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第182回 神の十戒




わたしたちのカテキズムの歩みも、「第3編 キリストと一致して生きる」の「第1部 人間の召命、霊における生活」を終え、本日から「第2部 神の十戒」に入ります。

「神の十戒?」
「ああ、知っています。映画見ましたよ。海が割れて……モーセはカッコよかったですね」確かに、映画で「十戒」という言葉を知った人は多いと思います。しかし、十戒が聖書のどこに書かれていて、その内容についてご存じの方は少ないようです。

旧約聖書の中には、出エジプト記の20章2節~17節と申命記の5章6節~21節の2箇所に出ています。ぜひ、そこを読んで見てください。簡潔な文章は、申命記のほうで、カテキズム用の十戒は、その簡潔なものに似ています。

新約聖書の中で、イエスは、「先生、永遠のいのちを得るには、どんなよいことをすればよいのでしょうか」と尋ねた若者に、次のように答えておられます。「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、父母を敬え」と、十戒の中に言われているおきてについて述べられています。そして、これを一言でまとめられます。「隣人を自分のように愛しなさい」と。

こう答えられた後、もう一つの言葉を付け加えられます。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い貧しい人に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それからわたしに従いなさい」。

これは、最初の言葉を打ち消すものではありません。キリストに従うということには、おきての遵守が伴うものなのです。ここまでのイエスの言葉は、マタイ福音書の19章16節~19節までに出ています。ぜひ、お読みくださいね。

イエス・キリストは、聖書の別の箇所で、「わたしは律法を完成させるために来た」とおっしゃっています。

ここでいう「律法」とは、神が、イスラエルの民・ご自分の選んだ愛する民に、十戒を授けられました。イスラエルの人々は、十戒を大切にし、神様のおきてを一生懸命守ろうとしました。そのために、このおきては、こういうことも含まれるとか、このことを意味しているということを書き留たり、口伝出伝えていきました。これらをひとまとめにして律法と言っていました。

次回も、新約聖書の中で、イエスがどのように、この十戒を考えておられたかについて、ご一緒に考えてみましょう。

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