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教会カレンダー

A年 復活節第6主日

第1朗読 使徒言行録 8章5~8、14~17節

第2朗読 ペトロの手紙1 3章15~18節

福音朗読 ヨハネによる福音書 14章15~21節

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復活を祝う季節も終わりに近づきました。
 昇天と聖霊降臨を間近にひかえた教会は、聖霊の派遣についてのイエスの約束を述べます。

イエスの「別れの言葉」の中で、彼は5回にわたってこの約束を繰り返されました。イエスと弟子たちが直接共に生活したのは、「しばらくの間」のことでした。このイエスとの出会いは、この期間だけで終わってしまうのではなく、イエスが父のもとに帰られても、聖霊によっていつも共にいてくださいます。

この時期に聖ヨハネ・パウロ2世教皇が出された回勅『聖霊 生命の与え主 』を再読されることをお勧めいたします。

この回勅は、聖書と聖伝から聖霊について豊かに考察しています。
 キリストが「別の弁護者」と呼ばれる聖霊について、学びながら祈っていかれてはいかがでしょうか。

今日は、また「世界広報の日」でもあります。毎年、特別のテーマが定められます。
 今日はこの点について教会全体で考え、祈り、献金を行う日です。

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第1朗読で読まれる使徒言行録は、そのタイトルが意味するように、使徒の宣教の働きとも呼ばれますが、聖霊の働きの記録でもあるのです。宣教活動の中でおこる様々な戦いの真の主役は聖霊なのです。

使徒の働きは、7人の奉仕者をとおして異邦人にもおよぶようになり、今日読まれる箇所では、サマリアの人々の入信について書かれています。

ここに描かれている報告は、エルサレム教会の迫害の暗さとは対照的で、実に力に満ちたもの、使徒たちの憂いが喜びと感謝になっているのに気づきます。

キリストの福音がどれほどサマリアの人々に大きな喜びをもたらしたか、それを聞いた使徒たちの2人がその地に派遣され、彼らの祈りと按手(あんしゅ)により、聖霊がさずけられました。

実に使徒言行録には、弟子たちに聖霊を与え、聖霊をとおして教会と宣教を導かれたことがいきいきと描かれています。そして、この聖霊は私たちにイエスの宣教活動に参与するように今日も呼びかけているのです。

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第2朗読において、使徒ペトロが、当時迫害にあっていた信徒たちに、キリストの死と復活が私たちの希望の源であることを、力強く宣言しています。

ペトロは「あなたがたの抱いている希望」と言います。キリスト者とは希望を抱く人です。
 ペトロは続いて「希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい」と言います。あなたはどう説明しますか。

2001年に行われた第10回シノドス(世界代表司教会議)へ、日本の司教たちは、日本の教会の要望として、「希望の福音」を告げる教会の姿を提案しました。

日本社会の特徴のひとつは、希望の喪失であると司教たちは言っています。このような社会に、どのようにして「希望の福音」を述べ伝えることができるかは、日本の教会の最大の課題であるとも言っています。これは今日も変わらないのではないでしょうか。
 司教たちは、日本での宣教の歴史をふり返り、宣教の熱を覚醒したいと結んでいます。

『主よ、一緒にお泊まりください』の導入文に、「みことばの光が……日暮れの影とその心を曇らせる暗闇の中で、その旅人は、二人の希望を再び燃え立たせる光の輝きをもたらし……」とあります。

今日の聖書を、「希望」というテーマで読んでみられてはいかがですか。

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福音は、イエスが最後の晩餐(ばんさん)の席で「真理の霊」を送ってくださると約束されるところが読まれます。ヨハネ福音書は、「弁護者」である聖霊について、14~16章の「別れの説教」の中で5回伝えていますが、今日はその最初の箇所です。

今日の福音書において、イエスの思いを一句、一句かみしめ、味わってみてはどうでしょうか。イエスは私たちにご自分の思いをわかってほしいと、訴えておられるようです。

イエスが約束された聖霊を受け取ることができるように、聖霊を祈りもとめ、聖霊を迎え入れる準備をしていきましょう。

祈り

 いつくしみ深い父である神よ、
  主イエスは最後の晩餐の席で弟子たちに、
  「あなた方をみなしごにはしない」と約束してくださいました。
  どのような時も助け主である聖霊に支えられ、
  キリストとともに生きる恵みを、
  わたしたちに与えてください。
   集会祈願より

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第1朗読 使徒言行録 8章5~8、14~17節

 フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。
 群衆は、フィリポの行うしるしを見聞きしていたので、
 こぞってその話に聞き入った。

 実際、汚れた霊に取りつかれた多くの人たちからは、
 その霊が大声で叫びながら出て行き、
 多くの中風患者や足の不自由な人もいやしてもらった。

 町の人々は大変喜んだ。

 エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、
 ペトロとヨハネをそこへ行かせた。

 二人はサマリアに下って行き、聖霊を受けるようにとその人々のために祈った。

 人々は主イエスの名によって洗礼を受けていただけで、
 聖霊はまだだれの上にも降っていなかったからである。

 ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。

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第2朗読 ペトロの手紙1 3章15~18節

 心の中でキリストを主とあがめなさい。
 あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、
 いつでも弁明できるように備えていなさい。

 それも、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい。
 そうすれば、キリストに結ばれたあなたがたの善い生活をののしる者たちは、
 悪口を言ったことで恥じ入るようになるのです。

 神の御心によるのであれば、善を行って苦しむ方が、悪を行って苦しむよりはよい。

 キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。
 正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。
 あなたがたを神のもとへ導くためです。
 キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。

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福音朗読 ヨハネによる福音書 14章15~21節

 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。

 わたしは父にお願いしよう。
 父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。

 この方は、真理の霊である。
 世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。
 しかし、あなたがたはこの霊を知っている。
 この霊があなたがたと共におり、
 これからも、あなたがたの内にいるからである。

 わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。
 あなたがたのところに戻って来る。

 しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。
 わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。

 かの日には、わたしが父の内におり、
 あなたがたがわたしの内におり、
 わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。

 わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。
 わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。
 わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」

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