home>カレンダリオ>教会カレンダー

教会カレンダー

C年 年間第7主日

第1朗読 サムエル記上 26章2、7~9、12~13、22~23節

第2朗読 コリントの信徒への手紙一 15章45~49節

福音朗読 ルカによる福音書 6章27~38節

今日の典礼は、キリストの愛というテーマで展開されます。その愛は、自分を愛する人を愛する愛や、自分によくしてくれる人によいことをする愛ではありません。そのような愛ならだれでも、罪人でさえ実行している、とキリストは言われます。

キリストが命じられる愛は、敵を愛し、自分を憎む人に親切にする愛です。敵を愛するほどの愛、非常に具体的に展開されている今日のみ言葉です。

そんな……、難しい、とても実行できない、と感じる私たちへの答えとして集会祈願の祈りや入祭唱は、私たちを方向付けてくれます。

いよいよ来週の水曜日から、四旬節がはじまります。近くに教会のある方に、灰の水曜日の典礼に参加されることをおすすめします。

* * * * * *

第1朗読では、サウル王を殺す機会に恵まれながら、「主が油を注がれた方」に手をかけることをさけたダビデについて語られています。

ダビデがサウル王に仕えることになったいきさつについては、16~17章を読まれることをおすすめします。

ダビデはサウル王が戦場に派遣する度に勝利を収め、彼は戦士の長に任命されました(18章5節以下 参照)。

ダビデと共に出陣したサウル王が勝利を収めた時、彼の耳に入った歓迎の歌は、「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った」でした。これを聞いたサウルは激怒し、「この日以来彼はダビデをねたみの目で見るように」なり、殺意をもってさまざまなたくらみをめぐらします。

今日読んだ出来事と同じような出来事は、24章にもあります。読んでみてください。二つの出来事は同じような流れで展開していっているのに気づかれるでしょう。このことの意味するところは、ダビデが王位を継承することの正当性のためにダビデの誠実さ、正しさ、潔白さという彼の人格を強調するためであると考えられます。と同時に歴史を導いてくださっている方、その方の導き方の足跡にも触れることができます。

ダビデは、敵を討つためのチャンスがめぐってきたにもかかわらず討たなかったのは、ダビデが「主が油を注がれた方に手をかけることをわたしは望みませんでした」と告白しているように、彼はサウルに神の代理人としての王の姿をみているからです。ダビデはサウルへの神の働きに目がいったからです。神が登場しないなら、私たちは自分の感情に振り回されてしまい、敵への愛に心の姿勢は向かいません。

殺したい、恨みを晴らしたいという自分の情動から目をそらし、相手に働く神へと目が向かうためには、神に登場していただく必要があるのです。そのためには、毎日の生活の中で自分から神に向かわせる心の姿勢についての訓練も必要です。私の心がどこに向かっているのか、向かいやすいのかについて気づくことが大切です。

* * * * * *

第2朗読は、先週に引き続き「コリントの信徒への手紙」15章を読んでいきます。この章は復活をテーマとしています。

今日読まれる箇所を理解するには、先週と今週の間に残された21~44節をも読まれるといいでしょう。

「死者はどんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか」について問題にしている人々にパウロは自然界をたとえ(36~41節)に説明し、それを人間の復活に適応して(42~44節)います。

今日は、最初の人アダムを出して展開し、第二の人を説明していきます。ローマの信徒への手紙にもあるように、パウロは、救いの実現によって新しくされた世界の頭キリストと人間全体との関係を説明する時にこの論法を用います。

最初の人の似姿である私たち人間は死を免れ得ませんが、第二の人の似姿となる日には、与えられるいのちによって、キリストの復活にあずかる者となるのです。

キリスト者は約束されたこのいのち、教会が大切に伝えてきた復活のいのちを信じて生きていきます。

このような箇所を深めるためには、手引き書がいりますが、フランシスコ会聖書研究所 訳の「コリント人への第一、第二の手紙」に書かれている注は役に立ちます。

* * * * * *

今日の福音は、先週の続きです。「わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく」とはじまる今日の福音の聞き手は、はっきりしています。

導入句に続いて「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい」とあり、すぐ敵を愛するとは、憎む者に親切にするとは、具体的にはどういうことかを順をおって説明します。

そして、黄金律と呼ばれる31節にいきます。
 どこの文化にも黄金律というものがありますが、31節の「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」は、広辞苑にもあるように黄金律であり、まさに人間関係の原理を述べます。

