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シスターズリレー 2012


修道会名:聖母訪問会

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期 間:2013年 4月7日~4月20日

聖母訪問会

この2週間、全会員で下記の祈りを毎日唱えました。姉妹が作った祈りです。

聖母訪問会


わたしたちは祈りのバトンを受け取った2週間を、各共同体の実情に合わせ、その意向とやり方を計画しました。多くの共同体はご聖体に目を注ぎ、被災地に関する新聞・ポスターなどを掲示することで過ごしました。各共同体からのすべてを報告することはできませんが、いくつかの例を紹介します。



聖母訪問会


米川共同体(シスター3人と実習中の修練女一人)が担当の日は、全員が被災地での奉仕の日でした。夜に共同で祈りました。晩の祈りの後、東日本大震災被害者のための祈りを唱え、30分ご聖体礼拝、続いてロザリオ、沈黙、最後に姉妹が作った祈りを唱え、1時間の祈りを終えました。すぐ近くに住み始められた御心の聖母会のシスターをお誘いして、一緒に祈りました。



聖母訪問会


各人リレー式に30分の聖体礼拝を持ち(新聞記事、「つなぐ」など深め 味わいながら…)、ロザリオを共唱、2011・3・11のDVDを観、廊下・聖堂前室に被災地のポスターを掲示して、雰囲気を作り一日を被災地の方々に心を寄せるよう努め 祈り、働きのすべてをささげました。



朝のミサを特別に「被災地・被災者のため」として5,000円。その5,000円は全員がボランティアとして除草し、支払いとしました。一日、意向を持って過ごしました。


被災地の人々の現在の苦しみに身体を持って連帯し、深い一日をささげるため、保存していた震災当時の朝日新聞を食堂の壁に広く貼り、その掲示の中で、当時をしのびながら過ごしました。

聖母訪問会


現地ではあのとき、電気も水もなかったことに連帯し、一日電気ガスを使わないで過ごすため、前晩、翌13日の昼食と夕食のためのおにぎりを作っておき、そのおにぎりと水で食事をしました。

朝食には一人の姉妹が、あの日の生々しい遺体収集の新聞記事を読みました。(2011.3.13の記事の内容:やっと会えたのにそれは遺体だった。) 昼食時には別の姉妹が、カリタスジャパンが出した四旬節のための小冊子『つなぐ』の中の第2話「わたしたちの選択」という福島に住んでいた若夫婦の悲痛な決断の記事を読み現地の人々に寄り添いながら食事しました。

16:00、あのときの写真集を前にして、1時間の御聖体顕示をしました。個人的にロザリオ、その他の祈りもささげました。


一日聖体礼拝のリレーを30分ずつ各自担当し、その時間の意向に合わせて祈る。祭壇の下に「どんな小さな光も闇に勝つ」というテーマでパネル写真を飾り、最後に、晩の祈りで終了しました。

聖母訪問会 聖母訪問会


被災者たちが、ただ以前の生活に戻るための復興ではなく、勇気を持って新しい生き方を挑戦できるようにと願って、一日をささげました。

当日、会の担当の最後の日なので、会の代表として2週間の祈りのリレーを閉めるようにと意識しました。朝から「困難の中で」のミサで始まり、それぞれが2週間に祈ったこと、犠牲したことなどを紙に書いて、「晩の祈り」の時間までに貼りました。晩の祈りは、ご聖体礼拝も含めて、「エフェ1.3~10」を朗読し、被災地・ボランティア・仙台教区のための祈りを準備し、それ以外は自由に共同祈願をささげ、「聖霊の息吹を受けて」という歌で2週間の祈りのリレーを終えました。

・共同体が心を尽くして準備したこの一日は確かに被災地の人々と少しでも今まで以上により結ばれ、連帯を生きた深い一日となり清められた一日となりました。今回のシスターズリレーを企画してくださった総長・管区長会の方々に感謝いたします。

・新たな刺激を与えられ、これからの日々の生活の中で思い起こし 彼らと心を繋げていくために大切な一日でした。

・半日という短い時間でしたが、祈ることによって、被災地の苦しみ・生きようとしている方々に各々のシスターが触れた"この時"はわたしたちにとっても大切な時間だったようです。

以上ような反応や声がありました。




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