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シスター今道瑤子の聖書講座

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聖パウロ女子修道会会員 シスター 今道瑤子

第27回 マタイ13章53節~14章36節

概要

わたしたちは前回13章を通読し、天の国(=神の国)の神秘とその成長についてさまざまなたとえ話を読みました。今回読むテキストは、神の国の"はしり" とも言える教会に関する段落(13.53~18.35)の一部分です。この段落は大きく出来事を語る17章の終わりまでと、イエスの訓話を伝える18章に分けられますが、今回は前半の最初の部分(13.54~14.36)を読むことにします。

13章53~58節は前段と今回から読んでゆく段落のつなぎの役目を果たしています。著者は14~17章を記すにあたり、大筋においてマルコ福音書に従いながらも、あるいは表現を微妙に変え、あるいは適宜に他の資料を交えつつイエスの業について語ります。マタイ以外の福音書あるいは聖書物語のようなものをすでに読まれたかたにとっては、代わり映えのしない同じような話がたびたび繰り返されるので、この話はもう知っていると思われるかもしれません。

しかし注意深く読んでみると、微妙な変更によって巧みにメッセージの強調点が変えられているのに気づきます。それというのも福音書の著者たちはイエスの克明な伝記を書く意図はなく、イエスという出来事の意味を特定の時代の、特定の場に生きている人びとを対象にして書き綴っていているからです。マタイはイエスの受難と復活から50~60年ぐらい経たころに、彼の関係していた共同体(地方教会)が抱えていた諸問題を念頭におきながら、教会のあり方の根幹にかかわるイエスの業と言葉を、ここに綴っています。このようなことをわたしたちも知ったうえで注意深く読んでゆきましょう。

マタイ 13.53~58 のテキスト

▽故郷の人びとの不信仰

53 イエスはこれらのたとえを語り終えると、そこを去り、

54 故郷にお帰りになった。会堂で教えておられると、人々は驚いて言った。「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。

55 この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。

56 姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか。この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう。」

57 このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」と言い、

58 人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった。

故郷とはガリラヤ湖の西南の集落ナザレです。その名は旧約聖書には一度も見られません。ヨハネ福音書にイエスの弟子の一人が、「わたしたちはモーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。ナザレのイエスというお方だ」というのを聞いたナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言い放ったことが記されています。このことから、ナザレはその当時もとるに足らない村だったことがうかがえます。

故郷の人びとがイエスに対してとった態度に注目しましょう。彼らはイエスの言葉を聞いて非常に驚きますが、それはその内容に心を奪われたからではなく、「どうしてわれわれがその素性を知っているこの男が……」という点にしか向けられていなかったために、イエスにつまずいたということです。

マタイ福音書の著者が「つまずく」という動詞をイエスとの関連で用いる例がこのほかに3例(11.6、26.31、33)あります。いずれの場合にもイエスに出会うということは、イエスを受け入れて信じるか、拒んで背を向けるかの決断を迫られることだと、マタイ福音書が記述された当時のキリスト者たちが理解していたことを示しています。イエスは業と言葉をもって神の救いのよい便りをあかしされますが、人はそれを受け入れて救われることも、自らそれを拒むこともできるのです。イエスはご自分の言葉と行いに現れている神の業を信じようとしない故郷の人びとを後にして、そこを去って行かれます。

日常の生活において、さまざまな形でわたしたちの心の扉をたたいてくださるキリストに心を閉じ、せっかく訪れてくださるイエスを遠ざけることがないよう気をつけ、喜んでお迎えするように心がけたいものです。腰を下ろすという姿勢は群衆を前にして教える師の姿勢です。

マタイ14.1~12 のテキスト

▽ 洗礼者ヨハネ、斬首される

1 そのころ、領主ヘロデはイエスの評判を聞き、

2 家来たちにこう言った。「あれは洗礼者ヨハネだ。死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」

3 実はヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアのことでヨハネを捕らえて縛り、牢に入れていた。

4 ヨハネが、「あの女と結婚することは律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。

5 ヘロデはヨハネを殺そうと思っていたが、民衆を恐れた。人びとがヨハネを預言者と思っていたからである。

6 ところが、ヘロデの誕生日にヘロディアの娘が、皆の前で踊りをおどり、ヘロデを喜ばせた。

7 それで彼は娘に、「願うものは何でもやろう」と誓って約束した。

8 すると、娘は母親に唆されて、「洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場でください」と言った。

9 王は心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、それを与えるように命じ、

10 人を遣わして、牢の中でヨハネの首をはねさせた。

11 その首は盆に載せて運ばれ、少女に渡り、少女はそれを母親に持って行った。

12 それから、ヨハネの弟子たちが来て、遺体を引き取って葬り、イエスのところに行って報告した。

領主(分国王とも訳される)ヘロデは、イエスの誕生物語で2章に登場したヘロデ大王の息子の一人です。父の死後、ローマ帝国から父の領地の四分の一であるガリラヤ地方の統治をゆだねられていました。テキストに記されている近親相姦と不倫ゆえにヨハネから諌められ、この目の上のこぶを抹殺する好機をねらっていましたが、民衆の怒りを恐れてやむなく牢獄に閉じ込めていたのです。

