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アレオパゴスの祈り

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アレオパゴスの祈り 2015年 6月 6日


木漏れ日


新しい月を迎えたことを、共に主に感謝いたしましょう。今月15日、聖パウロ女子修道会創立100周年を迎えます。この日を迎えることができましたことは、神様からの大きな恵みです。また皆さまをはじめ、多くの方々のお祈りとご支援によりますことを心から感謝いたします。教会の中で、社会的コミュニケーションの手段による福音宣教という使命をいただいたわたしたちの修道会は、創立当初、メディアと言えば、出版が主でした。しかし、現代ではインターネット、ソーシャル・ネットワーキングサービスなど、コミュニケーションの手段も多様化しました。時代の変化と技術の進歩により、みことばを伝える手段は変わっても、宣教の使命を支えてきたのは「聖体の内におられる主イエス」の現存でした。教会では、明日6月7日、「キリストの聖体」の祭日を祝います。聖体のイエスに養われて、わたしたちもそれぞれの場で、福音を周りの人に伝える者となることができますように、ご一緒に祈りましょう。

わたしたち一人ひとりが心に抱いている意向、祈りを必要としている人びとを神にゆだねて、しばらく思い起こしましょう。

(沈黙)

お祈りしたい意向を心の中にたずさえて、ローソクをささげましょう。この祈りのとき、聖霊がわたしたちを導いてくださいますように、願って歌いましょう。

『カトリック聖歌集』p.223 「みたまよ来たりて」①~③

明日、ミサの中で朗読される福音を聞きましょう。

マルコによる福音を聞きましょう。(マルコ 14.12~16、22~26)

除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠(ほふ)る日、弟子たちがイエスに、「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」と言った。そこで、イエスは次のように言って、二人の弟子を使いに出された。「都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい。その人が入っていく家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をするわたしの部屋はどこか」と言っています。』すると、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれるから、そこにわたしたちのために準備をしておきなさい。」弟子たちは出かけて都に行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。

一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。そして、イエスは言われた。「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい。」一同は賛美の歌を歌ってから、オリーブ山へ出かけた。

聖体


イエスはご受難に向かわれる前、弟子たちと共にした過越の食事、最後の晩さんにおいて、聖体の秘跡を制定されました。旧約聖書の出エジプト記16章には、カナンの地を目指して荒れ野を旅するイスラエルの民を養うために、神が天から「マナ」という食物を与えられたことが記されています。イエスは、ご自分の死後、信じる人々をご自分の体と血で養おうと、自らを食物としてわたしたちにお与えになりました。ヨハネ福音書の中で、イエスはおっしゃいます。「わたしは、天から降って来た生きたパンである。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」(ヨハネ6.51)ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」(ヨハネ6.52)とつぶやきますが、イエスは人間が考えられないような方法で、わたしたちの飢えを満たそうと、ご自身を与えてくださいました。

わたしたち人間は感覚を持っており、食べなければ生きていくことはできません。世界では食べるものがなく、亡くなっていく人がたくさんいます。イエスは「天のパン」となることによって、目で見、手で触れ、食べられ、わたしたちが感覚的にも、イエスと一致することができるようにしてくださいました。

「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。 生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。」 (ヨハネ6.54~57)

目に見える形でわたしたちと共にいてくださり、ご自分の体で養ってくださるイエスに感謝して、しばらく沈黙の内に祈りましょう。

(沈黙)

『パウロ家族の祈り』p.205、「イエスのみ心に向かう祈り」を唱えましょう。
   師イエス、
   偉大な賜物、聖体を与えてくださった愛のみ心に、感謝と賛美をささげます。
   あなたは、愛ゆえに聖櫃にとどまり、
   感謝の祭儀においてご受難を新たにし、
   聖体拝領では魂の糧として、ご自分を与えてくださいます。
   聖体の秘義におられる神よ、わたしがあなたを知り、
   み心の泉から救いの水を汲むことができますように。
   この秘跡におられるあなたを日々訪問し、
   感謝の祭儀を理解し、行動的に参加し、
   信仰と愛の内に聖体を受ける恵みを与えてください。

   イエスのみ心、いっそう深くあなたを愛することができますように。

聖パウロ女子修道会の創立者アルベリオーネ神父は、若い神学生であった16歳のとき、修道会創立のインスピレーションをいただきました。それは、19世紀と20世紀を分かつ夜、顕示された聖体のみ前で祈っていたときでした。

