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アレオパゴスの祈り

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アレオパゴスの祈り 2007年12月3日


教会の暦では明日から新しい年が始まります。キリストの誕生を待ち望む待降節によって1年の暦が開かれます。12月を迎えると、だれでも自分が過ごしてきたこの1年を振り返る気持ちになるものです。うれしいことがあり、悲しいことがあり、苦しいことがあり、出会いがあり、別れがある、など、さまざまな出来事でこの1年も織りなされてきました。

今の日本の社会では、効率、利益が真っ先に求められ、大部分の人にとって人生は、勝つための競争になっています。そうした競争に勝った人だけを尊重する社会にあっては、力の弱い人ははじき出され、不安や危険や苦悩を抱えています。救い主を待ち望んでいた当時のイスラエルの人々と同じように、bullet_notepink.gifわたしたちも今こうした圧迫からの解放を求めています。救いを待ち望む季節を迎えて、聖書がどんなメッセージを投げかけているかを聞き、苦しんでいる自分自身、親しい人たち、日本の社会のためにご一緒に祈りたいと思います。

(沈黙)

救い主の到来を約束する旧約聖書の預言者・イザヤのことばを聞きましょう。

闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。(イザヤ 9.1)

見よ、闇は地を覆い 暗黒が国々を包んでいる。しかし、あなたの上には主が輝き出で主の栄光があなたの上に現れる。・・・そのとき、あなは畏れつつも喜びに輝き おののきつつも心は晴れやかになる。(イザヤ 60.2、5)

『典礼聖歌』No.119 「主はわたしの光」④⑦

約束された救い主イエス・キリストは、その行いとことばによってご自分が「世の光」であることを啓示されました。ヨハネによる福音のことばを聞きましょう。

わたしは光としてこの世に来たが、それはわたしを信じる人がすべて、闇の中にとどまることのないためである。(ヨハネ 12.46)

わたしに従う人はけっして闇の中を歩くことなく、命の光を得るであろう。(8.12)

わたしは、世にいる間、世の光である。(ヨハネ 9.5)

この呼びかけに応え、わたしたちのさまざまな闇に、キリストのいのちの光をいただくことができるように、一人ひとりの願いをローソクの灯火に託して祭壇にささげましょう。

ラルシュ共同体の創立者ジャン・バニエは著書女子パウロ会出版の『うつを越えて』の中で、心が傷ついているすべての人に、その闇を通して光にいたる道を示しています。緊張やストレスの多い社会の中で生きているわたしたちに、いのちの灯火を消さず、共に支え合いながら生きていくことを教えてくれます。今、その一部を分かち合いたいと思います。

『祈りの歌を風にのせ』p.13 「インマヌエル・アーメン」

人の心は繊細で傷つきやすいものです。人を惹きつける魅力を失って、だれからも関心をもたれていないと感じるときには、自分が無用の存在として隅に追いやられたと思い、心が傷つきます。そして人との結びつきが絶たれてしまうと不安で、孤独で、怖くてたまらなくなるものです。こうした心の傷は、人生の一部であってそれをさけることはできません。それを幼いときから受けてきています。そのために、わたしたちはだれでも、光と闇、信頼と不安、愛と憎しみが入り混じった存在なのです。たとえ、そのことを認めたくなくても、これらの影の領域があって、悲しみやうつの度合いがひどくなると浮かび上がろうとしているのです。

(沈黙)

うつは自分自身にも他人にも隠さなければならない恥ずべき病気ではありません。人生に不可欠な道筋のひとつなのです。だからといって、この病的な悲しみに身を任せて、支配されてはいけません。こういった感情の扱い方を覚えなければなりません。自分を責めたり、裁いたりしてはなりません。まず、この痛みとその原因を理解するように努め、そして、それを抱えたままどのように生きていくかを学んでいくことです。とはいえ、こうした不安をひとりで抱えている状態に、長い間、耐えられるものではありません。だれか信頼できる人を見つけて話しだすようになります。苦しみについて語れるようになることが、解放に向けての第一歩になります。

(沈黙)