イエスの先駆者であるヨハネの非業の死は、イエスの不当な刑死を暗示しています。ちなみに歴史家フラヴィウス・ヨセフスによれば、この少女の名はサロメと言います。この場面は古来西欧世界の絵画、音楽、文学にたびたび題材としてとりあげられています。

マタイ 14.13~21 のテキスト

▽五千人に食べ物を与える。

13 イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。

14 イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。

15 夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」

16 イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」

17 弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」

18 イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、

19 群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。

20 すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。

21 食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。

  

14節以下の奇跡は共観福音書(マルコ、マタイ、ルカ)だけでなく、ヨハネ福音書にも共通に見られる唯一の奇跡です。イエスの弟子たちに強烈なインパクトを与えた出来事だったのでしょうが、各福音史家はそれぞれ固有の視点に立ってこの出来事を語っています。ですからすでに他の福音書を読んでこの出来事を知っているかたも、先入観なしに新しい心でテキストをお読みください。

マタイはこの出来事をどう捕らえているのでしょうか。マタイだけが導入として「イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた」と記して、この出来事をヘロデによる洗礼者ヨハネの斬首と関連づけています。マタイはこの奇跡物語をマルコ福音書(6.30~44)から受けついでおり、しかもマルコは、イエスが荒れ野に行かれたのは宣教から帰ってきた十二人の弟子たちが静かな憩いのときを持てるようにとの心遣いからだった、と明言しているにもかかわらずです。

かつて先駆者ヨハネが捕らえられたときガリラヤに退かれた(4.1)イエスは、このたびもヨハネの斬首の知らせを受けると、人里離れたところ(荒れた+場所=荒れ野→人の住まない所)に退かれました。かつて弟子たちを派遣するに際して「一つの町で迫害された時はほかの町へ逃げて行きなさい」と諭されたイエスは、今先駆者の死を知って身の危険を感じられると同時に、ご自分に残されている使命達成の決定的な時が近づいたことを自覚されたのでしょう、一人荒れ野に退かれます。荒れ野は旧約の伝統によれば、エジプトの迫害を逃れた民が、神の恵みの糧マナによって40年の放浪生活のあいだ神に養われた場でもあります。

イエスが舟で発たれたと知ると、群衆は地上ルートで先回りしてイエスの到着を待っていました。それをごらんになったイエスは「深く憐れみ」とありますが、こう訳されている言葉は「内臓、はらわた」という名詞と関連した動詞で、日本語の「断腸の思いを味わいながら痛みを思いやる」というような心情を意味します。イエスはそのような心で病人をいやしてくださいました。

場所が人里離れた荒れ野であるだけに、夕暮れが迫ると弟子たちは不安に襲われました。自分たちの必要さえどうまかなえばいいかわからないのに、これほどの群衆をかかえてどうしようと思ったのでしょう、15節の提案をします。食糧を配慮する必要を覚えるという点では、イエスと弟子たちは一致していますが、その手段はまったく違いました。弟子たちの提案は、群衆をイエスのもとから解散させて人里に行かせることですが、イエスはそうはお考えになりません。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい」と言われます。弟子たちは「ここにはパン五つと魚二匹しかありません」と答えます。彼らの考えは糧が不足だから人びとを近くの村に行かせなければならない、ここにとどめてはいけないという考えです。

ところがイエスは「それ」すなわち今あるその少しのものを「ここ」、すなわちイエスのもとに持って来るようにと言われます。ここ、イエスのほか何もない荒れ野、ここ、イエスのもとこそが糧の与えられる場と考えておられるのです、ちょうど、昔モーセに導かれてエジプトから脱出したイスラエルの民を神が荒れ野で養ってくださったように。

19節では弟子たちではなく、イエスご自身が群衆に命じて彼らを座らせておられます。続く19節後半の所作は、すべてイエスご自身の行為です。人が本当に養われるのはイエスのもとであって、イエス不在の人里ではないことを象徴していると言えるかもしれません。なお、イエスが「パン……を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて」という表現に注目しましょう。あとで最後の晩餐の記事(26.26~30)を読むとき、わたしたちは文字どおりこの言葉に出合います。著者は意図的にそのように書いていると思われますが、そのことについては26章を読むときに見ることにします。マタイはこのイエスの姿に、主の晩餐のときのイエスを反映させています。その証拠のひとつに、彼はこの場面でもはや二匹の魚にはまったく触れていません。

