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第185回 聖書に記されている十戒 –(2)


「十戒」について、聖書は「十戒」とは言わず、「十のことば」と言っています。

神は、この「十のことば」で、ご自分が、イスラエルの民にどのように生きてほしいかを要約し、「十のことば」で表され、宣言されたのです。

神は、この「十のことば」を2枚の石の板に書き記し、モーセに渡されました。この2枚の板は、「おきて」と呼ばれます。それは、神とイスラエルの民との間に結ばれた契約の条項だからです。この2枚の板は、「契約の箱」の中に納められました。

「十のことば」は、神がご自分の姿を現し、神ご自身とその栄光について啓示されたものです。「おきて」とは、神ご自身から与えられた贈り物ということができます。神は、ご自分のみ旨を知らせて、ご自分の民に、ご自身を啓示なさるのです。

この「十のことば」=「十戒」と恵みの賜物としての「おきて」は、神がご自分の民と結ばれた契約の一部をなすものです。出エジプト記には、契約を示した時と、契約を実際に結んだその間に、「十のことば」の啓示がなさたことが記されています。もちろん、その前に、民は主が語られたことをすべて「行い」、これに「従う」と神に約束いたしました。

「おきて」は、契約を通してはじめてその完全な意味を表します。聖書によれば、人間の道徳生活は、契約の内に、契約によって、その完全な意味を得るのです。「十のことば」の第一は、人間よりも先に神が、ご自分の民を愛されたことを思い起こさせます。

厳密な意味でのおきては、その後にきます。そこには、契約を通して、神に属する者となるための条件が、まとめられて述べられているのです。倫理生活とは、私たちより先に、私たちを愛してくださっている主の計画への「応答」です。「応答」とは、神を認め、敬い、感謝の礼拝をささげることであり、神が歴史の中で、遂行なさる計画に私たちが協力にすることなのです。

十戒が、神と人間との間で交わせる契約と対話であることが、よくわかるのは、次のことによってです。すべてのおきてが第一人称で述べられ、他のおきては他者に向けられていることが、十戒を見るとすぐわかります。

神のあらゆるおきてでは、指示を与える相手のためには、「あなた」という単数の人称代名詞が用いられています。これは、神が、民全員にみ旨を知らせながら、そのみ旨を一人ひとりの人間に、個別に知らせておられるからなのです。

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