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アレオパゴスの祈り

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アレオパゴスの祈り 2011年2月5日


紅梅



新しい年、2011年も2月を迎えました。今年も、"アレオパゴスの祈り"をとおして、神さまの愛と憐れみに触れていけるよう、神さまに心を開いていくめぐみをご一緒に願って祈りましょう。

皆さまは、新年を迎えて、神さまにどのような願いをささげられたでしょうか。今年はじめての「アレオパゴスの祈り」の中で、この一年を導いていただけるよう、お一人おひとりの祈りをこめてローソクをささげましょう。後ろでローソクを受け取り、祭壇上のハガキをお取りになって席にお戻りください。

ルカ福音書の中に、"生活費をすべて賽銭箱に入れた、貧しいやもめ"のお話が書かれています。神さまにまったく信頼した貧しいやもめの生き方を見つめ、今日は、この箇所をご一緒に読んでみたいと思います。 また、後半には、2月11日にルルドの聖母の記念日を祝うにあたり、ベルナデッタ・スビルーに聖母マリアが現れた出来事をご紹介しましょう。

ルカ福音書 21.1~4

イエスは目を上げて、金持ちたちが賽銭箱に献金を入れるのを見ておられた。そして、ある貧しいやもめがレプトン銀貨2枚を入れるのを見て、言われた。「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。あの金持ちたちは皆、あり余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。
 

やもめの献金

 

今、読まれた福音書は、エルサレムの神殿でのエピソードです。

当時、エルサレムの神殿には、「婦人の庭」という所があって、そこに献金箱が置かれていました。この「婦人の庭」というのは、婦人だけしか入れないというところではなく、ここまでは婦人が入れるというところでした。この「婦人の庭」の先には「男子の庭」「祭司の庭」という所があって、そこには婦人は入って行くことができませんでした。ですから献金箱が置かれていた「婦人の庭」には、男性も女性もいて、だれもが献金箱へお金を投げ入れていたのでしょう。

この「婦人の庭」の献金箱は、13個あったと言われています。多くの人々が集うので、多くの献金箱が必要だったのかもしれません。しかもこの13個ある献金箱は、どれもラッパの形をしていたようです。なぜラッパの形をしていたのかわかりませんが、当時紙幣のなかった時代ですから、おそらくお金を入れた時に、大きな音を響かせるためではないかと思います。イエス様が献金箱を見ていたこの時も、金持ちたちが大金の硬貨を投げ入れて、得意げにラッパのような大きな音を響かせていたのではないかと思います。

そのような中で、ひとりの貧しいやもめが来て、レプトン銅貨を2枚投げ入れたというのです。この「レプトン銅貨」というのは、どのくらいの価値があったのでしょうか。それは、1クァドランスとマルコ福音書は説明しています。聖書の注釈を見ると、「1クァドランス」は、「1デナリの64分の1」 とあります。では1デナリとはどのくらいなのでしょうか。1デナリは、当時の労働者の、一日分の給料でした。労働者の一日分の給料を仮に1万円だと仮定すると、その64分の1ですから、1クァドランスは160円ぐらいということになります。この貧しいやもめは、周りで金持ちたちが大きな音を響かせて大金を投げ入れている中で、160円相当のレプトン銅貨2枚を投げ入れていました。レプトン銅貨というのは、新約聖書に出て来る貨幣の中で一番小さい単位のお金です。ですから、もしかしたら日本の1円玉のように、軽く、投げ入れた時の音もかすかな音で、ほとんど響かなかったかもしれません。しかしイエスは、そのような彼女の献金に目を留められました。そして「この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れた。みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れた」と言われたのです。

イエスは「献金箱に向かってすわり、・・・見ておられた」とあります。イエスは献金を見ておられる方です。イエスは献金の額というよりも、その献金がどのような状況の中からささげられたのかを見ておられる方です。このことからわたしたちが教えられることは、献金というのはイエスの眼差しの中でささげられるものということです。決して他人の目を気にしてささげられるものではありません。イエスの眼差しの中で、どのような献金をすればいいのかを決めることが大切だと思います。

