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第17回 創造主


第4節「創造主」を読みましょう。

使徒信条で私たちは、まず最初に、「天地の創造主、全能の父である神を信じます」と宣言します。また、ニケア・コンスタンチノープル信条でも、まず最初に「わたしは信じます。唯一の神、全能の父、天と地、見えるもの、見えないもの、すべてのものの造り主を」と私たちの信仰を宣言します。

信仰の神髄をまとめた短い信条の中に、神が「天地の創造主」であるということを、私たちがまず最初に宣言するということは、これが、私たちの信仰の土台となっているからです。創造は、神の「救いのすべての計画の土台」であり、キリストを頂点とする「救いの歴史のはじまり」なのです。


1 創造についてのカテケージス

21世紀を迎える前に、よくテレビで流された言葉がありました。ゴーギャンの絵のタイトルとなっている言葉でした。ご記憶の方も多いのではないかと思います。それは「われわれは、どこから来たのか」という絵を流しながら、その言葉と共に、「われわれは、どこへ行くのか」というものでした。

この質問とともに、私たちが生涯に必ずぶつかる問いがあります。「私の生きている目的は何か」というものです。これらの質問に答えるものが、創造の教えです。「創造」は、人間としての、またキリスト者としての根底にかかわるものなのです。ですから、この「創造」について学ぶことは、非常に大切なことです。

このように、創造は、人間にとって非常に大切な事柄なので、神は当時の人々にわかる表現で、啓示してくださいました。それが旧約聖書の最初の書である「創世記」の第1章から3章までの記述です。

神は、創造について、イスラエルの民に徐々に教えてくださいました。それは、民の歩みをとおして、民を教育し、ご自分が「天地万物を創られた方」として示されたのです。創造の事実について、神を起源とし目的としている被造界について、被造界における秩序とその善性、人間の使命、罪の悲劇と救いの希望について、神は教えられたのです。


2 三位一体のわざである創造

創世記の最初の言葉は、「初めに、神は天地を創造された」(創世記1.1)というものです。この言葉によって、神だけが創造主であること、そして、神がすべてのものを創られたということを表しています。次には、「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」と書かれています。ここから、天地創造のわざは、聖霊の働きがあったことがわかります。次に、「神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった」と書き、神の言葉で創造されたことが分かります。

新約聖書のヨハネによる福音書には、「初めにことばがあった。……ことばは神であった。……万物はことばによって成った。成ったもので、ことばによらずに成ったものは何一つなかった」(ヨハネ1.1~3)と書かれています。この聖書のことばは、神は万物を神のひとり子である永遠のみことばによって創造されたことを啓示しています。

教会は、聖霊も創造のわざを行われたことを信じています。ですから、聖霊降臨の祭日や、聖霊を求めるときに、“ヴェニ・クレアトル・スピリトゥス”とうたいます。これは、「造り主である聖霊来てください」という意味です。

創造において、この御父である神の働きとひとつであり、切り離すことのできない御子と聖霊の働きがあったことは、旧約聖書、新約聖書で啓示され、教会の信仰宣言ではっきりと宣言されています。創造は、三位一体の共同のわざです。


3 「世界は神の栄光のために造られた」

神が万物を創造されたのは、神の愛と善以外のなにものでもありませんでした。創造のみわざは、神の栄光、神の善が表され、私たち人間と分かち合うためなのです。

創世記の天地の創造の話を読んで、何となく違和感を覚えるとおっしゃる人もいるかもしれません。しかし、これは、21世紀に生きる私たちが神の言葉として書いたものではなく、長い間、口伝として伝えられていたものが、BC950年~850年にまとめられたものなのです。聖書の創造の話は、神と人間と世界の本来のあるべき関係について教えているもので、自然科学的な描写ではないのです。

創造の話は次回も続きます。ぜひこの機会に「創世記」1章~3章をお読みください。

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