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どうしてシスターに?

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シスター マリア・テクラ 行宗豊子

わたしを呼んでくださった神

シスター行宗


わたしは小さな山村に生まれた。村人の人生観は、主にお寺と神社の年中行事で養われ、人に迷惑をかけたり、悪いことをしたり、そういうことをしないで正直に誠実に生き、また先祖や家族を大事にしていれば、人間として幸せな人生を過ごすことができる、というのが良識であった。しかしわたしは心の中で「それは違う。自分や家族が平穏無事に生きることができればそれでいいというのではなく、自分を犠牲にしてでも人のために生きる、そういう何かもっとすばらしい生き方、人生があるはずだ」と思っていた。

このようなわたしがキリスト教に初めて出会ったのは、会社の本棚を掃除していたときである。『100万人の福音』というキリスト教の雑誌が棚にあった。それを見つけ夢中で読んでいるうちに、教会に行ってみたい!という思いが強くわいてきた。

会社の窓から教会の塔が見えたとき「教会に行ってみたい」とつぶやいた。隣にいた同僚が「今度の木曜日に教会に行ってみない? 大きなお祝い日だから」と誘ってくれた。会社が終わって教会に行くと夕方のミサがあり、それは「主の昇天の祝日」のミサだった。

わたしは早速神父様にお願いして「公教要理」を学び始めた。修道生活について教わった時、修道生活こそわたしが求めていた、「何かもっとすばらしい生き方」だ、と心底思った。この思いを心に秘めて「修道生活ができますように」と願いながら洗礼を受けた。

あるとき、デパートで宣教をしているシスターと出会い、修道院に招かれた。シスターたちと話すうち、わたしはこの修道会で一生を過ごしたいと強く思うようになった。

修道会に入り、何年かはすばらしい日が続いた。しかし自分の生き方を反省するたびに、自分の力でこの道を歩めると思っていた自分の傲慢さがわかってきた。「わたしはこの生活を続けて行けるだろうか? 自分の理想に対して、わたしはあまりにも弱くて無力だ。この生活を続ける力がわたしにはない。神がわたしを呼んでくださったというより、自分が望んでこの道を選んだのではないか? わたしはこの道に本当にふさわしいのか?」と悩む日が続いた。とうとう「自分には召命が無いと思うので、もう帰ろうかと思います。」と目上に話した。しかし目上は「大丈夫、あなたには召命がある。神様は一度お与えになった賜物を、取り返すことはなさらない」と諭された。

その言葉に励まされながら、終生誓願の準備コースに入った。その総仕上げの黙想会の時「わたしはこの道を自分で選んだのではなく、神がわたしに与えられたのだ。神がわたしを呼んでくださったのだ。」ということをはっきりと知る恵みをいただいた。

この確信を得てからは、二度と自分の召命を疑うことは無くなった。しかし神に頼らないで自分で何でもやろうとする傲慢な自分は無くならない。それでも神はわたしを呼び続け、そばに置いてくださる。そのありがたさに感謝しながら、理想の師であるイエス・キリストに、より近くから従って行きたいと願っている。


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