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 核の傷:肥田舜太郎医師と内部被曝

2012年 3月

核の傷

  • 監督・脚本・撮影・録音:マーク・プティジャン
  • 日本版ナレーション:染谷将太
  • 配給:アップリンク

2006年 フランス映画 53分


広島で被爆し、その後、被爆者たちの治療と援助に尽力し、一方、内部被曝の恐ろしさを世界に訴え続けて来られた肥田舜太郎先生の生涯を追ったドキュメンタリー作品です。監督は、映像作家で写真家のマーク・プティジャン氏(1951年、フランス生まれ)。プティジャン氏は、学生時代にアラン・レネ監督の「ヒロシマ・モナムール(邦題/二十四時間の事情)」(1959年)を見て深く感銘を受け、被爆者へ関心を持つようになりました。肥田先生の存在を知ってこの映画を作ろうと決めたそうです。

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肥田舜太郎先生は、1917年、広島で生まれました。陸軍医学校を卒業し、軍医少尉として広島陸軍病院で働いているとき、原爆にあい被爆。その直後から、被爆者の治療に当たりました。皮膚が焼け落ち、目玉が飛び出した人。あらゆるところから血を流して亡くなっていく人。原爆を受けた人を目の当たりにしました。そのときから、肥田先生のアメリカ批判が始まりました。

米国は、広島市民が屋外に出ている時間を調査し、その数が一番多い、8:15という時間に、原爆を投下しました。それはロシアに対する威嚇もありましたが、原爆を受けた人間がどのような様子を経るのか、それを調べたかったのです。広島・長崎は、重要な資料となりました。

肥田先生たちが被爆者に必死の治療を行っているとき、1947年にABCC(原爆障害調査委員会)という米国の施設ができ、被爆者たちはそこで傷の状態や症状を調べられ写真に撮られました。しかし、ここで行ったのは治療ではなく、あくまでも観察でした。米国が欲しかったのは、治療の過程ではなく、症状の変化だったのです。

肥田先生は、治療をしながら気がついたことがあります。原爆を直接あびた人と、あびてない人が、同じような症状で亡くなっていくということです。しかし日本人が原爆について発表することは禁止されており、ABCCの研究資料も日本人には公開されませんでした。ここで行われた研究の資料が公表されたのは、30年後のことです。

放射線は、原子爆弾が爆発したときだけ人を殺すのでなく、人体についた放射線は、長い間放射能を出し続けます。「被爆の話をして、被爆者のめんどうを見るのが、ボクの仕事です」とおっしゃる肥田先生は、それ以後、被爆者たちのために働き続けます。

30年後、肥田先生は、国連を訪ねました。このときから7年前、日本政府は「日本には現在、被爆者で病気やけが人はもういません」と報告しました。つまり、死ぬべき人はすべて死んだというのです。なぜ、日本政府は米国政府と手を結んで死者の数を少なくしたのでしょう。肥田先生の活動によって、日本政府の被爆者に対する態度、米国とのつながりも見えてきます。

「わたしたちの努力次第で、子どもたちを守ることができる」「今、福島でおきているのは、内部被曝です」と訴える肥田先生。福島の原発事故の後、ますます多くの人々から求められ、精力的に日本各地をそして世界を回って訴えています。

穏やかな中にも、力強い語り口で人々に訴え続けておられる今年95歳の肥田先生の姿を見ていると、メッセンジャーとして神から生かされ派遣されている方だなと、しみじみ思えてきます。

内部被曝の実態を訴えるために、生涯をささげていらっしゃる肥田先生のメッセージを、多くの方に見ていただきたいと思います。

※ABCC:原爆傷害調査委員会、Atomic Bomb Casualty Commission
    原子爆弾による傷害様子を詳しく調べ記録するために、1947年、広島市比治山に作られた。
    1948年には、長崎医科大学附属第一医院内に、長崎ABCCが開設されました。

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