アレオパゴスの祈り
アレオパゴスの祈り 2010年12月4日
今年も12月を迎え、カトリック教会の暦では、待降節と呼ばれるキリストの誕生を待ち望む準備の期間となりました。この「待ち望む」には2つの意味があります。ひとつは、2000年前にキリストがこの世に来られたことを記念するご降誕の日を待ち望むこと。そして、もうひとつは、キリストが再びこの世に来ると言われた約束が実現する日を待ち望むことの2つ意味です。教会は、この待降節から新しい一年が始まります。
祭壇に向かって左にある赤い四本のローソクは、待降節の間の日曜日、つまり主の日が4回あることを示しています。一週間ごとに灯されるローソクが、1本ずつ増えていくとともに、主キリストがだんだん近づいておられることを意味しています。明日は、待降節第2主日ですから、ローソクが2本灯されています。ローソクを灯すこの風習は、ドイツで始まったと言われています。
この一年間を振り返ってみて、お一人おひとり、さまざまな出来事が思い出されるでしょう。悩んだこと、喜んだこと、感謝したこと、迷ったこと、疲れ果てたこと、もうだめだとあきらめたこと、神さまが助けてくださったことなど、神さまはわたしたちのすべてをご存知で導いてくださいました。
2010年、この世界に生きる一人ひとりの心の奥に、幼子イエスの誕生をとおして、まことの光が輝きますようにと、今年最後の「アレオパゴスの祈り」に願いを込めて祈りましょう。ローソクを祭壇にささげましょう。
わたしたちは、自分の楽しみにしていることのためなら、辛抱強く待つことができます。実際に、救い主イエス・キリストの到来を、長い間待ち続けたイスラエルの人々のこと、そしてイエス・キリストがどのように来られたのかを、今日はご一緒に思いめぐらしてみましょう。
神は、昔、アブラハムという人を選び、「おまえの子孫から救い主が生まれるであろう」と約束されました。どんなに人々が罪を重ねても、見捨てることなく、人間を救おうとされる神は、イスラエルの歴史の中に働き続けられました。それで、イスラエルの民は、約束のとおり「自分たちを救ってくださる主が来られる」という信仰を持ち続けることができました。
紀元前1000年ころ、イスラエルには、ダビデという王様が支配していました。このダビデ王の子孫から救い主が生まれるであろうとの期待が、人々の中に育っていきました。苦しい歴史が続き、外国の勢力が次から次へと押し寄せて、ついに神殿は破壊され、祖国から追放されることも体験しました。試練の中でも、救い主が来られるという希望を、次の世代へと伝えていきました。救い主が来られるというゆるぎない信仰が、彼らの心を常に支えてきました。そしてついにそのときが来ました。
旧約聖書のイザヤの預言を聞きましょう。
イザヤ書9.1、5
闇の中を歩む民は、大いなる光を見
死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
権威が彼の肩にある。
その名は、「驚くべき指導者、力ある神
永遠の父、平和の君」と唱えられる。
続いて、ルカ福音書が伝えるイエスの誕生の物語を聞きましょう。
ルカ2.1~16
そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。
ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。
「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、
地には平和、御心に適う人にあれ。」
天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
今読まれた、ルカ福音書が伝えるイエスの誕生の物語は、非常に静かなひびきを持っています。神がそのひとり子をこの世に送られるのに、ひっそりとした真夜中を選ばれました。全世界を救うという歴史の中でもっとも大切な神のわざが始まった、救いの訪れをいちばん先に告げられたのは、羊飼いたちでした。彼らは、当時の社会の中で、軽蔑され、律法を守ることができない者とされ、それ故罪人とみなされていた人たちでした。羊飼いたちは、丘の上で羊の群れの番をしているとき、救い主の誕生を知らせる天使たちに出会いました。そして、彼らは、自分の目で確かめようとベツレヘムへと向かったのです。
聖書が描いているクリスマスの情景は、人間的な目から見るならば、みじめな貧しい飼い葉桶に、人目に立たない弱々しい幼子の誕生として伝えられています。
「彼らが、ベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、はじめての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」とあります。「場所がない」とは、とても寂しく辛いことです。“わたしには居るところがない”“ぼくには場所がない”という子どもたち、会社でリストラにあって仕事を失ってしまった人たち、住む家がない人たち、戦争や紛争で国を追われ逃げまどう人たち。わたしたちも日常生活の中でたびたび、“自分の場所がない”と感じて悲しくなってしまうこともあるでしょう。
今夜は、イエスのことを考えてみましょう。宿屋に場所がなくて、イエスは生まれるとすぐに、飼い葉桶に寝かされました。家畜のための飼い葉桶に神さまがいらっしゃるなんて、だれが想像できたでしょうか。
今、世界中で、クリスマスになると教会で飾られる馬小屋は、場所がなくて仕方なくイエスを置かれたその飼い葉桶です。聖書は、“これがあなたがたへのしるしである”と語っています。居場所がない一人として生まれたイエスは、目に見えるしるしとなってくださいました。イエスは、わたしたちが居場所がないと感じて寂しく辛い思いをするとき、飼い葉桶から、わたしたちと一緒にいてくださり、勇気と力を与えてくださるのです。
(沈黙)
クリスマスの出来事は、2000年も前にイスラエルの国のベトレヘムという町で起こったことです。確かに、時代と場所を遠く隔てたわたしたちには、信じ難いことかもしれません。しかし、神の子イエスが生まれた最初のクリスマスの晩、そこに居合わせた人々にとっても不思議なことでした。 救い主は、母マリアに抱かれ、マリアから世話をしてもらわなければ生きていけない幼子としてこの世に来られました。神さまは、マリアやヨセフがそうしたように、自分の救いの計画に人間が協力してくれるようにと求められます。
このクリスマスの神秘は、今もこの世界に働いておられる神さまの不思議さを物語っていると思います。忙しいわたしたちは、ゆっくり神さまのことを考えたり見つめたりする時間がとれません。神さまのほうに行けないわたしたちのところに、神さまのほうからきてくださったのです。
ここで、皆さまもよくご存知の「きよしこの夜」の歌についてご紹介しましょう。
毎年、クリスマスの季節になると、街のあちこちにこの曲が流れます。世界中の人々に親しまれているクリスマス・キャロルです。美しく心温まるこの曲は、どのようにして生まれたのでしょうか?
