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第14回 「天地の創造主、全能の父である神を信じます」


第2部の第1章「わたしは父である神を信じます」を、ご一緒に読んでまいりましょう。

信条は、神のわざの初めであり、土台である天地を創造なさった父である神からはじまっています。


第1項「天地の創造主、全能の父である神を信じます」


第1節 わたしは神を信じます


日本語の訳文では、「天地の創造主」という言葉が最初にきていますが、原文のラテン語では「わたしは神を信じます」という言葉ではじまっています。前回、ほとんどの「信条」の最初の言葉は「クレド(わたしは信じます)」という言葉ではじまっているので、信条のことを、「クレド」とも呼ぶ、ということについてお話いたしました。この最初の言葉の次に、「神を」という言葉が続きます。「わたしは神を信じます」という言葉が最初にあるのは、「信条」のすべてが、この「わたしは神を信じます」という言葉と密接なかかわりがあり、そのためにこそ意味をもつものだということを示しています。


1 「わたしは唯一の神を信じます」

よく、「キリスト教は一神教です」と言いますが、ニケア・コンスタンチノープル信条の最初の言葉は、「わたしは唯一の神を信じます」というもので、まさにこのことを宣言しています。

 

神は、イスラエルの民を選び、ご自分が唯一の神であることを教えてくださいました。この啓示がなければ、イスラエルの民は自分の力だけでは、この真理に到達できなかったことでしょう。イスラエルの民の周囲に住んでいる民族は、みな多くの神々を拝んでいました。ですから、しばしば、イスラエルの民は唯一の神を忘れ、他の神々のもとに行くこともありました。神は、イスラエルの民が「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして」唯一の神を愛することを求められました。


2 神はご自分の名を啓示される

「名は体を表す」ということわざがありますが、イスラエルの神も、ご自分を民に知らせるとき、ご自分の名を明かされました。しかし、民の成長に従って、徐々にご自分がどんな神であるかを、種々の名前によって明かされたのです。


生きている神

みなさんは『十戒』という映画をご覧になったことがあるでしょうか。この映画の主人公は、モーセでした。神はモーセに「わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と告げられました。これは、モーセの先祖たちを導いてきた神はわたしだ、とおっしゃっているのです。そして、今度はモーセに、奴隷状態で苦しんでいる民をエジプトから救い出せ、とおっしゃいます。生きて導き続ける神です。イスラエルの民をご自分の民に選ばれた神は、民が背いたとしても、忠実を尽くし、約束を守られる神なのです。


「わたしは、わたしはあるという者である」

モーセは、「イスラエルの民から、あなたの名を尋ねられたら、何と答えましょうか」と、神に質問しました。それに対して神は「わたしはある。わたしはあるという者だ」とお答えになりました。こうして、神の名が、「わたしはある」という名前だということが示されたのです。ご自分の名を明かし、同時に、神のもとに人々を招かれる神を前にして、人間はただ自分の小ささ、罪深さを感じるばかりです。


「いつくしみとあわれみの神」

モーセに率いられた民は、神に忠実を尽くした時ばかりではありませんでした。神に背いたときもしばしばありました。しかし、民が罪を悔いて、神に立ち戻るたびに、やさしくゆるしてくださる神なのです。モーセが神に栄光を現してくださるように頼んだとき、神は「主(YHWH)」という名を宣言してくださいました。


神のみが存在する

イスラエルの民は、神と共に歩む歴史の中で、徐々に神の名の啓示に含まれている豊かさを深めることができました。世のすべてのものが滅んでも、神だけは変わることなく存在し続ける方ということも、わかってきたことのひとつでした。わたしはある」とご自分の名を明かされた神は、自ら存在する方であり、存在の充満であり、初めも終わりもない方、この世の存在するものすべては、この神によっているのです。

3 「あるという者」である神は真理と愛である

「あるという者」である神は、「いつくしみとあわれみの神」であることをお話しましたが、この2つの名の間には、神の名の豊かさが要約して表現されています。その豊かさとは、「神は真理である」ということと、「神は愛である」ということです。


神は真理である

ヘブライ語で、「真実」は、「忠実」を意味しています。民がいくら背いたとしても、ご自分のなさった約束に、忠実な神です。ですから、私たちはこの神に、全幅の信頼を寄せることができるのです。イエスを、私たちの救いのために、この世に遣わされたのは、「真理についてあかしするため」にほかなりません。


神は愛である

イスラエルの民は、他の民族ではなく、自分たちが選ばれたのは、神のまったく無償の愛から選ばれたのだということを悟りました。さらに、自分たちが、神に背いたときも、ゆるし続ける愛なる神であることを体験から理解していました。この神が、ご自分のひとり子さえもおしまずに、この世を愛されたのです。忠実、真実である神の愛は永遠で、変わることがありません。


4  唯一神を信じる信仰の意義

唯一の神を信じることは、私たちの生活に、大きな影響をもたらします。本書にそって、この及ぼされる影響を挙げてみましょう。
   ・神の偉大さと威光を知ること。
   ・感謝に生きること。
   ・人類は一つであり、すべての人間は真の尊厳を備えた存在であるということを認識すること。
   ・被造物を正しく用いること。
   ・あらゆる状況の中で、神に信頼すること。

最後に228~231まで4項目の「要約」が付いています。一度は、この「要約」を読んでみることをお勧めいたします。

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