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第60回 典礼におけるキリストのわざ


2. 典礼におけるキリストのわざ

栄光のキリストは

イエス・キリストは、この地上に生きておられた間に、その教えによって過越の神秘を予告なさり、行動によって先取りしておられました。キリストはご自分の時が来たとき、「ただ1度」だけ死に、葬られ、復活し、今は御父の右に座し、栄光を受けておられます。

イエス・キリストの果たされた過越は、人類の歴史の中で起こった現実の出来事ですが、この出来事は、他の歴史的事件と異なり、ただたんなる過去の出来事ということではありません。キリストの存在のすべて、あらゆる人のためになさったキリストのすべての行為が、すべての時を超えて永続しているのです。

栄光のキリストは、今、ご自分の恵みを私たちに与えるために制定なさった諸秘跡をとおして、私たちに、恵みを注いでくださいます。秘跡は、イエス・キリストが制定されたもので、神の救いと恵みが、私たち人間の感覚でもとらえられる言葉と行いという「しるし」によって、キリストの働きと聖霊の力とによって与えられるものです。


使徒たちの教会以来

復活したイエス・キリストは、使徒たちに聖霊を注ぎ、ご自分の権能を彼らの委ねられました。使徒たちは、同じ聖霊の力によって、後継者たちに、この権能を委ねてきました。これを「使徒継承」と言いますが、これが、教会の典礼活動全体を支える土台であり、諸秘跡を通して伝えられるのです。


地上の典礼のうちに現存しておられる

キリストの救いの恵みを分け与えるために、イエス・キリストは、つねに教会と共におられます。とくに、その典礼行為に現存しておられます。ミサがささげられる時、キリストはミサの犠牲のうちに現存しておられます。司祭の奉仕によって奉献者として、司祭のうちに現存すると共に、ご聖体の両形態のもとに現存しておられるのです。

諸秘跡のうちに、キリストはご自分の力をもって現存しておられます。ですから、洗礼の秘跡においては、だれかが洗礼を授けるのですが、キリストご自身が洗礼を授けられるのです。さらに、聖書が教会の中で読まれる時には、み言葉のうちに現存しておられます。ですから、私たちが耳のするみ言葉は、キリストご自身が語っていらっしゃるのです。

また、教会が懇願したり、賛美の歌を歌うときにも、キリストは現存しておられます。キリストが私たちにおっしゃったように、「2人または3人が、わたしの名によって集まるところには、わたしもその中に」おられるのです(マタイ18.20)。

 
地上の典礼は天上の典礼にあずかる

私たちが、今、この世で行われている典礼に参加していたとしても、それは、この地上だけにとどまるものではありません。天上の典礼を前もって味わい、これに参加しているのです。この天上の典礼は、旅する私たちの目ざしている「天のエルサレム」でささげられています。

そこで、私たちは、天で神を賛美しているすべての天使、諸聖人と共に、神を賛美し、礼拝することを待ち望んでいるのです。フラ・アンジェリコが描いた「小羊の礼拝」(だったと思うのですが)の絵を画集か何かでご覧いただけると、フラアンジェリコが天上での礼拝をこのようにイメージしていたのだ、ということがわかります。

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