当時、社会は工業化が進み、人々の間で貧富の差が生まれ、社会問題となっていました。また科学の発展により、人間の理性と信仰が相容れないものとされ、無神論、マルクスによる共産主義が広まりました。教会に反対する人々は印刷の技術を使い、運動を進めていきました。そのような社会の動きの中で、教皇レオ13世は「新しく始まる20世紀が、道・真理・いのちであるイエスの内に始まり、人々がイエスのもとに立ち返るように、祈りましょう」と信徒たちに呼びかけていました。

聖体


ご聖体の前で祈っていた神学生アルベリオーネは、特別な光を感じ、すべての人をご自分のもとに招いておられる救い主イエスの思いを、心に強く感じました。「反対者が利用している『出版』という手段を使って今日の使徒とならなければならない」と心の中で思いめぐらしながら、主のために、そしてまた、自分が生活を共にするはずの新世紀の人々のために、何かを果たすように準備する義務を負っているということを、ひしひしと感じました。彼は自らの小ささ、貧しさをよく分かっていました。しかし、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ 28.20)と言われたイエスのみ前で、ご聖体のイエスの内に光、糧、慰め、悪への勝利を得られるのだということを確信しました。

今、社会はさまざまな価値観によって多様化し、それによって、多くの人が心の支えを見い出せなくなっています。「何がよいことで、何が悪なのか」。「何を信じ、何のために生きたらいいか」と思いながらも、それを見つけるのはたやすいことではありません。16歳の少年アルベリオーネは、「イエスの内に光、糧、慰め、悪への勝利を得られる」と信じました。わたしたちもその信仰をいただけますように、社会の人々の心の空虚さをイエスが満たしてくださいますように、沈黙の内に祈りましょう。

(沈黙)

『カトリック聖歌集』p.246 「ひせきにこもりて」①~②

「メディアの手段を使って、神の愛をすべての人に伝えたい」という夢を抱いたアルベリオーネ神父について行った女性たちは、やがて修道会としての歩みを始めました。印刷のことは何も知らず、ただ「神と人々のために何かしたい」という善意と信仰で、アルベリオーネ神父に従っていきました。アルベリオーネ神父は、聖パウロ会の若い神学生たちに、彼女たちのことをこう述べています。

「神のお助けがあれば聖パウロの娘たちは、すぐにも成功するだろう。成長するには謙遜に深く根を張って、たくさんの祈りの水を注がなければならない。へりくだろうと思えば、彼女たちにとって易しいことだ。実際、これ以上何もできない者など、いはしないのだから。たいてい神は、無力な者をお選びになるが、これは明らかにその実例だ。彼女たちにできることと言ったら、ただ泣くだけだ。さあ、わたしたちは彼女たちのために祈ろう。」

事実、彼女たちは、自分たちの無力と限界を悟っていて、泣くことしかできませんでした。その中の一人であったシスターテクラ・メルロは、次のように言っています。

「福音書の中にあるように、主は万事うまくいくときにも無益なしもべだと思うように教えてくださいました。わたしたちの場合、なおさら、主ははじめから、すべてをなさるのはご自分だということを目に見える形でお示しになりたかったのです。わたしたちは自分で何かできると決して思ってはなりませんでした。それは神様のお働きを妨げるだけでしたでしょう。神様のお望みは、そのおぼしめしを残らず受け入れ、彼にのみ完全な信頼を寄せることだけでした。」
(オルガ・アンブロージ著 アグネス・レト訳、『よい便りの使者』pp.64-65参照)

後に、初代総長となったシスターテクラは、次のように言っています。「一人ひとりできるだけのことをただ神への愛のためにしましょう。すべてに行き届かなくても悩まないでできるだけすればいいのです。」このことばを思いめぐらしながら、祈りましょう。

わたしたち一人ひとりに与えられている道を歩むことができますように、御父に信頼して祈りましょう。 主の祈り、アヴェ・マリアの祈り、栄唱

この祈りの時間にいただいた恵みを感謝しましょう。

(沈黙)

祈りましょう。
恵み豊かな父よ、御子キリストは、その死を記念するとうとい秘跡を教会に残してくださいました。主のからだを受け、救いの力にあずかるわたしたちが、主の死と復活を告げ知らせることができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。
アーメン。

父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。

これで今晩の「アレオパゴスの祈り」を終わります。



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