さてイエスは、この貧しいやもめの献金に目を留められて、「この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れた。みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れた」と言われました。イエスはこの言葉をだれに語られたのでしょうか。

それは弟子たちに向かってでした。弟子たちとは、初代教会を建て上げていく者たちです。イエスは教会を建て上げていく者たちに、貧しいやもめの献金について語られました。実はこれは、教会を建て上げていくすべての者たちが聞かなければならない言葉です。イエスは、わざわざ弟子たちを呼び寄せて聞かせました。そして「まことに、あなたがたに告げます」と言われて話し始められました。この「まことに」という言葉は、「アーメン」という言葉で、本当に、真実に、という意味の言葉です。それほどイエスは、この言葉を真剣に語られました。

イエスはこの言葉の中で、金持ちたちの献金と貧しいやもめの献金を対比させて、金持ちたちの献金はあり余る中からであったのに対して、貧しいやもめの献金は、乏しい中からであったと言われます。この乏しい中からという言葉は、欠けている、不足しているという意味の言葉です。ですからこの貧しいやもめは、ただの貧しさではありません。すでに生活できない状態なのです。生活に必要なものがすでに欠けている状態なのです。しかもこの貧しいやもめの貧しいという言葉は、物乞いをしている、他人の援助に頼っているという意味の言葉です。彼女の収入は、物乞いをしてもらったお金だけかもしれません。彼女の生活は、常に欠けていました。その欠けていた状態の中から、彼女は惜しみなく献金をしました。そしてイエスは、その彼女の献金に目を留められました。

貧しいやもめは、欠けている中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたとあります。彼女がささげたものは、生活費の全部でした。ここにある生活費という言葉は、「人生」「生涯」「一生」という意味の言葉です。彼女がささげたのは、お金に留まらず、彼女の人生だと言えるでしょう。彼女は彼女自身をここでささげたのです。献金をすれば、少なくとも金銭的にはしばらく何のあてもなかったであろうと思われます。しかし、それを献金したということは、明日を心配しない神への信仰と信頼があったと考えられます。だからこそ、キリストはこのやもめのことを弟子たちに教えたかったのだと思います。

(沈黙)

実際にあった、アメリカのひとりの少年のお話です。ミサにあづかっていた少年は、ある日の説教を聞いてとても感動しました。そして説教が終わり献金の時となりました。この少年は貧しくてお金を持っていませんでした。彼は「わたしをささげます」と言って、回ってきた献金の皿の上に自分が乗ってしまったというのです。これは献金の精神を豊かに表している話だと言えます。

わたしたちは献金において、ただお金をささげているわけではありません。わたしたちは自分自身をささげることを、献金をとおして具体的に表しています。ではなぜわたしたちの献身をお金で表すのでしょうか。他のものでもいいのではないでしょうか。ある神学校の先生は、次のように言いました。
「お金というものは、人間の心が最も固執しやすいものです。だからお金をささげるということが、最もよく自分自身をささげるということを表せるものです。」

やもめのように神さまに自分のすべてのものをささげる心で、自分の真心をささげるなら、献金は神さまを礼拝する一つの方法になるでしょう。ささげる心の姿勢が大切であることを聖書の中のやもめは教えてくれていると思います。

さらに、わたしたちの日常を考えてみると、お金だけでなく、時間や体力、能力などについても同じことが言えるのではないでしょうか。惜しみなく神さまのためにできるだけをさし出していく、それは自分の回りにいる人たちへの接し方で表されます。神さまは、たとえ小さな行為でも、それを見て喜んでくださる方だと確信できるのではないかと思います。

「清いこころで」② ③ ④

2月11日は、ルルドの聖母の記念日を祝います。1993年からこの日は「世界病者の日」と定められました。身体的、精神的な病気で苦しむ人たち、また彼らのために働く人たちがふさわしい援助を受けられるよう願って祈りましょう。

南フランスのルルドで、当時14歳だった貧しく無学な少女、ベルナデッタ・スビルーに聖母マリアが現れた出来事をご紹介します。

 

ベルナデッタ

 

