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教会カレンダー

A年 年間第6主日

第1朗読 シラ書 15章15~20節

第2朗読 コリントの信徒への手紙1 2章6~10節

福音朗読 マタイによる福音書 5章17~37節

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イエス

今日のテーマは、人間の自由と自由の完成としての神の掟です。
イスラエルの人にとって「律法」を守ることは、神に従うことのしるしでした。

人の尊厳というのは、神から与えられた「自由意志」です。この自由意志により、人は神を選びます。
神の支配は、人が自由に神のみ心を受け入れることによってはじまります。
「しあわせな人、神の教えに従って歩む人」と、神の掟に従って歩む人の幸福について答唱詩編で歌います。この幸いな人は、まさにイエス・キリストご自身です。

パウロは神からいただく「神の知恵」、イエスによって啓示された神の知恵について語ります。この神の知恵こそ、私たちを自由にしてくださり、人間の自由を完成させてくださいます。

「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためではなく、完成するためである」と宣言されるイエスは神の掟を完成させる「道」を指し示されます。

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第1朗読では、「シラ書(集会の書)」が読まれます。悟りと知恵の教訓をこの書に書き記したのは、50章27節にあるように、「シラ・エレアザルの子、エルサレムに住むイエススである」とありますが、彼はこの書に書き記した「知恵をその心から注ぎ出し」ました。そして、「この言葉に従って歩む者は幸いである」とも記しています。

シラは、知恵を擬人化しながら知恵のもたらすさまざまな利益をあげています。そして、知恵の与え主である神について言及していっています。

今日読まれる朗読の前に「主は、忌まわしいことをすべて憎まれる。それらは、主を畏れる人にも好ましくない。……主が初めに人間を造られたとき、自分で判断する力をお与えになった」とありますが、今日の朗読はそれを展開したものであり、人間は自由意志を与えられた者として、自分自身の行動に責任をもたねばならないとシラは言います。今まで無条件に受け入れられていた価値観が、揺れ動く世界の中で、神に忠実であることは、可能であり、選びによるのだと伝えています。

「人間の前には、生と死が置かれている」との言葉は、申命記30章を思い起こさせます。この機会に読み直してみられてはいかがでしょうか。

人に与えられている自由意志、選ぶ力を思うとき「主の知恵は豊かであり、主の力は強く、すべてを見通される」との言葉は、力強く心に響いてきませんか。

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第2朗読では、パウロの「神の知恵」について語っているところが読まれます。
それは「神秘としての神の知恵」についてであり、この世の知恵ではなく、神の知恵、十字架をとおして示された神の知恵について語ります。

それは、神が私たちに示してくださってものであり、私たちの勉強や修業によって得られるものではないと言います。

パウロは自分の宣教は「知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と力の証明によるものでした」と述べています。
パウロが知恵を語るのは、信仰に成熟した人たちに対してです。神が啓示してくださった知恵、十字架の知恵、真理の知恵についてです。

そして、パウロは「“霊”は一切のことを、神の深みさえも究めます」と述べた後に、今日の朗読では読みませんが、「神の霊以外に神のことを知る者はいません」と続けます。

神秘として知恵を受け入れることができる恵み、聖霊の恵みをお互いに祈り求めましょう。

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5章からはじまり、7章で終わる山上の説教の中で、今日読まれる箇所は一つの段落を作っています。この段落の特徴の一つにあげられるのは「わたし」の登場です。

「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」と宣言する「わたし」。「わたしは言っておく」と荘厳に宣言される言葉は、古い戒めに対して新しい戒めを対峙させています。

初代教会において、律法を遵守することを救いの条件とするグループと、イエスにより律法はいらないとして捨て去ることができるという2つのグループが存在し、それに対してマタイは5章17節から20節を述べています。

山上の説教は、救いがイエスの中にあり、イエスによって与えられているという喜ばしい福音です。

イエスが望まれる義は、形式主義ではなく、神の心です。神との関係を大切にして生きる姿勢、神の心を大切にする姿勢のことです。神の支配は自由に神の心を受け入れることからはじまります。私たちの根本的姿勢が問われるのです。

「しかし、わたしは言っておく」と力強く語られるイエス。イエスはファリサイ派の「正しさ、義」を超える道を示されます。

「然り、然り」「否、否」といえる神の知恵の「正しさ」を信仰の礎とすることが求められます。イエスが新しい権威をもってすべての人びとに救いの道を示されたその教えに目を留めることが求められます。

今日はキリスト者としての根本的な姿勢について、イエスが喜ばしき福音として述べられたことについて思い巡らす1日としてはいかがでしょうか。

祈り

いのちの道を示してくださる神よ、
   あなたは旧約の民にお与えになった律法を、
   御子キリストの生涯によって完成されました。
   ここに集う私たちをあなたの知恵で照らし、
   キリストとともに歩み続けることができるように導いてください。
   集会祈願より

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第1朗読 シラ書 15章15~20節

その意志さえあれば、お前は掟を守り、
しかも快く忠実にそれを行うことができる。
主は、お前の前に火と水を置かれた。
手を差し伸べて、欲しい方を取ればよい。
人間の前には、生と死が置かれている。
望んで選んだ道が、彼に与えられる。
主の知恵は豊かであり、
主の力は強く、すべてを見通される。
主は、御自分を畏れる人たちに目を注がれる。
人間の行いはすべて主に知られている。
主は、不信仰であれとは、
    だれにも命じたことはなく、
罪を犯すことを、許されたこともなかった。

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第2朗読 コリントの信徒への手紙1 2章6~10節

 〔皆さん、〕わたしたちは、信仰に成熟した人たちの間では知恵を語ります。それはこの世の知恵ではなく、また、この世の滅びゆく支配者たちの知恵でもありません。わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです。この世の支配者たちはだれ一人、この知恵を理解しませんでした。もし理解していたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。しかし、このことは、
「目が見もせず、耳が聞きもせず、
人の心に思い浮かびもしなかったことを、
神は御自分を愛する者たちに準備された」
と書いてあるとおりです。わたしたちには、神が“霊”によってそのことを明らかに示してくださいました。“霊”は一切のことを、神の深みさえも究めます。

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福音朗読 マタイによる福音書 5章17~37節

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた.〕 《「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するため ではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。 だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。」》
 「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、 あなたがたは決して天の国に入ることができない。」 あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。
 《兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれるにちがいない。はっきり言っておく。最後の一クァドランスを返すまで、決してそこから出ることはできない。》
 あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。《もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである。」『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。不法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる。離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる。》
 また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。
 《天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。》
 あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのある。」

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