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 赤い月

2004年2月

赤い月

  • 監督:降旗康男
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  • 脚本:井上由美子、降旗康夫
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  • 原作:なかにし礼『赤い月』(新潮社刊)
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  • 音楽:朝川朋之
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  • 出演:常磐貴子、伊勢谷友介、香川照之、布袋寅泰

2004年 日本映画 1時間51分


吉田喜重監督が、ご自分の戦争体験である「わたしの内なる広島」を映画化した作品「鏡の中の女たち」、アメリカ軍のグラマン機の奇襲を受けて傷ついた友達を見捨てて逃げた苦しさから抜け出すことができずにいることから生まれた、黒木和雄監督の映画「美しい夏キリシマ」、2本の大作が、昨年公開されました。今回ご紹介する「赤い月」は、「1945年にいったい何が起きたのか、残しておきたかった」という思いから生まれた、作家なかにし礼さんの自伝的小説を、「鉄道員(ぽっぽや)」「ホタル」など、人間の生きていくことの苦しみをやさしく見つめた作品を世に送り出している降旗監督が映画化しました。

2月11日、NHK総合の番組「わたしはあきらめない」(水曜日23:15~)に、作家・なかにし礼さんが出演していました。

なかにしさんは、満州国牡丹江で豊かな生活をしていました。しかしソ連軍の進攻を受け、生まれた地を追われる身となりました。満州国にいた子どもたちの中には、引き上げ列車に乗ることができずに命を落としたり、中国に置き去りにされた子がたくさんいました。そんな中で、「どんなことをしても生きるのよ。自分で生きようと思わなかったら、たちどころに死んでしまうんだから!」と子どもたちに「自力で生きようとする」ことを言い聞かせた母親によって、なかにしさんは日本に帰ることができました。しかし、同じ満州で暮らした人たちに対し、長年うしろめたい思いを抱いていたそうです。

売れっ子の作詞家から、直木賞作家となったなかにしさんは、「『赤い月』を書くことによって、魂が解放されていくのを感じた」、「『赤い月』を書きながら、自分はどこから来たのか、自分は何者なのか、自分はどこへ向かっていこうとしているのかがわかってきた」とおっしゃっていました。このお話を聞きながら、「大切な映画ができた。これは見なくては」と思いました。

物語

1934年冬、故郷でうまくいかなかった仕事を満州で成功させようと、森田勇太郎(香川照之)と妻波子(常磐貴子)は、2人の子ども、孝幸と美咲を連れ、極寒の地・満州国牡丹江市にやってきました。広大な大地に沈む壮大な夕陽を見ながら、勇太郎と波子は造り酒屋を成功させることを誓いあいました。

この地を紹介したのは、勇太郎のかつての恋敵、陸軍中佐の大杉(布袋寅泰)でした。勇太郎は大杉の力を借りて事業を成功させ、森田酒造は広い屋敷を持つ大きな店になりました。満州の地で、次男勇輝が生まれました。

孝幸が東京での勉強を終え、満州に帰ってきました。その祝いの宴会が、森田酒造の庭で開かれ、そこで、波子は、森田酒造を担当する商社員・氷室啓介を紹介されます。若くりりしい氷室に、波子は好意を持ちます。孝幸は、他の仲間とともに戦地へと出発していきました。

美咲と勇輝の家庭教師として、ロシア人のエレナが森田家に住んでいました。氷室とエレナは愛し合う中でしたが、それを知った波子は、エレナへの嫉妬から、エレナがソ連軍のスパイではないかと保安局に密告します。

勇太郎が出張で留守をしている森田酒造に、あわただしく国境警察隊がやってきます。その中に氷室もいました。スパイ容疑で、エレナを取り調べに来たのです。エレナの部屋を調べスパイの証拠をつかんだ警察隊の前で、エレナはスパイであることを自白し、その場で処刑されることになりました。氷室の実の姿は、関東軍秘密情報機関の諜報員でした。氷室は、軍刀を振り上げ、愛するエレナの首をはねるのでした。

勇太郎の留守中に事態は急変し、ソ連軍が爆撃を開始しました。ありったけのお金を店の者たちに分けた波子は、美咲と勇輝の手を引いて、駅へと向かいます。しかし、そこには、日本人がごったがえしていて、いつになったら列車に乗ることができるかわからない状態でした。「夫の留守中に、子どもたちを死なせるわけにはいかない」と思った波子は、氷室に何とかしてもらえないかと懇願します。美咲は「おかあさんは、自分たちだけ助かろうとして、卑怯よ!」と非難します。波子は「生きて、どこかでまた会いましょう」と氷室に告げ、軍用列車に乗ってハルピンへと向かいます。

大多数の関東軍がわれ先にと立ち去った中で、大杉の隊は現地に残りソ連軍と応戦していました。これで最後と悟った大杉たちは、軍刀を振りかざして敵弾の中に走り出ていくのでした。

波子たちがやっとの思いで乗った軍用列車ですが、途中でソ連軍機の奇襲を受けます。逃げ遅れた勇輝を探し出した波子は、「お母さんたちを頼っていてはダメ。自分の力で生きるのよ!」と諭します。

ハルピンにたどりつい波子たちは、そこで日本の敗戦を知ります。人々が悲しんでいる中、「戦争が終われば、殺されることはない」と波子は喜ぶのでした。収容施設で、波子たちは、家族を捜しにきた勇太郎と巡りあいます。家族が抱き合って喜ぶのも束の間、45歳以下の男性が呼び出されました。46歳になった勇太郎は免除されているにもかかわらず、「たった1歳の違いで、自分が行かなくていいわけはない。仲間と行動を共にする」と、必死で止める波子たちから去っていきます。勇太郎には勇太郎の思いがありました。そして氷室も……。

 

主人公の波子は、「なんとしても子どもたちを生かしたい」という思いから、絶望的な状況の中で、たくましく生き抜いていきます。しかし、男性たちは、満州の地に残って仲間たちと行動を共にし、日本男子として死ぬことを選びます。勇太郎、大杉、氷室の姿に、日本人としての謝罪の思いを感じました。悲しいですが、救われる思いもします。「人をけ落としてまでも生きるのか」「生きるためには、仕方ない」、登場人物たちはいろいろな思いから決断しています。「自分だったら、どうするのだろうか」と問いかけられました。

あの戦争を体験として語ることのできる人が、年々少なくなっています。「戦争は絶対にいやだ!」という親や先輩たちの身を裂くようなこの叫びを、私たちはどのようにして次の世代に伝えていったらよいのでしょう。自衛隊がイラクに派遣された今、宮尾登美子の小説や、映画「ラスト・エンペラー」「乳腺村の子」など、満州国時代を描いた作品を、「1945年に何が起きたのか?」という視点で、もう一度見たいと思いました。

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