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アレオパゴスの祈り

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アレオパゴスの祈り 2016年 2月 6日


 白梅


教会の暦では、来週の「灰の水曜日」から四旬節が始まります。教皇様は、「いつくしみの特別聖年大勅書」の中で、次のようにおっしゃっています。

「イエス・キリストは、御父のいつくしみのみ顔です。キリスト者の信仰の神秘は、ひと言でいえばこの表現に尽きる気がします。いつくしみは生きたもの、見えるものとなり、ナザレのイエスのうちに頂点に達しました。……ナザレのイエスは、そのことばと行い、そして全人格を通して、神のいつくしみを明らかになさいます。わたしたちのまなざしを、もっと真剣にいつくしみへと向けるよう招かれるときもあります。わたしたちが、御父の振る舞いを示す効果的なしるしとなるためです。これこそ、わたしがこのいつくしみの特別聖年を公布した理由です。」(大勅書 No.1、3より)

特別聖年、特にこの四旬節の期間、父である神のいつくしみ、あわれみを知ることができますように、お互いのために祈りましょう。

わたしたち一人ひとりが心に抱いている意向、祈りを必要としている人々を父である神の御手にゆだねて、しばらく思い起こしましょう。

(沈黙)

お祈りしたい意向を心の中にたずさえて、ローソクをささげましょう。

「いつくしみの特別聖年のための祈り」、初めの段落の部分を唱えましょう。

    主イエス・キリスト、
    あなたは、わたしたちが天の御父のようにいつくしみ深い者となるよう教え、
    あなたを見る者は御父を見る、と仰せになりました。
    み顔を示してくださればわたしたちは救われます。
    あなたの愛に満ちたまなざしによって、
     ザアカイとマタイは富への執着から解き放たれ、
     姦通の女とマグダラのマリアは、
     この世のものだけに幸せを求めることから解放されました。
     ペトロはあなたを裏切った後に涙を流し、
     悔い改めた盗人には楽園が約束されました。
    「もしあなたが神のたまものを知っていたなら」と語られました。
    このことばを、わたしたち一人ひとりに向けられたことばとして聞かせてください。

 特別聖年ロゴ


ルカ福音書の、「よきサマリア人のたとえ話」を聞きましょう。(ルカ10.25~37)

ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」 イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、 彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」 イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」 しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。 イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。 ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。 同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。 ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見てあわれに思い、 近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。 そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』 さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」 律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」

いつくしみ、あわれみとは、「人間の苦しみ、罪などを前にして、それを包みいやす愛のこと。罪深い人間に対して神が取っている態度。イエスがすべての人々に対して取った態度」を意味します(上智学院新カトリック大事典編纂委員会 編集、『新カトリック大事典〈1〉』研究社、1998年)。「ルカによる福音書」は、無くした銀貨、放蕩息子、そして今、読まれたよきサマリア人の話など、他の福音書に含まれていないたとえ話があります。どれも人間の弱さをあわれみ、救おうと懸命に探し求める、神のいつくしみ深さを表しています。

サマリア人のたとえ話の中に登場する主人公は、不幸にも追いはぎにあってしまいます。このユダヤ人は、服を取られ、傷を負い、息も絶え絶えになっていました。そんなところへ祭司、レビ人が通りかかります。どちらもユダヤ教の神殿で仕える人でしたが、「道の向こう側を通って」行ってしまいます。そこに現れたのがサマリア人でした。サマリアは、イスラエルの国が南北に分かれたとき、北イスラエルの首都でしたが、紀元前8世紀、アッシリアによって陥落されました。その後、サマリアにはアッシリアからの移民が移り住み、そこに残っていたユダヤ人との間に生まれた人々がサマリア人と呼ばれました。サマリア人は、異国の血が混じっていると言われ、ユダヤ人からは忌み嫌らわれるようになりました。

たとえ話では、瀕死の状態にあったユダヤ人に目を留めたのは、旅をしていたサマリア人でした。その人を見てあわれに思い、 近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱します。 そして、翌日になると、宿屋の主人に「必要なお金は払うから……」と言って、介抱してくれるよう頼みます。

