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山本神父入門講座

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4. 神の国の宣教の始め

荒れ野での誘惑(詳しくは前回のページへ)のあと、イエスは宣教活動を開始した。「イエスは“霊”の力に満ちてガリラヤに帰られた。その評判が周りの地方一帯に広まった。イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた」(ルカ4章14~15節)とルカは書いている。

会堂跡
会堂(シナゴグ)跡  Photo by Hiroko Abe

ガリラヤでのイエスの活動の舞台はユダヤ人の会堂(シナゴグ)であった。イエスは、律法の定めどおり、生後8日目に割礼を受けた律法に忠実なユダヤ人であったから、宣教活動も、ユダヤ教のラビ(教師)として、ユダヤ教の会堂で始めたのである。

イエスはどんな活動をしたのだろうか。マルコ福音書は、「イエスは……神の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた」と書いている(1章14~15節)。


「時が満ち」ということばは、ユダヤ人の心を惹(ひ)く。イスラエルの歴史は、旧約聖書が示すように、神との結びつきと離反で織りなされている。

その原点は、エジプトで奴隷状態にあったイスラエルの先祖を、神がモーセを遣わして解放し、40年におよぶ荒野の旅のあとに、カナアンの地を与え、そこに定住させた「出エジプト」である。そして、頂点は、ダビデ王とソロモン王の全盛時代である。それは、神がともにいて、イスラエルに繁栄と力、他の国々の支配を与えたという体験の集積である。

その後に衰退期が訪れる。ソロモンの後、王国は南北に分裂し、まず、北王国がアッシリアに、やがて、南王国もバビロニアに征服され、エルサレムの神殿は破壊され、王や主だった人々が連れ去られた。バビロンの捕囚(紀元前586~539年) である。これは、イスラエルの偶像崇拝や反逆に対する神の罰である。

捕囚のあともイスラエルの低迷は続き、ペルシャ、ギリシャ、ローマの支配下に置かれた。


そのような歴史の中で、人々は、いつか神の定めの時が来たら、神はメシアを遣わしてイスラエルの栄光を回復してくれるという信仰と期待を持つようになった。

「時が満ちた」というイエスの呼びかけは、このような背景を持つユダヤ人の心をゆさぶったに違いない。神は誰を遣わし、どのようにしてイスラエルの栄光を回復されるのか。

救いの時の到来は、「神の国」というイメージで示される神の支配が行き渡る時が来たこと、「神の国が近づいた」ことを告げる。


ユダヤ人は、神の国をイスラエル民族の国家と受け取った。ダビテやソロモンの時にイスラエルとともにあった神、その神の力による支配、それを「神の国」と考えたとしても無理はない。彼らにとって、メシアはダビデの再来、偉大な王、政治家、武将であった。

昔、イスラエルの即位式は、祭司が王の頭にオリーブ油を注ぐことによって行われた。神から王の使命と必要な恵みを受けることを表すためである。「メシア」ということばは、「油注ぎを受けた者」すなわち、「王」を意味する。


イエスは、自分が来たことが、「時は満ちた」ことのしるしであり、イエスにおいて、「神の国が近づいた」という呼びかけを行った。この呼びかけに人々はどのように答えるのか。

イエスはまず「悔い改め」を説いた。それは回心、心を神の方に向け直して、イエスの宣べ伝える福音に耳を傾け、自分の考えや望みを捨ててでも、神の望みと計画を受け入れることを要求するものである。

イエスが説く、神の国、メシアの教えは、人々の期待とは異なっていた。そのような人々の無理解、反発、抵抗のなかで、イエスは、神が望んでおられる真の「神の国」と、救いへの道を宣べ伝える。


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