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第162回 道徳的自然法 –(2)



先回に引き続き、道徳的自然法についてお話しいたしましょう。

自然法は、神が人間を創造されたとき、与えられたものであるということについて、前回お話しました。ですから、当然のことなのですが、私たち一人ひとりの内に存在し、理性によって明らかにされた自然法のおきては、普遍的なもので、その権威は、すべての人間の上に及ぶものです。これは、人間の尊厳を表しており、その基本的権利と義務の土台を明らかにしています。

自然法の適用方法は、多様性に富んでいます。北から南まで細長い日本に暮らしている私たちは、場所によってその適用が違うということがわかります。場所だけではありません、自然法を適用させるためには、時代や状況、さまざまな生活条件に適合した深い考察が必要です。

さまざまに適用させ、その結果、相違があったとしても、その相違を超えて、さまざまな文化の中で生活する人々を結びつけ、共通の原理を課す規範であることには変わりがありません。その意味で、自然法は不変だということが言えます。移り変わる歴史の中においても、思想や風習の中においても生き続け、その進歩を促すものです。

あるときは、否定されることがあったとしても、これを無にしてしまうことはできません。個人や社会生活の中で、たえずよみがえってくるものです。ですから、自然法の表現であるいろいろな規範は、本質的な点で効力を保ち続けるのです。この点でも、自然法は、創造主の最高のみ業であると言えます。

自然法は、人間が道徳的規範の体系を築く土台であり、共同体を築くために必要な倫理的土台でもあります。さらに、民法に必要な基礎でもあります。民法は、自然法と深い関わりをもっているのです。

自然法のおきてを、間違えることなく容易に、明確に読み取ることは、罪人である人間にはできません。そのためには、神の恵みと啓示が必要です。

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