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第35回 三日目に死者のうちから復活された


第2節 三日目に死者のうちから復活された


イエス・キリストの復活は、キリストを信じる私たち一人ひとりにとって、信仰の土台であり、頂点となる真理です。イエス・キリストが復活されたという真理は、彼の十字架上での死と並んで、キリストの過越の神秘の本質的要素であり、最初から、教会が信者に伝えてきたことでした。

 
1 歴史的出来事であると同時に超越的出来事である、キリストの復活

イエス・キリストが復活されたことは、現実に起きた出来事です。イエス・キリストは紀元30年頃、十字架に付けられて死に、復活なさいましたが、その約30年後に、聖パウロはコリントの信徒に宛てて、キリストが死んで、3日目に復活し、ペトロや12使徒たちに現れたことを手紙に書いています(Ⅰコリント15.3~4)。パウロは、このイエスの復活の事実を、伝承によって知ったと話しています。


空の墓

イエスの復活の出来事として語る聖書の箇所で、必ず「空の墓」ということが指摘されています。婦人たちがイエスの葬られた所に行ったのですが、お墓が空になっていました。その報告を聞いたペトロが、ついで、ヨハネがイエスの墓が空になっていることを確認しました。

イエスの弟子たちが、「空の墓」を見たことが、復活を認める第一歩となりました。兵士たちが墓を厳重に警備していたにもかかわらず、お墓が空っぽになっているのを見て、弟子たちは、イエスの体がないのは人間にできることではないことを悟りました。また、イエスの復活が、ラザロの復活の時のように、一時的なものでないこともわかったのです。


復活者の出現

マグダラのマリアと婦人たちは、イエスの遺体に香油を塗ろうと、お墓に行き、復活したイエスにお目にかかりました。彼女たちは、主の復活を伝える最初の使徒として、弟子たちにそのことを伝えました。その後、復活されたイエスはペトロに、そして他の使徒たちにお現れになりました。ペトロと使徒たちは、イエス・キリストの復活の証人として、教会の礎石となり、初代の教会共同体を育てていくことになります。

復活のキリストの証人になったのは、使徒たちだけではありませんでした。パウロにも現れ、500人以上の信徒も復活のイエスに出会う恵みを得たのです。

私たちを含む後の時代のすべての信者は、ペトロや、復活の証人となった人々の証言に基づいて「主は本当に復活された」と、喜びをもって宣言するのです。


キリストの復活した状態の人性

復活したイエスに最初に出会ったとき、使徒たちは信じることができませんでした。そんな彼らに、「何か食べ物はあるか」と言われ、彼らの前で食事をなさったり、信じられないトマスには、ご自分の傷に手を入れさせました。このように、復活なさったイエスの体は、十字架に付けられた、まさにその体そのものであることをお示しになりました。しかし同時に、時間と空間の壁を超越しておられ、鍵がかけられた部屋に自由に出入りできる体でもあることを示されました。

復活なさったイエスの体は、イエスが奇跡によって、ラザロやヤイロの娘を復活させられたような体ではありませんでした。彼らは、ある時、死んでいきました。しかし、イエスの体は聖霊に満たされ、栄光に満ちて神のいのちを生きておられるのです。


超越的な出来事としてのイエスの復活

私たちは、「空の墓」と、復活されたイエスに出会ったという「復活の証人」たちの証言によって、イエス・キリストが復活されたことを信じています。イエス・キリストが、具体的にどのように復活されたかについて、誰も知りません。イエス・キリストが栄光のいのちに移行されたことは、私たちにとって、歴史を超越している神秘として残されています。私たちの信仰の神秘の核心となるものなのです。


2 聖三位のみわざとしての復活

イエス・キリストの復活は、私たちの信仰の対象であることは、言うまでもありません。 それだけではなく、イエス・キリストの復活に、私たちは、三位一体の働きを見ることができるのです。御父はキリストを復活させられ、御子イエス・キリストの人性を、体とともに三位一体のうちに完全に迎え入れられました。


3 キリストの復活の救済的意義

キリストの復活は、旧約聖書の約束の成就であり、生存中のイエスがなさった約束の成就です。聖書の中に「聖書に書いてあるとおり」という言葉がしばしば出てきますが、それは、キリストが復活なさり、預言をことごとく成就なさったことを示しているのです。

また、イエス・キリストの復活によって、イエスが本当に神であることを示されました。イエスの復活は、ご自身が神の子であり、神であることをあかしされたのです。キリストの復活は、神の御子が人となられたという受肉の神秘に、密接に結ばれています。復活は、神の永遠のご計画による、受肉の完成なのです。

復活の神秘には2つの側面があります。キリストは、死によって私たちを罪から解放し、その復活によって私たちに新しいいのちを与えてくださいました。復活は、神のいのちの勝利なのです。

キリストの復活は、ご自身のためだけではありませんでした。罪によって、死に定められていた私たち人類一人ひとりのために、死んで復活され、私たちの救いとなられました。これによって、私たちは義とされ、神の恵みの中に生きるものとされました。それはまた、私たちが、イエス・キリストの兄弟となり、神の養子とされたことをも意味しています。

私たちは、本来、イエス・キリストの兄弟ではありませんが、キリストが復活されたことによって、神のひとり子の命をともに生きるものとされたから、イエスの兄弟とされたのです。

キリストが復活されたことは、それだけにとどまらず、私たちの将来の復活の始まりであり、源なのです。キリストは復活をとおして、死の束縛より強い、永遠のいのちへの希望を与えてくださったのです。キリストの復活においてこそ、福音は完成し、そこを出発点として信仰が生まれるのです。

最後に、3つの短い要約がついています。復活についての大切な箇条ですから、ぜひ読んでください。

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