home>カレンダリオ>教会カレンダー

教会カレンダー

C年 待降節第4主日

第1朗読 ミカ書 5章1~4a節

第2朗読 ヘブライ人への手紙 10章5~10節

福音朗読 ルカによる福音書 1章39~45節

待降節も第4週目を迎え、今週はいよいよクリスマスです。

教会は長い伝統の中で救い主イエス・キリストの誕生を記念し祝ってきました。
 今日までの3週間、回心を問い続けられた私たちに、今日キリストの誕生の預言が告げられます。しかもその誕生は、見捨てられたような小さな町に、へりくだって神のみ心を信じる小さい人々をとおして実現するというのです。

「平和の君」誕生した町ベツレヘムは、今日も平和を脅かされています。長いこと保たれてきたベツレヘムの教会は、数年前武力で脅かされ、今もってその平和は保証されていません。

イエスの誕生の予告がテーマとなっている今日、平和の君の誕生を待つ日々に、ことにベツレヘムの地に心をとめましょう。

* * * * * *

今日の第1朗読は、ミカ書からです。
 ミカは、ユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に活躍した預言者イザヤと同時期の預言者です。彼は、「公平といつくしみ」の預言者と言われています。

彼の言葉は、珍しいことですが、新約聖書のみならず旧約の預言書エレミアにも引用され、殉教者ステファノのエルサレム神殿批判にまでつながっています。

ミカ書は、
(1)1~3章:サマリア、どん欲な富者、国の指導者などへの厳しい批判
(2)4章1~5章8:神の救いの約束
(3)5章10~7章6:警告
(4)7章7~:神の新しい約束

となっていますが、今日読まれる箇所は、(3)に属します。

救い主の到来は、「産婦が子を産むときまで」とあるように、たびたび出産にたとえられており、マタイ福音書がミカ書を引用しています。イエスは、預言どおりベツレヘムで誕生されました。

「彼こそ、まさしく平和である」と閉じる今日の朗読は、なんと心強く響くことでしょうか。天使たちのイエスの誕生をことほぐ賛歌は、「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」でした。

「平和」を、祈り求める1日としてはいかがでしょうか。

* * * * * *

第2朗読は、ヘブライ人への手紙です。ヘブライ書の著者は、キリストの言葉を、詩編40.6~8を引用して述べています。そして、この詩編の説明が続きます。

詩編の引用はヘブライ語の原文とは、幾分違っているようです。旧約の犠牲の無力さを前面に出し、父なる神の「み御心を行うために」来られたキリストの姿を示し、新約では、「ただ一度イエス・キリストの体が献げられたことにより、わたしたちは聖なる者とされたのです」と説いています。

イエス・キリストこそ、神と人とを結ぶ唯一の仲介者であると証言します。

このことを信じますか。このイエスを、あなたはどう待ち望みますか。

* * * * * *

今日の福音は、ルカによる福音書から、聖母マリアのエリサベト訪問の記事が読まれます。

エリサベトが、マリアのあいさつを受けると、「その胎内の子がおどった」、つまり、「主の母」の来臨を告げています。今日の福音を読んでいると、このあいさつとは、どうも私たちが日ごろ行う儀礼的なものとは違うようです。聖書の世界の中であいさつとはどんなことなのかを『聖書思想辞典』などで、調べてみると、背景とか、言語上の意味、聖書全体に流れる意味・思想などを知ることができ、非常に豊かなものとなります。「あいさつ」は、聖書的には、礼儀上の習慣的なあいさつから、神の恩恵の最高の賜物に対する賛美にいたるまで、広範囲にわたって用いられていることがわかります。

今日の福音でも、マリアが述べるあいさつは祝福であり、その祝福へのエリサベトの応答は、聖霊に満たされたマリアのうちに働かれる神への賛美の歌です。

この二人の女性の姿は、聖画にもいろいろと描かれていますが、そこには人のいのちに無関心ではいられない神の愛が浮かび上がってきます。

神の言葉を信じ、神の訪れを受け入れたマリア、「さいわいな方」として描かれているマリアですが、その基はイエスにあります。

今日は二人の女性の出会いを思いながら、教会がずっと大切にしてきた祈り「聖母マリアへの祈り」を唱えるというのはどうでしょうか。

祈り

いつくしみ深く、小さなものに目をとめてくださる神よ、
あなたはひとり子を遣わし、
救いに飢え乾く世界を祝福で満たしてくださいました。
主の降誕を迎えるわたしたちが、その生涯にも結ばれますように。
   集会祈願より

▲ページのトップへ

第1朗読 ミカ書 5章1~4a節

エフラタのベツレヘムよ
お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、
わたしのために
イスラエルを治める者が出る。
彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。

まことに、主は彼らを捨ておかれる
産婦が子を産むときまで。
そのとき、彼の兄弟の残りの者は
イスラエルの子らのもとに帰って来る。

彼は立って、群れを養う
主の力、神である主の御名の威厳をもって。
彼らは安らかに住まう。
今や、彼は大いなる者となり
その力が地の果てに及ぶからだ。

彼こそ、まさしく平和である。

▲ページのトップへ

第2朗読 ヘブライ人への手紙 10章5~10節

それで、キリストは世に来られたときに、
次のように言われたのです。
「あなたは、いけにえや献げ物を望まず、
むしろ、わたしのために
体を備えてくださいました。

あなたは、焼き尽くす献げ物や
罪を贖うためのいけにえを好まれませんでした。

そこで、わたしは言いました。
『御覧ください。わたしは来ました。
聖書の巻物にわたしについて書いてあるとおり、
神よ、御心を行うために。』」

ここで、まず、「あなたはいけにえ、献げ物、
焼き尽くす献げ物、罪を贖うためのいけにえ、
つまり律法に従って献げられるものを望みもせず、
好まれもしなかった」と言われ、

次いで、「御覧ください。
わたしは来ました。御心を行うために」と言われています。
第二のものを立てるために、
最初のものを廃止されるのです。

この御心に基づいて、
ただ一度イエス・キリストの体が献げられたことにより、
わたしたちは聖なる者とされたのです。

▲ページのトップへ

福音朗読 ルカによる福音書 1章39~45節

そのころ、マリアは出かけて、
急いで山里に向かい、ユダの町に行った。
そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。

マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、
その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、
声高らかに言った。
「あなたは女の中で祝福された方です。
胎内のお子さまも祝福されています。

わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、
どういうわけでしょう。

あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、
胎内の子は喜んでおどりました。

主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、
なんと幸いでしょう。」

▲ページのトップへ