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アレオパゴスの祈り

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アレオパゴスの祈り 2009年8月1日


空



   主よ、あなたはわたしを究め、わたしを知っておられる。
   座るのも立つのも知り、遠くからわたしの計らいを悟っておられる。
   歩くのも伏すのも見分け、わたしの道にことごとく通じておられる。
   わたしの舌がまだ一言も語らぬさきに、主よ、あなたはすべてを知っておられる。
   前からも後ろからも、わたしを囲み、御手をわたしの上に置いてくださる。
   その驚くべき知識はわたしを越え、あまりに高くて到達できない。

   神よ、あなたはわたしを究め、わたしを知っておられる。
   わたしを試し、悩みを知ってください。ご覧ください。
   わたしの内に迷いの道があるかどうかを。
   どうか、わたしをとこしえの道に導いてください。
       (詩編139)
 

日本のカトリック教会では、毎年8月、平和のために祈りをささげます。特に、8月6日の広島原爆投下の日から、9日の長崎原爆投下の日を経て、15日の終戦記念日にいたる10日間を『平和旬間』と定め「平和のために祈り、働く使命」を新たにします。

東京教区では、今年も、平和旬間の期間中、参加者によって途切れることなく祈りをつないでゆく「祈りのリレー」が行われます。その他、「平和巡礼ウォーク」、「平和を願うミサ」、「講演会」など平和のための企画が数多く計画されています。

また、この8月7日から10日には、国家の枠を超えて核兵器廃絶の道を探るため、「第7回平和市長会議」が長崎で開かれます。日本で始まり世界に広がっていった平和市長会議は、現在134ヶ国、2963都市が加盟しています。この会議が、重苦しい今の社会で希望の光となり、核廃絶のために前進する力となりますように。今晩の「アレオパゴスの祈り」の中で、世界の平和のために祈りましょう。

ローソクを受け取り、祭壇にささげましょう。

教皇ベネディクト16世は、今年の『世界平和の日』のメッセージの中で、“皆さまの心を広げて、貧しい人の必要にこたえ、可能なあらゆる実践的手段を用いて貧しい人を助けてください。貧困と闘うことは、平和を築きます”と言っておられます。東京教区の平和旬間委員会は、この教皇の言葉と私たちの現実をふまえて、今年のテーマを「貧困と闘い、平和を築く」としました。

旧約聖書のイザヤ預言者は、はっきりと語っています。「正義が造り出すものは平和であり、正義が生み出すものはとこしえに安らかな信頼である」(イザヤ32.17)と。イザヤ預言者は、一人ひとりの正義からすべての人の平和が生まれることをわたしたちに教えてくれます。

新約聖書のマタイ福音書の中で、イエスは「平和を実現する人は幸いである。彼らは、神の子と呼ばれる。義のために迫害される人は幸いである。天の国はその人のものである」(マタイ5.9~10)と悲しみを身に負った群衆の中に、平和のために勇敢に立ち上がる人たちがいることを山の上で語り励まされました。

ヨハネ福音書の中に、『わたしの平和をあなたがたに残し、わたしの平和をあなたに与える。わたしはこの世が与えるように与えるのではない』(ヨハネ14.27)とイエスの平和について語られています。さらに、復活されたイエスは神の限りない愛を、『あなたがたに平和があるように』という言葉で、まず弟子たちに伝えられます。イエスはそれによって、自分を十字架につけ、神と敵対する人間全体に、神からの和解を伝えました。

復活したイエスがもたらした平和とは一体どのようなものだったのでしょうか。復活されたイエスのことを語っているヨハネ福音書の朗読を聞きましょう。

マタイによる福音書 20.19~29

「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。
イエスは重ねて言われた。『あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。』そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦さないまま残る。』
十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、他の弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」
さて、八日の後、弟子たちは、また家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた」
 

「平和」という言葉を使いながら、人によってそのイメージが違っていることがあります。戦争がないことが平和であると思う人もあるでしょうし、市民の大多数が平穏無事であることを平和のしるしと考える人もいるでしょう。あるいは、社会体制が安定していることをもって平和と見なす人や、わが家のだんらんこそ平和の基礎であると信じる人もいると思います。したがって、平和実現への取り組みも、平和をどのようにとらえるかによって違ってきます。『平和を実現する人は幸いである』という祝福の言葉は、いったい、どういう人に向かって告げられているのでしょうか。

