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 風音 (ふうおん)

2004年8月

The Crying Wind

風音

  • 監督:東陽一
  •   
  • 原作・脚本:目取間俊(めどるましゅん)
  •   
  • 出演:伊集朝也、島袋朝也、つみきみほ、加藤治子、
        吉田妙子、光石研、上間宗男、北村三郎、治谷文夫

2004年 日本映画 1時間46分

  • 第28回モントリオール世界映画祭ワールドコンペティション正式招待
  • アジアフォーカス・福岡映画祭2004正式招待

   「あなたはどんなことがあっても、生き延びてください。
    いつの日か、平和な世が訪れたとき、
    幸福な家庭を築かれることを、心から望みます。」
  

この手紙を最後に、沖縄の空に散った特攻隊員がいました。

沖縄戦で亡くなった愛する人の最期を調べるために、本土から毎夏、沖縄にやってくる初老の女性と、沖縄戦で亡くなった兵士の頭蓋骨を大切に祀(まつ)っている地域の大人や、島で暮らす子どもたちの様子をからめながら、戦争は人々に何を残したのか……を描いた作品です。原作は、沖縄出身の芥川賞作家の目取間俊氏、監督は、「橋のない川」や「絵の中のぼくの村」「わたしのグランパ」など、日本人の心を詩情豊かに描く東陽一氏です。目取間氏は、脚本も手がけています。

物語

東京に住んでいた小学4年生のマサシ(伊集朝也)は、母・和江(つみきみほ)につれられ、沖縄の小さな島にやってきた。沖縄は、和江の故郷だった。島では、おばあ(吉田妙子)がやさしく2人を迎えてくれた。

マサシは、おばあに紹介された近所のアキラ(島袋朝也)につれられて、島の少年たちと釣りにでかける。マサシがはじめて釣った魚を、アキラは、空きビンに入れてくれた。マサシの魚だ。

釣りをしていると、不思議な音が聞こえてきた。海から風が吹くと聞こえてくる音だという。少年たちは、不思議そうに聞いているマサシを、音のする場所へと連れていく。音は、海岸の崖のはるか上に置いてある頭蓋骨から出ていた。その頭蓋骨は、アメリカの軍艦に体当たりした特攻隊員の骨で、頭の横に銃弾に撃たれた小さな穴があり、そこを風がとおるとき音が出るというのだ。地元の人々はこの頭蓋骨を「泣き御頭(なきうんかみ)」と呼んでいた。「御頭」とは頭蓋骨のことで、ここは昔の風葬場だった。死体をそこへ置くと、大きな蟹がやってきて肉を食べた。

風音を聞きながら子どもたちは、カケをする。ナキウンカミの隣に、マサシがつった魚が入っているガラスビンを置き、一週間たっても魚が生きているかどうかを賭けた。アキラとマサシは生きている方へ、他の子どもたちは死んでいる方へ賭けた。アキラは、崖を上って、ガラスビンを「泣き御頭」の横に置きに行く。と、風音が止まった。

初老の女性・藤野志保(加藤治子)が、本土からやってきた。志保は、知り合いの亡くなった特攻隊員の消息を尋ねて、毎年夏になると沖縄にやってくるのだった。志保は「泣き御頭」の話を聞いて、今年はこの島を訪れたのだった。志保は、区長(北村三郎)に連れられて、亡くなった特攻隊員を、父親と一緒に崖の上に葬ったという清吉(上間宗男)の家を尋ねる。しかし清吉は、志保にあいさつをしようともしない。

「泣き御頭」は、北向きの本土の方を向いて置かれていた。「泣き御頭」の音はせつなく、ある者は苦しくなるような音だという。翌日、区長と志保が「泣き御頭」を訪ねるが、いつもだったら鳴く音が出る風が吹いていも、「泣き御頭」は鳴らなかった。ガラスビンが置いてあるからだ。

村では、数日前から「泣き御頭」が鳴らなくなったことがうわさになっていた。その上、本土から「泣き御頭」を訪ねて来た女性がいるということで、何か不吉なことが起きるのではないかと心配していた。

ある日、マサシとアキラたちは山に入り、パイナップル畑に入る。その畑の主は、「耳切りおじい」(治谷文夫)と呼ばれていて、おじいは兵隊の生き残りだとうわさされていた。少年たちによると、「アメリカの兵隊の耳を切った、首もたくさん切った……」恐ろしいおじいだった。こう話しながらパイナップルをほおばっているとき、耳切おじいがやってきた。少年たちは一斉に逃げるが、足の遅いアキラは、耳切おじいにつかまってしまう。

おばあの家では、何度も電話が鳴っていた。和江には、夫の久秋(光石研)からの電話だとわかっていた。

志保は、一人で清吉の家を訪ね、探している特攻隊員の写真を見せる。「その人の名は?」と尋ねる清吉に、「カノウシンイチ」と答えた。志保が帰った後、清吉は、タンスの奥にしまってあった万年筆を取り出す。その万年筆には、「加納真一」という名が刻んであった。

マサシとアキラが見上げる空には、アメリカの戦闘ヘリコプターがうるさく飛んでいった。

「泣き御頭」は、志保の探している人なのだろうか……。


■監督のことばより

この映画には、いわゆる「回想シーン」はないんだと思ってます。この映画は、いわば「記憶をめぐるドラマ」なんです。ふつう「記憶」というと、過去のこととされますね。でも、沖縄では「記憶」は過去のことではない。現在なんです。それが、この映画の撮影中、ずっと考えてきたことです。


 

豊かな沖縄の自然、温かい人々の中で育つ沖縄の子どもたち、しかし、そこには、壮絶な沖縄戦の痕跡が今も残っており、現在、戦争をしているアメリカ軍のヘリコプターが上空を飛んでいるのでした。

「泣き御頭」から出る風音をとおして、未来に向かって命がキラキラ輝いてる子どもたちと、人生の終わりを迎え、戦争の思い出を精算しようとしている人々を描いた美しい作品です。人間の心の奥にある哀しみをとおして、戦争の痛ましさを伝えています。

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