そして、この節の解釈が続きます。それは3つの問いかけに答える形で述べていきます。非常に具体的にだれにでも分かるように書かれています。

自分を愛してくれる人を愛したところで、
あなたがたにどんな恵みがあろうか。
罪人でも、愛してくれる人を愛している。

また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、
どんな恵みがあろうか。
罪人でも同じことをしている。

返してもらうことを当てにして貸したところで、
どんな恵みがあろうか。
罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、
罪人に貸すのである。

そして、「あなたがたは敵を愛しなさい」と導きます。
 「そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる……あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」と、人間を超えた神の満ちあふれた愛、コンパッション(腑を揺り動かす)の愛を説きます。
 これは、イエスそのものの姿、愛です。

イエスは私たちに、この愛に目を向けるようにと言われているようです。その愛に触れた時に、私たちは天の者、「いと高き方の子」とされ、私たちも敵をも愛せるという恵みと愛に生かされる者にしていただけるのではないでしょうか。

祈り

限りない愛に満ちておられる神よ、
  主イエスは敵対する人、
  自分を裏切る人をも愛し、
  まことの愛に生きる者の姿を示してくださいました。
  ここに集うわたしたちが、
  キリストの心に少しでも近づくことができますように。
   集会祈願より

▲ページのトップへ

第1朗読 サムエル記上 26章2、7~9、12~13、22~23節

サウルは立ってイスラエルの精鋭三千を率い、
ジフの荒れ野に下って行き、ダビデをジフの荒れ野で捜した。

ダビデとアビシャイは夜になって兵士に近寄った。
サウルは幕営の中に横になって眠り込んでおり、
彼の槍はその枕もとの地面に突き刺してあった。
アブネルも兵士もその周りで眠っていた。

アビシャイはダビデに言った。
「神は、今日、敵をあなたの手に渡されました。
さあ、わたしに槍の一突きで彼を刺し殺させてください。一度でしとめます。」

ダビデはアビシャイに言った。
「殺してはならない。
主が油を注がれた方に手をかければ、罰を受けずには済まない。」

ダビデはサウルの枕もとから槍と水差しを取り、
彼らは立ち去った。
見ていた者も、気づいた者も、目を覚ました者もなかった。
主から送られた深い眠りが彼らを襲い、全員眠り込んでいた。
ダビデは向こう側に渡り、遠く離れた山の頂に立った。
サウルの陣営との隔たりは大きかった。

ダビデは答えた。
「王の槍はここにあります。
従者を一人よこし、これを運ばせてください。
主は、おのおのに、その正しい行いと忠実さに従って報いてくださいます。
今日、主はわたしの手にあなたを渡されましたが、
主が油を注がれた方に手をかけることをわたしは望みませんでした。

▲ページのトップへ

第2朗読 コリントの信徒への手紙一 15章45~49節

「最初の人アダムは命のある生き物となった」と書いてありますが、
最後のアダムは命を与える霊となったのです。

最初に霊の体があったのではありません。
自然の命の体があり、次いで霊の体があるのです。

最初の人は土ででき、地に属する者であり、
第二の人は天に属する者です。

土からできた者たちはすべて、土からできたその人に等しく、
天に属する者たちはすべて、天に属するその人に等しいのです。

わたしたちは、土からできたその人の似姿となっているように、
天に属するその人の似姿にもなるのです。

▲ページのトップへ

福音朗読 ルカによる福音書 6章27~38節

「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。
敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。

悪口を言う者に祝福を祈り、
あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。

あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。
上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。
求める者には、だれにでも与えなさい。
あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。

人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。
自分を愛してくれる人を愛したところで、
あなたがたにどんな恵みがあろうか。
罪人でも、愛してくれる人を愛している。

また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、
どんな恵みがあろうか。
罪人でも同じことをしている。

返してもらうことを当てにして貸したところで、
どんな恵みがあろうか。
罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、
罪人に貸すのである。

しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。
人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。
そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。
いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。
あなたがたの父が憐れみ深いように、
あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」

「人を裁くな。
そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。
人を罪人だと決めるな。
そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。
赦しなさい。
そうすれば、あなたがたも赦される。
与えなさい。
そうすれば、あなたがたにも与えられる。
押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、
ふところに入れてもらえる。
あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」

▲ページのトップへ