聖書が教える「平和」は、このような世間一般で考えられている「平和」とは少しおもむきが違います。「平和」と訳されているヘブライ語の原文の“シャローム”は、ある種の“完全性”を示唆する言葉で、“傷ついた部分のない状態”を意味します。社会全体を大きくとらえて"おおむねどうであるか"というようなことで判断できるようなものではなく、人々の間で最も弱い立場にある人が傷ついたままになっていたかどうかという視点から判断される真の連帯に根ざした平和です。“シャローム”、それは神の国としての解放と喜びの状態です。

鳩のレリーフ

 

イエスは、『わたしは平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える』(ヨハネ14.27) と言われ、神がわたしたちに実現させようとする平和が、何か特別な性格を帯びたものであることを示唆します。「わたしの平和」という言葉がとくに強調され、また、「わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない」というイエスの言葉からも明らかです。

復活の日の夕方、イエスが「あなたがたに平和があるように」と言って、実際に弟子たちに平和を告げられたとき、ご自分の受難の印である傷跡を示されました。八日の後、再び弟子たちに平和と告げられたときも、同じようにご自分の傷跡を示されます。神が望まれる平和は、世間が思っているような妥協と忍耐によって保たれる安全とか平穏無事とは関係なく、抑圧や差別との戦いによって勝ち取る正義と解放の喜びです。イエスにならって、社会の傷ついた部分すなわち抑圧と差別の被害者の側から声を上げ、世の不正に対して正義を要求していくときに、ほんものの平和は実現していきます。実に平和を実現するためには、どうしても正義を求めていかなければなりません。

イエスが「わたしの平和」と言われる神の国の平和は、社会の底辺に立つ人々の正義への飢え渇きと、彼らに連帯する人々の協力によって実現され、また、弱い立場にある人々の正義が満たされて初めて、平和が実現していきます。

救いの歴史が目指すところは、この地上にも平和を実現するということでした。このことは、旧約、新約聖書全体を通して示されています。救いの歴史を様々な形で想起させる預言書や詩編においては、歴史の到達点として示されているのは解放に満ちた「平和」であり、イエスが受難と死と復活という「過ぎ越し」の後に、その実りとしてもたらされた「平和」でした。「あなたがたに平和があるように」と言う言葉が繰り返されます。「平和」は、神の業の完成の状態を指す言葉と言えるものです。

今、聞いたことにしばらくとどまり、心に残ったことを味わってみましょう。

(沈黙)

わたしたちが神の望まれる平和に一歩でも近づき実現することができるように、「平和へのための祈り2009」を祈りましょう。今年は、子どもたちとともにという意向が入っています。

平和へのための祈り 2009 子どもとともに

   どんな人も同じように 大切にしてくださる神さま、
   世界には、お金も食べ物も着る物もなく、
   勉強するチャンスもなくて
   貧しさから抜け出すことのできない人が
   たくさんいます。
   反対にお金があっても
   やさしさや大切なことがわからなくなって
   ものを取り合ったり
   争いを繰り返したりしている人もいます。
   世界中の人が、平和な世界を作るために
   手を取り合うことができますように。
   そのために自分のできることを見つけて
   実行していくことができますように。
   アーメン。   (カトリック東京大司教区 平和旬間委員会)
 

東京教区の岡田武夫大司教は、「祈りのリレー」への参加を呼びかけて次ぎのように言っておられます。

「平和を実現する人は幸い!」平和のために何が出来るでしょうか。色々とあるでしょうが、ひとつ、だれにでもできる確実によいことがあります。それは祈るということです。では何をどう祈ったらいいでしょうか? 自分の祈りにあわせて自分は何をしたらいいでしょうか? この機会に考え、話し合いましょう。そして自分の祈りを、場所を越え、時間を超えて、世界の兄弟姉妹の祈りにつなげるよう努めましょう。

「祈りのリレー」は、8月6日(木)午前8時から開始され、8月15日(土)の午後8時に終了します。この10日間の期間中、絶え間ない祈りに、いつでも、どこでも、参加できます。お祈りは、主の祈り、聖母マリアへの祈り、ロザリオの祈り、自分の言葉での祈りなどです。「祈りのリレー」への応募は、平和旬間委員会宛に、ファクシミリ、インターネット、郵送でできます。

最後に使徒パウロのローマの信徒への手紙をを聞きましょう。

ローマの信徒への手紙 14.16~19

ですから、あなたがたにとって善いことがそしりの種にならないようにしなさい。神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。このようにしてキリストに仕える人は、神に喜ばれ、人々に信頼されます。だから、平和や互いの向上に役立つことを追い求めようではありませんか。
 

これで今晩の「アレオパゴスの祈り」を終わります。


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