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聖人カレンダー

9月17日 聖ロベルト・ベラルミン司教教会博士

1542年-1621年

 ロベルトはイタリアのモンテプルチャーノで10人兄弟の3番目に生まれた。彼は、教皇マルケルス2世(在位1555年に即位して、3週間後に急逝)の母方の甥にあたる。ラテン語に堪能でバイオリンを弾くなど、才能に恵まれ、1560年にイエズス会に入った。パドバで神学を学んだ後、1570年に叙階され、ベルギーのルーヴァンでトマス・アクィナスの『神学大全』を教え、有名な説教家となった。このころロベルトは、神の恵みと人間の自由意志の問題について、人間の意志の努力によって徳を積み、救いに達しようというペラギウス的発想を唱えた、ベルギーの神学者、バイウスと対立した。プロテスタントの宗教改革者たちとの論争に備え、教会史、教父学、聖書学を研究し、体系づけた。その後彼は、1576年にイエズス会のナポリの管区長になり、1598年、クレメンス8世のときに枢機卿になった。彼は、神学者として公教要理をまとめて教会に大きな影響を与える一方、貧しい人びとを援助するために、自らは質素な生活を営んだ。

 優秀な学者であった彼は、ベニスでの反聖職者勢力との争い、そしてプロテスタントであるイギリスのジェームズ1世との対立の際、「教会と国との関係において、権威は、民衆のなかにあって、神から与えられたものである」と主張し、使徒座を擁護した。思想上、ロベルトはプロテスタント神学者たちと対立したが、彼らのために熱心に祈り、個人的に非難することはなかった。
 トレント公会議でヴルガタ訳聖書の改訂版が完結することが望まれ、ロベルトは最終委員としてたずさわった。

 彼は、霊的指導者として聖アロイジオ・ゴンザガを助け、聖フランシスコ・サレジオが聖フランシスカ・ド・シャンタルと設立した「聖母訪問修女会」が、聖座から正式認可されるために、尽力した。

 晩年には、信心や教訓的な多くの著作を残し、1621年に亡くなった。



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