わたしたち一人ひとりも、歩みの途中で傷を負ったこのユダヤ人のようであるかもしれません。だれでも心のどこかに傷を負って、生きています。しかし、あるとき、何かのきっかけを通して、人との出会いによって、イエスと出会いました。イエスはわたしを見てあわれに思い、 近寄って来てくださいました。たとえ話の中で、サマリア人は、傷ついたユダヤ人の傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱します。イエスはわたしの人生にどんなことをしてくださったでしょうか。わたしのこれまでの歩みの中で、神の愛、いつくしみをどんなときに感じたでしょうか。人々との出会い、出来事を通して、神の善良さ、あたたかさを体験したことがあったでしょうか。祈りのうちに、ふり返ってみましょう。

(沈黙)

父である神が、わたしたちの歩み、生活の中で、示してくださった愛、いつくしみに感謝して、歌いましょう。

『平和を祈ろう』No.16、「主をあおぎみ」① ②

まだ父である神を知らない人、教会に行ってみたいけど、さまざまな事情で行くことができない人が、何かのきっかけを通して、神の愛を体験することができますように祈りましょう。

 白梅一輪


「いつくしみの特別聖年のための祈り」、第2段落の部分を唱えましょう。

    あなたは、目に見えない御父の、目に見えるみ顔です。
    何よりもゆるしといつくしみによって、自らの力を示される神のみ顔です。
    教会がこの世において、復活し栄光に満ちておられる主のみ顔となりますように。
    あなたは、ご自分に仕える者が弱さを身にまとい、
    無知と過ちの闇の中を歩む人々を、
    心から思いやることができるようお望みになりました。
    これら仕える者に出会うすべての人が、
    神から必要とされ、愛され、ゆるされていると感じることができますように。

大勅書の中で、教皇様は次のようにおっしゃっています。

「聖書では、いつくしみは、わたしたちへと向けられた神の行為を指すキーワードです。神はご自分の愛を約束なさるだけではなく、それを見えるもの、触れることのできるものとなさいます。やはり愛は、決して抽象的なことばではありえません。愛は、その本性から具体的な営みです。日常生活の中で確かめることのできる、意図であり、姿勢であり、行動です。神のいつくしみは、わたしたちに対する神の責務なのです。神は責任を感じています。わたしたちの幸せを望み、わたしたちが幸福で、喜びと平和に満たされているのを見たいのです。キリスト者のいつくしみに満ちた愛は、その神の愛と同じ波長をもたねばなりません。御父が愛しておられるのと同じように、子らもまた愛するのです。御父がいつくしみ深いかたであると同じように、わたしたちもまた、互いにいつくしみ深い者となるよう招かれているのです。」(大勅書 No.9より)

父である神のいつくしみと愛をもっと生きるために、神はわたしにどんなことを求めておられるでしょうか。沈黙のうちに、自分の生活をふり返りましょう。わたしのいたらなさ、弱さを主があわれみ、必要な恵みを与えてくださいますように願って、祈りましょう。

 白梅一輪


「いつくしみの特別聖年のための祈り」、第3段落から最後の部分を唱えましょう。

    あなたの霊を送り、わたしたち一人ひとりに油を注ぎ、聖なるものとしてください。
    神のいつくしみの聖なる年が、主の恵みに満ちた一年となり、
    あなたの教会が新たな熱意をもって、貧しい人によい知らせをもたらし、
    捕らわれ、抑圧されている人に解放を、
    目の見えない人に視力の回復を告げることができますように。
    この祈りを、いつくしみの母であるマリアの取り次ぎによって、
    御父と聖霊とともに世々に生き、治めておられるあなたにおささげいたします。
    アーメン。

『平和を祈ろう』No.42、「愛のために」① ②

この祈りの時間にいただいた恵みを沈黙のうちに感謝しましょう。

(沈黙)

祈りましょう。
恵み豊かな父よ、わたしたち一人ひとりを祝福してください。日々あなたが示してくださるいつくしみに感謝し、それを周りの人々にも伝える者となることができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。

これで今晩の「アレオパゴスの祈り」を終わります。



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