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アレオパゴスの祈り

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アレオパゴスの祈り 2010年5月1日


雪の下



5月に入り、若葉の美しい季節を迎えました。わたしたちは、4月4日に、主のご復活を盛大に祝い、その後の40日間を復活節と呼んで、キリストの復活の喜びを深める期間を過ごしています。それは、新約聖書の使徒言行録に「イエスが復活した後40日にわたって弟子たちに現れた」と記されているからです。40日の後、キリストは地上での役目に終わりを告げ、天に上げられました。教会は、このことを「主の昇天」と呼んでいます。

主の昇天の祭日が、復活祭から数えて40日目ということは、6回目の日曜日の後の木曜日にあたりますが、平日にはミサに参加しにくい現代人の生活に合わせて、近年では日曜日に移されるようになりました。今年は、5月16日に祝います。今晩の「アレオパゴスの祈り」は、「主の昇天」について考えてみたいと思います。

5月は、聖母マリアにささげられた月です。聖母マリアに、特に次の意向で祈りましょう。アメリカ・オバマ大統領の呼びかけで、4月12日にワシントンで開幕し、世界47カ国の首脳が参加した第1回核安全保障サミットは、数十万トンに上る兵器への利用可能な核燃料を4年以内に封じ込めると発表しました。核廃絶を切望する人々の願いが、国際社会全体で一致し、真の平和が実現していきますように聖母マリアの取り次ぎを願いましょう。

今日、わたしたちをここに集めてくださった神に感謝をもって、ローソクを祭壇に捧げましょう。祭壇の上のハガキをお取りになって席へお戻りください。

イエスの昇天が記されている新約聖書の「使徒言行録」を聞きましょう。

使徒言行録 1.3~11

イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、40日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。

そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」

さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。

イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そしてエルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。

 イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。
 

(沈黙)

復活したイエスは、40日間にわたって、弟子たちに現れ彼らとともに過ごしました。40という数字が出てきますが、聖書では十分に長い期間、準備の期間を表すものとして旧約の時代から象徴的に使われています。イエスは、本当に生きておられることを食事をしたり、話をしたりして示されます。そして、彼らが、イエスを確信した後、彼らの見ている目の前で、天に上げられていきます。「天」とは、聖書の世界では、人間の入っていくことのできない世界を指しています。超越した世界、神がおられる場です。

「天」という言葉で表現されているのは、新しくつくられた世界であり神の支配が行われるところです。人間の計算とか計画によってつくられたのではなく、神がめぐみとして与えてくださった世界です。

続いてルカ福音書の結びに書かれている「イエスの昇天」の箇所を聞きましょう。

ルカ福音書 24.45~53

イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて言われた。「次のように書いてある。
『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』とエルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。わたしは、父の約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」

イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。
 

(沈黙)

今、読まれた二つの聖書の朗読は、ルカが書いたものです。彼は、福音書を書いた後、その続編として使徒言行録を書きました。この二つの書を結ぶのが「イエスの昇天」の出来事です。この出来事を境にして、イエスの活動は使徒たちの活動へと受け継がれていきました。

始めに読まれた使徒言行録の中には、「イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。」とあります。これからはもう、弟子たちは、雲に包まれたイエスを、今までのように肉眼でみることができなくなります。イエスは弟子たちにすべてを教えてきました。そして、権能を与えました。これからは、彼らが働かなければならないのです。

いままで弟子たちは受動的で、イエスが語ったことを聞くだけでした。イエスが先頭に立ち、彼らはその後についていくだけでした。最後の最後まで弟子たちは受け身でした。「主よ、イスラエルのために王国を復興なさるのは、この時なのですか」このことばが示すように、弟子たちは、これからも、イエスがなんでもしてくださるとばかり思っていました。

イエスは、このような弟子たちに新しい使命を与えられます。「エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、そして地の果てまで、あなたがたはわたしの証人となる」「あなたがたはこれらのことの証人である」

イエスの教えを聞き、心に触れ、十字架と復活を体験した者は、証し人となるように招かれます。地の果てまで、人間が生活しているすべてのところにまで、イエスのメッセージを伝えに行く役割があります。弟子たちだけでなく、キリストを信じるわたしたちも皆、その役割を持っています。成功しても失敗しても、苦境のときも、病気のときも、あらゆる事情のもとで、証ししていくことができるのです。