イエスはパンを裂かれますが、裂いたパンを直接配ることはされず、弟子たちにお渡しになりました。イエスからパンをいただいた弟子たちは、そのパンを群衆に渡します。イエスの行為と同じ動詞が弟子たちの場合にも用いられていますが、ここにマタイの理解した弟子たる者とは何かがよく示されています。イエスの弟子であるということは、イエスに心酔し、イエスの恵みを受けて幸せであるだけのことではありません。弟子とはキリストから受けたものを大切に受け止め、確かに人々に受け渡す使命を持つ者なのです。

20節にも注目しましょう。すべての人が満腹したにもかかわらず、弟子たちが屑を集めると12の籠にいっぱいになったと特記されています。12という数値は、聖書ではたびたび完全数であり、またイスラエルの民は12部族からなり、キリストの弟子も12人だったことを思い合わせると、イエスによって生まれた刷新された神の民全体が、キリストのパンで養われることを暗示しているのかもしれません。

「女子供を別にして(21)」と特記しているのもマタイだけです。当時は人口を表記する場合、いくさ戦に参加できる成年男子だけを記すのが普通でした。しかしマタイはイエスのもとにとどまってパンを食べたのは単に大群衆だったのではなく、家族ぐるみだったことを暗示しています。

終わりに、次の2点に注目したいと思います。

1.マタイはどこにも「イエスがパンを増やされた」とは書いていません。イエスが「それらをわたしのもとに、ここに持ってきなさい(直訳)」と言われ、弟子たちがそのとおりに実行し、一同がイエスの祝福されたものを分け合って食べたら大群衆が満たされたのです。この"ここに"というイエスのお言葉を心に留めたいものです。

2.この出来事をもって、イエスはご自分に従ってみもとに集うものにはいつも命の糧を与えてくださることを、弟子たちに示してくださいました。

スマトラ大津波を体験したこの地球に住むわたしたち、身近な新潟でも大災害に苦しむ大勢の同胞のいるのを知っているわたしたちに、今日この福音は何を語ってくれるのでしょうか。イエスは今日も「ここに、わたしのもとに持ってきなさい」と叫んでおられるような気がします。愛のあるところにキリストはおられます。わたしたちが真心をもって提供するものがどれほどささやかなものであっても、イエスはそれを待っておられ、一つひとつをよみして救援の手立てとしてくださるのではないでしょうか。

マタイ 14.22~33 のテキスト

▽湖の上を歩く

22 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。

23 群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。

24 ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。

25 夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。

26 弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。

27 イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」

28 すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」

29 イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。

30 しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。

31 イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。

32 そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。

33 舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ

イエスが祈るために一人退かれるというのは、福音書、とくにルカに目立つことですが、マタイもここかしこに祈るイエスを示しています。

この出来事は、8章23~27節で見たイエスが嵐を静められた物語の反復のように見えるかもしれませんが、新しい意味があります。このテキストも、マルコ 6章45~52節に基づいていますが、マタイは独自の形で伝えていますからしっかり読み取る必要があります。まず21~23節はマルコには見られず、マタイだけに記されています。マタイは生まれようとしている教会の頭としてイエスがペトロを選び、養成されたということを強調しますが、ここもその一例です。

先の奇跡がエジプト脱出のおりに荒れ野で主がマナを与えてくださったことを想起させたように、この出来事はエジプト脱出に際してイスラエルが追っ手のエジプト軍を背後に感じながら葦の海に行く手をさえぎられたとき、神の力によって海が裂け、奇跡的に追っ手を逃れた故事を想起させます。

このパラグラフの鍵言葉は<舟>で、弟子たちが漕ぎ悩んでいるこの舟は教会を象徴しています。嵐は教会が忍耐強く戦い続けなければならない宣教のさまざまな困難、神に逆らう混沌の象徴です。

マタイ福音書に登場する弟子たちは、イエスに従う歩みのこの時点で、すでにイエスを信じています。信じてはいるものの、まだ試練に遭えば恐れたり疑ったりする弱い信仰の持ち主たちなのです。そういう弟子たちを励まそうと近づいてくださるイエスの言葉に耳を傾けましょう。「安心しなさい。わたしだ。」下線を付した「わたしだ」には旧約聖書で神がご自分を顕された事実を表現する際の、ヘブライ語の決まり文句で、「わたしこそそれだ」に相当するギリシア語の邦訳です。

最後に疑うということについて考えたいと思います。「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」とイエスは言っておられますが、疑うということは許されないのでしょうか。そうではないと思います。ペトロのように、自分の疑いを主にぶつけるほうが、疑いを感じながら放任したり、無視したりするよりよい場合があります。疑問をイエスに訴え、答えがあるまで辛抱強く主の答えを待つことは、許されるどころか主に近づく梯子になると、わたしは思っています。

マタイ 14.34~36 のテキスト

▽ゲネサレトで病人をいやす

34 こうして、一行は湖を渡り、ゲネサレトという土地に着いた。

35 土地の人々は、イエスだと知って、付近にくまなく触れ回った。それで、人々は病人を皆イエスのところに連れて来て、

36 その服のすそにでも触れさせてほしいと願った。触れた者は皆いやされた。

次回は、15章から続けます。

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