どこかで立ちどまる勇気をもちましょう。多くの人々が立ちどまることもなくこうした状態で暮らしつづけているのは、生活のためということもありますが、多くの場合、立ちどまることを恐れているのです。しかし、休みを取り、痛みがどこからくるのか見極める必要があります。仕事から離れて休みを取ると、再び暗い気持ちや空虚感に襲われるかもしれません。この時に、心に安らぎや穏やかさをとりもどすのは、単純なことを実践することです。料理をしたり、穏やかな音楽を聴いたり、静かなところで祈ったり、親しい友人を訪ねたり、お風呂の温かい湯の中でリラックスしてから床につくとか、平和と喜びをつかの間でも経験することです。こうしているうちに明るい道と、闇に向かう道をしだいに見分けられるようになります。奥深くに隠れている自己は、認められ、解き放たれて他人とかかわりをもつことを強く求めています。あなたが生きることのほうをむくたびに、真の自己を信じるたびに、闇は遠ざかっていきます。

(沈黙)

人にはそれぞれの強さと弱さがあり、才能と苦痛を抱えています。人の美しさはその自分をありのまま受け入れたときに輝きます。夢や幻想の世界に浸っていたり、怒りや絶望のうちに暮らしたり、人をうらやんだり、現実から逃れて生きていたのでは、その輝きが見られることはないでしょう。自分が自分でいていいということを、それがゆるされているということを納得できたときに初めて、かけがえのない大切な存在として神から愛されていること、そして自分にも他の人にしてあげられることが何かあるかもしれない、と気づきます。わたしたちは心をひらき、愛をはぐくみ、他者とともに、とりわけ孤独な人と生きることを分かち合うのを求められています。
         (参照『うつを越えて』ジャン・バニエ著 女子パウロ会)

  

『祈りの歌を風にのせ』p.7 「愛をください」①②

「マザー・テレサの祈り」をご一緒に唱えましょう。

   天の父よ、
   聖書であなたは、言っておられます。
   「たとえ、母が子を忘れようとも、
   私はあなたを忘れない。
   私はあなたを私の手のひらに刻んだ。
   あなたは私の大切なもの。
   私はあなたをあなたの名で呼び、私はあなたを愛します。」

   私たちを創ってくださってありがとう。
   私たちを愛してくださってありがとう。
   私たちをひとつに集めてくださってありがとう。
   私たちが互いに愛しあうよう助けてください。
   私たちが互いに仕えあうよう助けてください。
   私たちが互いにゆるしあうよう助けてください。
   私たちがともに労苦を担いあうよう助けてください。

   愛する神よ、
   私たちの家庭を祝福してください。
   私たちをひとつに結んでください。
   私たちとともに祈ってください。
   私たちの中に祈ってください。
   私たちをとおして祈ってください。

   私たちが自分自身を傷つけることからお守りください。
   私たちの身体、私たちの心、私たちの人生をお守りください。
   今日一日、私たちが他の人々を傷つけることをゆるさないでください。
   私たちの口が悪を語らず、
   私たちの心が憎しみをおぼえることがありませんように。

   私の隣人にほほえむことがえきるよう助けてください。
   互いにほほえみあい、今日出会うすべての人にほほえむように。
   あなたの愛の輝きを、貧しい人々に、さびしい人々に、見捨てられた人々に、
   そして愛されていない人々に広げることができるように助けてください。

   今日、全世界を祝福してください。
   すべての人間家族を助けてください。
   あなたの地で平和のうちに生きることができますように、
   日々、必要な糧をお与えください。
   互いに美しく、健康に、喜びのうちに、
   そして愛のうちに生きることができますように。

   今日一日、私たちを
   天の永遠の住み家へ近づけてください。
   私たちの家族があなたとひとつになる住み家へ。
   私たちの目から涙をぬぐいさってくださる住み家へ。
   もう死やかなしみのない住み家へ。
   なげきや苦しみのない住み家へ、近づけてください。
   そこではあなたをありのままに見るのです。
   太陽の光や電気の光ではなく、
   あなたご自身が私たちの光なのです。

   私たちは、とこしえにあなたを喜びとし、
   いつまでも、互いに喜びあえるのです。     1983.9.8

『祈りの歌を風にのせ』p.60 「わたしをお使いください」①②③④

これで今晩のアレオパゴスの祈りを終わります。

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