるからです。

 「証し人」という言葉は、聞きなれない言葉かもしれませんが、江戸時代末期から明治政府のキリシタン弾圧で亡くなった37人が、どんな迫害、弾圧にあっても自分の信仰を守り抜き、キリストへの証しをしたという意味で、「証し人」と本書では呼んでいるのです。

 1587年に、豊臣秀吉が「伴天連追放令」を出し、1614年に、江戸幕府が「禁教令」を発布したことは、皆様、歴史の授業などでご存じの通りです。こうして始まったキリスト教弾圧は、非常に厳しいもので、多くのキリシタンたちは殉教で命をささげていきました。
 この中で、キリシタンたちは生き延びるために、キリスト教を信じていることを隠してひっそりと生きる以外に道はなかったのです。

 鎖国政策をとっていた幕府でしたが、1858年「日米修好通商条約」を結ぶことによって、外国人が住むことを許された居留地に、自分たちの信仰と礼拝のために教会堂を建てることができるようになりました。

 こうして、1865年、長崎の大浦に天主堂が建てられました。フランス人の礼拝のために建てられたものでしたが、「フランス寺」と評判を呼んで、近隣の日本人が見物に行っていましたが、その中に、キリシタンの浦上村の人々もいました。

 浦上の人々は、それまでお寺の檀家制度に組み込まれ、葬儀も仏式でなされ、自分たちでお葬式もできずにいましたが、神父様に出会ったことから勇気がでて自葬をしたことがきっかけとなり、「浦上四番崩れ」という、明治政府による三千四百人の浦上村民の総流罪という迫害になっていきました。

 この人々が、すべて、同じ地方に流されたのではなく、富山以西の20藩22か所に及び、改宗を迫られ、過酷な迫害を受けたのです。このうち、662人が命をささげました。

 津和野に流配された人々は、153人。そのうち、37人の犠牲者を出しました。

 多くの地方に流罪となった人々については、書かれた資料が少なく、その上、同じ場所での「証し人」のみが、列福・列聖の調査の対象とされるため、津和野の37人にしぼって、広島教区は、資料も揃っている津和野殉教者を列聖調査のために教皇庁に申請しました。

 津和野の「乙女峠まつり」は、毎年、5月3日に行われていますが、今年は、明治政府が「禁教令の高札」を撤去し、津和野から浦上へ帰還したちょうど、150年に当たります。さらに、広島教区が、教区の前身である「使徒座代理区」設立、100周年にも当たっています。

 本書をお読みになることによって、37人の1人ひとりが取り上げられているページに目を通されることや、キリシタンの当時の状況が歴史的にも述べられていることも、お役に立つのではないでしょうか。

 広島教区の方々と共に、また、日本の教会の人々と共に、この「証し人」が1日も早く、聖人にあげられることを祈りたいと思います。

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