それは、1858年2月11日のことでした。ベルナデッタ(1844-1879)は、郊外のマッサビエルの洞窟のそばでたきぎ拾いをしている時、その小さな洞窟から光が輝き出、その中に真っ白な服装で腰には空色の帯をしめて腕にロザリオを下げた美しい女性が立っているのを見ました。「15日間ここに来るように」とその女性から言われたベルナデッタは、洞窟に通い続けました。彼女はこの出来事を両親や主任司祭に話しましたが、彼らは、なかなか信じようとはしませんでした。多くの人々から疑いの目で見られましたが、ある人は好奇心からある人は信仰心から、彼女とともに洞窟に通い祈るようになりました。しかし、不思議なことに、その女性の姿は、一緒に行った人々には見えず、ベルナデッタにだけ見えたのです。

美しい女性は、彼女のもとに、1858年2月11日から7月16日まで、18回現れたと言われています。9回目の出現の時、彼女が示した地を、ベルナデッタが掘ると水が湧き出ました。その水を飲んだり、体に浴びると病が治る奇跡が起こり、いつしかその話が人々の中に広がっていきました。

ベルナデッタは、彼女から言われたメッセージとして「罪びとの回心のために祈ること、この場所に聖堂を建てること」を教会の司祭に伝えました。すると司祭は、ベルナデッタにその方のお名前を尋ねるように言いました。16回目の時です。ベルナデッタは、「あなたはどなたですか?」と尋ねると「わたしは無原罪の宿りです」という答えがありました。しかし、無学なベルナデッタにはその意味がわかりません。ただ、その言葉どおりを司祭に伝えました。司祭をこの返事に驚きました。というのは、4年前の1854年12月8日、カトリック教会は、マリアが神の恵みによって最初の人間が犯した罪の結果を免れて、「無原罪で母の胎内に宿られた方」と教皇から公に宣言されたばかりでした。このことは、ベルナデッタに現れたその女性は、聖母マリアであることを決定づけることになりました。同時にそれは、教会の宣言を聖母ご自身が確証されたことにもなりました。

その後、1862年1月18日に、約2年間に及ぶ調査の結果、現地の司教は、ルルドのマッサビエルの洞窟に聖母マリアが現れたことを公的に認めました。

1866年にベルナデッタはヌヴェール愛徳修道会の修道院に入り、1879年、肺結核により35歳の短い生涯を閉じました。現在、彼女の遺体は腐敗しないまま安置されています。1933年、ベルナデッタは聖人に加えられ、記念日は4月16日と制定されました。

ベルナデッタに聖母マリアが現れてから150年が過ぎました。現在は、ルルドの聖母の大聖堂が建てられ、人口1万5000人のこの小さな町に、世界中から毎年500万人以上の人々が巡礼に訪れています。

『カトリック聖歌集』No.322「あめのきさき」① ④ ⑤

聖母マリアが、特別な配慮をもってわたしたちに絶えず心と体の健康をお与えくださいますように。わたしたちがすべての危険から救われ、互いに協力し合い、生きることができますように祈りましょう。

 
  健康を求める祈り    (『パウロ家族の祈り』より)

  すべてをつくり、新たにする方、わたしのいのちの源、神の聖なる霊、
  聖マリアとともに、あなたを礼拝し、感謝し、愛します。
  あなたは、全宇宙にいのちを与え、活気づける方です。
  わたしに健康を保たせ、いのちをおびやかし
  危険にさらす病気から解放してください。
  あなたの恵みに助けられ、神の栄光と、わたしの魂の善と、
  兄弟への奉仕のために、わたしのすべての力を常に用いることを
  約束します。
  医師と看護にあたるすべての人に、
  あなたの知識と聡明の賜物を与え、照らしてください。
  いのちをおびやかし危険にさらす病気の原因を知り、
  予防と回復のため、より効果ある治療がなされますように。
  聖なるおとめ、いのちの母、病人のいやしである御母、
  わたしのこの貧しい祈りをあなたにゆだねます。
  あなたは神の母、
  わたしたちの母、あなたの取り次ぎをもって
  この祈りに力を添えてください。アーメン。
 

これで今晩の「アレオパゴスの祈り」を終わります。


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