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第23回 神のひとり子 イエス・キリストを信じます


今回から、いよいよ第2章に入ります。イエス・キリストについて学ぶときがやってきました。毎週日曜日のミサの中の「信仰宣言」で、私たちは「神のひとり子 イエス・キリストを信じます」と唱えています。これから、少しずつ私たちの宣言する方を知るように努めてまいりましょう。


第2章 神のひとり子 イエス・キリストを信じます


神は御子を遣わされたという福音

罪を犯してしまった人間を救おうと思われた神は、ご自分の愛するひとり子を私たちに遣わされました。それは、罪の状態にある人類を救い出して、神の子どもとするためでした。

神の子イエス・キリストを、この世に、罪のほかは私たちとまったく同じ人間として、遣わされ、私たち人類と、この世界を救われたのです。これこそ福音と呼ばれるものです。福音とは「喜ばしい便り」という意味です。イエス・キリストが私たち人間の罪をゆるし、救うためにこの世に降られた、といううれしい便りが私たちの手元に届いたのです。

イエス・キリストは、歴史的には、アウグストゥスが皇帝として治めていたローマ帝国の支配下にあったユダヤで、ユダヤの王・ヘロデ大王の時代、ベツレヘムでお生まれになりました。30歳になるまで、ナザレという寒村で大工として働かれました。ティベリウス皇帝の治下、総督ポンティオ・ピラトの命令で、エルサレムで十字架に付けられて亡くなられたイエス・キリストは、人となられた神の永遠の御子です。

ペトロがイエスに、「あなたは生ける神の子キリストです!」と信仰を宣言したように、私たちキリストを信じるすべての人も、神の恵みによって、イエスは「キリスト、生ける神の子」であると公に宣言します。ペトロのこの信仰の上に、キリストはご自分の教会を建てられました。


「キリストのはかりしれない富を知らせる」

キリスト教を伝えることは、イエス・キリストを告げ知らせ、キリストへの信仰に導くことです。イエスの最初の弟子たちは、自分たちと共に生活され、教えられ、十字架に付けられ、死んで葬られ、3日目に復活したイエス・キリストこそ、待ち望んでいたあの救い主なのだということを、告げ知らせずにはいられませんでした。彼らは、イエス・キリストを告げ知らせることを喜びとし、告げ知らせているイエスの教えを自分たちも生き、熱心に宣教していきました。この弟子たちの宣教は、代々の信者たちに引き継がれ、あらゆる時代の人びとに、キリストの福音が伝えられました。

時代を経るにしたがって、キリストの教えを述べ伝える方法が次第にできあがってきました。これをカテケージスと言います。別の言葉で言えば、「キリスト教要理教育」です。


カテケージスの中心はキリストである

カテケージスをするということは、キリストが実現された神のご計画を、明らかにしていくことです。このことは、その話しを聞く人たちが、キリストの行われたわざと話されたおことばの意味を理解していくことです。ですから、カテケージスの目的は、キリストが神の子である信じ、キリストとのいのちの交わりに入ることです。このキリストとの交わりによって、私たちは三位一体との交わりに入ることができるのです。

このような要理教育に当たる人びと(カテキスタ)は、キリストを伝える使命を受けているのですから、まず自分が、キリストを生きるように努めなければならないのは、当然のことと言えるかもしれません。

今回は、イエスを知る前段階でしたが、次回からは、イエスとはどんな方かということに入ります。

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