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第21回 堕罪


第6節 人間


第7節 堕罪


今まで、私たちは、神は無限によい方であり、神のわざもすべてよいものということを見てきました。しかし、この世の中を見回してみると、多くの苦しみ、また、私たちの記憶に新しい、津波や地震などの自然災害もあります。このような悪の起源と問題を考えるにあたっては、悪の勝利者であるただ一人の方・イエス・キリストに信仰の目を注ぐことによってしか、私たちには分かることができないでしょう。


1 罪が増したところに、恵みはなおいっそう満ちあふれた

罪の現実

この世に罪があることを、私たちは否定することができません。罪とは何かを理解するためには、まず、人間が神に深く結ばれているきずなを認める必要があります。なぜなら、罪とは、神を拒絶し、神に反対することだからです。

人類の祖先が罪を犯したという原罪については、神が私たちに教えてくださる啓示によらなければ、悟ることはできません。神との関連で罪を見ない時、「その人が未熟だから罪を犯したのだ」とか、「単なる心理的な弱さだ」「その人が悪いのではなく、社会構造が不適切なためにそうなったのだ」というふうに考えてしまいがちです。しかし、それだけでは解決できない問題にぶつかってしまうのです。神は私たち人間を愛し、人間が神を愛し、お互い同士が愛し合うように、自由意志を与えてくださいました。罪とは、この自由意志を濫用したことなのです。


信仰の本質的真理である原罪

人間の歩みに従って、神は徐々にご自分を示してくださいました。それに伴い、罪の現実も次第に明らかになってきました。しかし、罪がどんなものかを真に人間が分かるためには、イエス・キリストの死と復活に照らしてみなければわかり得ません。

原罪についての教会の教えは、イエス・キリストが私たちに告げ知らせてくださった福音の、いわば「裏」にあるものです。ですから、原罪についてよく分からなければ、救い主イエス・キリストのことをよく理解することもできないのです。


堕罪の物語の読み方

創世記3章に人祖が罪を犯したことが書かれていますが、これは、人間の歴史の初めに、人祖が自由意志をもって、神に背いたこと、また、その影響が人間の全歴史に及んでいることを語っているのです。


2 天使の堕罪

今、街には天使があふれているようです。羽をもったかわいらしい天使や、楽器をもった美しい天使の絵が、あちらこちらで見受けられます。そんな天使の姿を見ていると、この「天使の堕罪」という言葉を見て、「うそでしょ!」と叫びたくなる人もいらっしゃることでしょう。神に忠実で、今も光り輝いている天使の存在は確かなのですが、罪を犯した天使もいたのです。

人祖が罪を犯したことを述べている聖書の箇所を、もうご覧になったことでしょう。そこには、蛇という形で悪魔(サタン)が描かれていますが、教会は、そのサタンを堕天使と見ています。サタンは、神に造られた最初にはよい天使でした。しかし、「神のようになろう」という欲望をもち、自由に選択した結果、罪を犯し、「堕天使」になってしまったのです。人間は肉体と霊魂をもった存在ですが、天使は純粋な霊的存在です。ですから、その罪はゆるされないものとなるのです。

サタンのわざの中で、もっとも重大な結果をもたらしたものが、最初の人間を神から背かせる誘惑をしたことです。しかし、サタンも被造物ですから、その力は無限ではありません。この世の中で、神とイエス・キリストに抵抗し、私たち一人ひとり、また、社会に直接、間接に働きかけ、悪に誘おうとしているのです。

神がこの悪魔の働きを阻止なさらないことは、私たちにとって神秘の一つですが、聖パウロが書いているように、「神を愛する者たちには、万事が益となるようにともに働くということを、わたしたちは知って」いるのです。

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