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第190回 信仰と希望と愛のおきて


前回、神が人間をお招きになって、最初になさる要求は、人間が神を受け入れて、礼拝することだとお話しいたしました。

唯一の真の神は、まず、イスラエルの民に、ご自分の栄光を現そうとされました。出エジプト記には、神がイスラエルの民と契約を結ぼうとして、モーセをシナイ山に呼ばれました。そこで、神は、ご自分を現されたのです。これは、神の啓示と言われますが、これは同時に、人間の召命と真理に関する啓示でもあります。

神は、人間をお造りになるときに、神にかたどって、神に似たものとして造られました。創世記の人間の創造の箇所を、どうぞ、手にとってご覧ください。ですから、人間、つまり、神に似たものとして造られたわたしたちは、神にふさわしい者となり、神にふさわしい行動をすることによって、神を現すものであるように召されているのです。

第1のおきてには、信仰と希望と愛のおきてが含まれています。

わたしたちは、神が不変、不動で、つねに同一な方であり、忠実な方、まったく完全で正しい方であると、公に言い表しています。ですから、わたしたちは,この言葉を受け入れており、この神に全面的な、信仰と信頼を寄せています。

また、わたしたちは、神が全能の方であり、寛容な方で、いつも、善を行われる方であることも知っています。このように、神様についての知識を得ているわたしたちが、なぜ、神にすべての希望をかけずにいられましょうか。

わたしたちに注がれている無限のいつくしみについて観想するわたしたちが、どうして、神様を愛さずにいられましょうか。

神は聖書の中で、ご自分のおきての始めと終わりには、決まって、「わたしは、主である」とおっしゃっています。

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