1818年、年の瀬も押しつまり、クリスマスが近づいていました。オーストリアの小さな田舎町オーベンドルフにある聖ニコラウス教会で起こった出来事です。クリスマス・イヴの前日、教会では重要な問題が起きました。教会のパイプ・オルガンがネズミによって穴が開けられ、クリスマスに歌う賛美歌の伴奏ができなくなったのです。困った助祭ヨゼフ・モーアは、以前からしたためていた「キリスト誕生の詞」を、教会オルガニストのグルーバーに渡し、この詞にギターの演奏で歌うデュエットとコーラスのための作曲を依頼しました。グルーバーは、数時間で曲を作りました。ギター1本、2人の男声合唱、子ども聖歌隊によるリフレイン、曲全体ができあがったのは、ミサが始まる数時間前のことでした。
クリスマス・イヴに、村人たちがぞくぞくと教会にやってきました。しかし、オルガンの音が全くしないことに、ざわめき始めました。礼拝が始まり、神父の聖書のお話が終わると、ヨゼフとグルーバーが出てきて、ことの次第を説明し、これから、このミサにふさわしい曲を披露しますと言って、「きよしこの夜」を演奏しました。ヨゼフ・モーアがギターを弾きながらテノールソロを歌い、グルーバーはバスソロを歌い、合唱がそのメロディーの終わりのリフレインを歌いました。これが最初の「きよしこの夜」の誕生でした。 美しいハーモニーと心温まる幸せに満ちた歌詞に、村人たちはクリスマスの奇跡だと喜び合いました。そして、年が明けると、助祭ヨゼフは、別の赴任地に転任になりました。
翌年の春、雪が解けて、パイプオルガンの修理屋が、この町にやってきました。彼は、名前をモーラッハと言いました。彼は、馬車でオーストリア中を回って、各地のパイプ・オルガンを修理する仕事をしていました。仕事柄、各地の口コミ情報をたくさん持っていました。モーラッハは、修理しながら、各地のおもしろい出来事を聞くのが好きでした。グルーバーは、イヴにこんなおもしろい出来事があったと話します。するとモーラッハはそんなことは今まで一度も聞いたことがないと言い、できたらその楽譜を見せてくれと頼みました。ヨゼフのいない今となっては、グルーバーにとっては、一緒に歌うこともなく、“楽譜あげるよ”と言って楽譜をあげてしまいました。
モーラッハは、その歌を国境に接した商業の栄えるチロルの町に伝えました。そして次々に伝えられ、8年後にはニューヨークの教会で歌われ、人々に感動を与えました。しかし、その歌の作詞者も作曲者も36年という長い間わからないままでした。
1854年12月30日のことでした。年老いたグルーバーは、ベルリン王立礼拝堂あてに、「きよしこの夜」の歌が生まれた背景について便りをしたためました。こうして、作詞者のヨゼフ・モーアと作曲者のグルーバの名が明らかになったのです。これがこの歌の生まれた物語です。
飼い葉桶の幼子を見て、
だれが神の子と思ったであろうか。
神は幼子のうちに隠れておられる。
神は、「お忍び」で来られた。
この矛盾は、クリスマスの秘儀の本質。
神の威厳は、卑しさのうちに、
神の力は、弱さのうちに、
神の永遠は、死すべきからだのうちに現れる。
神は静かに来られる。
神はその力を言いふらし、見せびらかせることはない。
家畜小屋と飼い葉桶の出来事のうちに、
ゴルゴタの十字架はすでに、ひそかに予告されている。(カール・レーマンのことば)
女子パウロ会刊行『クリスマスに贈る100の言葉』
これで今年の「アレオパゴスの祈り」を終わります。
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