home>キリスト教入門>カテキズムを読もう>第1編 信仰宣言>第2部>第50回 奉献生活

カテキズムを読もう

バックナンバー

第50回 奉献生活


皆さま方の中には、街の中でシスターの姿を見かけたことがある、という方も多いと思います。いや、私は学校がミッションスクールだったから、学生時代は神父様やシスターのお話を聞いていたとおっしゃる方もいらっしゃることと思います。今日は、神の民の中でも、「奉献生活」を送っている人々のことについて、お話しいたしましょう。


福音的勧告、奉献生活

「奉献生活」という言葉は、あまり耳慣れない言葉かもしれません。この言葉は、第2バチカン公会議後、使われ始めました。自由意志をもって、「奉献生活」への召命を選び取った人々は、神の国のための独身生活における貞潔、清貧、従順を生き、実践する義務を負っています。

奉献生活の特徴は、「福音的勧告」と呼ばれる「貞潔、清貧、従順」を生きるという誓願を立てて生きるところにあります。ですから、「奉献生活」を生きている人々は、洗礼に根ざした、自己を余すところなく神にささげ尽くす奉献を生きる生き方をしている人々です。


多くの枝を持つ一本の大木

一口に「奉献生活」といっても、その生活形態はさまざまです。これらの奉献生活の形態は、常に、神がその時代の神の民の叫びに応え、ある人を召し出して始められました。「奉献生活」は、次のようにたとえることができるでしょう。神の蒔かれた種から、一本の木が成長し、大木になり、豊かな緑の葉と実を付けた大木になっている、と。では、これらの大木の特徴ある1枝1枝を見てまいりましょう。


隠修生活

隠修生活を送る奉献生活者のことを、「隠修者」と呼んでいます。隠修者は、この言葉が表現しているように、人々の目には触れない生活を送ることによって、キリストとの個人的で親密な交わりという、教会のもつ神秘の側面をあかししています。


奉献されたおとめとやもめ

使徒たちの時代から、奉献されたおとめとやもめの生活をしていた人々がいました。この人々は、教会から認可を受けて、「天のみ国」のために、おとめの身分、あるいは、終生の貞潔を生きる決意をしてきました。彼女たちは、教区の司教によって神に奉献され、教会の奉仕にその生涯をささげるのです。


修道生活

修道生活は、その礼拝様式、福音的勧告の公的誓願、兄弟的共同生活、キリストと教会との一致のあかしによって、他の形式の奉献生活とは区別されます。修道生活は、教会の神秘に由来しています。多様な形式のもとに、現代を生きる人々に、彼らにわかる表現様式で、神の愛そのものを表すように招かれています。すべての修道者は、教区司教の宣教・司牧の働きに協力するものです。歴史が示しているように、修道会の働きによって、信仰が各地に伝えられ、教育、福祉、メディアなどの分野で大きな役割を果たし続けています。


在俗会

奉献生活の会ですが、世俗の名かで生活し、内部からこの世を福音化する務めを負っているものです。この世界にあって、パン種がパン粉をふくらますように、この人々の生き方によって、神の存在、神を中心にした生き方、兄弟姉妹としての相互の交わりを、人々に示して生きるのです。


使徒的生活の会

この会は、誓願を立てることなく、その会則に従って、兄弟的生活を共同で行いながら、神の愛の完成を目指すものです。


奉献と使命---来るべき王を告げ知らせる

福音的勧告の誓願を生きる人々の第1の使命は、自分の奉献を生き抜くことです。 それは、神に奉献するという状態をとおして、人々にとってキリストをあかしし、教会のいのちである聖霊の生き生きした働きをあかししているのです。

キリストにより近くから従い、よりよくキリストに倣い、ご自分を無とされたキリストを、その生き方によって表すことによって、修道者たちは、人々にキリストの教えられた真福八端を伝え、この世で、すでに神の国が到来していることを告げ、来るべき王であるキリストをあかししているのです。

最後に、キリスト信者の項目の「要約」が付けられています。大変よくまとめられているものです。ぜひ、ご一読ください。

前へ 

▲ページのトップへ