イエスによって、ガリラヤから始められエルサレムでの死と復活で終わった活動は、今度は、弟子たちによって、受け継がれ、エルサレムから全世界へと広がっていきます。それは、「弟子たちが告げ知らせる」のではなく、「告げ知らされることの証人となる」からです。もちろん弟子たちが福音のメッセージを伝えていくのですが、言い換えれば、復活されたイエスが、弟子たちをとおして、時間と空間を超えたあらゆる場所の、あらゆる時代の人々に福音を伝えていくということになるでしょう。

「父が約束されたもの」「高い所からの力」はどちらも聖霊のことを示しています。弟子たちは聖霊という神の力に支えられて「証人」となり使命を果たしていきます。この約束は、その後の聖霊降臨の日に実現します。わたしたちも弟子たちと同じ使命をもっています。自分の力ではなく、イエスとともに働いてくださる聖霊に信頼して、福音を告げる使命を果たしていくことができるのです。

 

昇天するイエス

ルカ福音書に、天に上げられるイエスを見て、弟子たちは「イエスを伏し拝んだ」と書いてあります。弟子たちは、イエスがどういう方であるかをここでやっと理解し、悟ることができました。イエスが目に見える姿でいる期間は終わり、これから見えない形で彼らとともに生き続ける時代が始まります。

イエスは弟子たちが使命を果たすことができるようにと、聖霊を送る約束をしました。聖霊とは、イエスの中に満ちていた、イエスを生かしていた神の霊のことです。復活、昇天、聖霊の降臨をとおして、神の霊が働いていることがわかります。

「復活」はイエスが死に打ち勝ち、今も生きているという面を表し、「昇天」は、イエスが神のもとに行き、そこで神とともに永遠のいのちを生きる方となったという面を表し、「聖霊降臨」は、イエスが目に見えないけれども、わたしたちのうちに今も働いてくださることを表しています。

主の昇天は、わたしたちに希望を与えてくれる出来事です。イエスが先に神の栄光にあげられ、新しい天と地を開いてくださいました。ヨハネ福音書にあるように「わたしはあなたたちのために、場所を準備しに行く」(ヨハネ14:2)と言っています。わたしたちも彼の後に続いて新しい世界で、永遠のいのちにあずかることができるという保証が与えられました。わたしたちの歩みは肉体の死で終わる歩みではなく、死をとおって最終的に神のもとに至る歩みだからです。このことを本気で信じ、受け取るなら、今のわたしたちにとって、すべてが過ぎていく目の前の喜びや楽しみ、苦しみや悲しみがどのような意味を持っているかが見えてくるのではないでしょうか。

マルティン・ルターが次のような有名なことばを残しています。“明日もし世の終わりが来ると知っていたなら、わたしは今日リンゴの木を植えよう。 ”

これは、世の終わりが来るから何もしないで、ひたすらじっと待つというのではなく、世の終わりが来ると知っているからこそ、今の生活で自分のできるかぎりのことをするという信仰です。キリストを信じる者の希望は、すべてを神に委ねながら、神のめぐみに支えられて、自分のできるかぎりを心を尽くして行うということを意味していると言えます。

(沈黙)

明日の復活節第5主日には、イエスの遺言と言える、ヨハネ福音書の13章が読まれます。“あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたたちを愛したように、あなたたちも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。”

最後に、アメリカの宇宙飛行士、フランク・ボーマンが作ったお祈りをご一緒に唱えましょう。

   「主よ、世界には人びとの利己主義から出た悪と、みじめさがいっぱいあります。
   けれども、この世界に、あなたの愛を見る目をわたしにお与えください。
   わたしは弱虫で、知らないことばかりです。
   けれども、わたしに信仰と、信頼と、やさしさを、教えてください。
   開かれた心で祈ることを、わたしに教えてください。
   わたしたち一人ひとりが、
   全人類の幸せのために、世界のほんとうの平和のために、
   そして、新しい世界がつくられるために、かならず何かできることを、
   信じさせ、それを実行させてください。
   万物を新しくなさる主、復活されたあなたの協力者にならせてください。」

これで「アレオパゴスの祈り」を終わります。


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